スピリチュアルプロデューサーの天海和美さんから「こころとからだの平和バトン」を受け取りました。これは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。天海さんはスピリチュアルヒーラーの上田佳穂さんから。杉本錬堂さんのレクチャーを一度受けたことがあるので親近感が湧きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

天海さんとは職場を離れてから30年くらいは経っているのだろうか。お友達が私のブログのリンクを貼っていて、見て、書き手が私と気づき、Facebookからメッセージが来たとのことでした。驚きでした。さび付いた記憶が徐々に甦る。その時期の私も甦る。恥ずかしい。。。昔の自分は、なんか、恥ずかしい。けど、それも私。その恥ずかしい自分がいて今の自分がいる。良いも悪いもなくて全て自分。ご縁をありがとうございます。

3日間書くということは、天海さんも仰ってますけど、過去・現在・未来ということなのかなあと解釈して書きます。初日は過去ですね。

1960年12月19日、東京都荒川区の宮地ロータリーの傍で開業していた田中眼科に生まれて育つ。そこからかいDASH! 私が子供の頃はやんちゃで、両手両足全てを骨折した経緯があるほどでした。しょっちゅう近所の整形外科を受診していました。そこの整形外科医が、ものすごーく格好良かったのです。で、この人みたいになろう! 僕も困った患者さんを治そう! ということで医学部を目指しました。父親の直接の影響ではなかったのですが、目指すことに心を砕いた両親は喜びました。

医師免許はどこで取っても構わないという父の教え?により、片っ端から受験しました。2勝2敗2引き分けでモチベーションが一気に低下し、その先の受験を止めてしまったというアホな私。2つ受かったからいいや みたいな。で、小学校で川崎という名の担任に付けられたあだ名が「昼行灯」。goo辞書には《日中に行灯をともしても、うすぼんやりとしているところから》ぼんやりした人、役に立たない人をあざけっていう語。ひどいですよね。小学校の担任が付けますか? 昼行灯が医学部に合格した! 学校が大騒ぎになり、確認の電話が自宅に入ったのだそうだ。裏金を使ったのか?という更に失礼な奴。

大学へ行けば楽になると思い込んでいたがとんでもない。試験試験試験。よく部活ができたものだが、試験前は皆で部屋にこもってひたすら勉強してた。卒業試験は自己採点でギリギリアウト。皆に別れを告げていたら、ギリギリセーフビックリマーク 国家試験も合格し、研修医へ。最初は眼科へ入局し、当時はローテーションといって、何カ所か科を回ります。そこに整形外科はありませんでした。理由は、学生時代に見た手術現場。大工でした。私は大工になる為に医者にはなれないと思ってしまった。眼科選びは父親の影響かと。しかし、脳外科を回ったときに人生の分岐点が来ます。格好良かった。大胆に開頭し、繊細に顕微鏡手術。性に合っていたみたいで、脳外科へ転局。で、天海さんと小児科病棟で遭遇しています^^

卒後は働き蜂で医局のソファーで寝ることもしばし。来る日も来る日も救急搬送される患者さんの頭を開けまくる。オペ室にいる内に次の急患の連絡でオペ室缶詰のことも。脳外科の患者さんはICU、救急ICU、小児科、NICU、内科、外科、、、どこにでもいて院内巡回だけでもたいへん。巡回中に救急へ出戻りとなって、全患者さんを1日で回りきれなかったりしました。食事はカップ麺、店屋物、弁当で生きてました。よく死ななかったものです。丈夫に生んでくれてお母さんありがとうございます。です。これじゃ終わらないな汗

要するに、医師免許を取った瞬間から「こころ」と「からだ」と「平和」を意識する暇がないのです。仕事ができるようになると頼られて悦に入り、俺は凄いという幻想に取り付かれ、先生先生ともてはやされ、肩で風を切って廊下の真ん中を白衣をなびかせて歩いていました。医学という狭い島の生活が全てでした。受験戦争を勝ち抜け、世間知らずで、浮き世離れしたまま医者としてもてはやされる。故に? 患者さんの思いを汲もうとする意識が働かなくなるのかも+激務で。島の中で島の掟に従っている限り平和です。平和を乱す者は? 島外の患者さんらです。

医学が正しい。これが前提です。だから自分が正しい。医学が病を治す。それ以外に真理は存在しない。医学以外は全て偽物である。目に見えない物や科学的に証明されていないものは嘘だ。あり得ない。命を守るのは自分らしかいない。心臓を1秒でも長く動かすのだ。ワクチンは効くし打つのが当たり前だ。医者の言うことを聞かない患者はあり得ないし、関わりたくない。言うこと聞けないなら知らないし、出ていって構わない。患者さんの人生よりも病気の状況が重要。こんな自己中傲慢医者でした。わたしあせる

これが医学での洗脳というのかもしれません。世間知らずだと一発でやられるのかもしれません。厳しい父親に逆らえない、肝腎の時には自分を押し殺して生きてきた自分だからなのかもしれません。そんな ふつうの 医学島で 島の掟に従い 幸せに生きていましたが ある日 人生を変える事件?が発生します。

超重症の肺炎(専門用語が続きます)。胸部XPで肺は全て真っ白。院内にある抗生物質は全て使い切るも、菌交代現象によるMRSAと耐性緑膿菌の混合感染。100%酸素でも酸素飽和度70%代から上がらず、呼吸器で加圧しても上がらず、呼吸不全となっていました(後輩の受け持ち患者さん)。完全にお手上げでした。死亡率100%という確信。主治医は家族に、あと数日の命と告げます。すると、家族が微生物系の健康飲料のペットボトルを持参し、どうせ駄目ならこれを飲ませて欲しいと。後輩の主治医はそれを持ってきて「こんな水で病気が治ったら医者は要らないよね~」「だよね~」と会話していました。どうせ駄目だから家族の願いを叶えようと許可しました。すると、その日の夜から滝のような汗が噴き出し、熱は下がり、呼吸は安定化していきました。4日後に胸部XPを撮影すると、左の上の一部を残し、肺炎像は消えていました。

あり得ない!!

多くの医者がそうですが、あり得ない状況を目にすると「偶然だ」「たまたまだ」「奇跡だ」「勘違いだ」「誤診だった」という事実認定を避ける習性がある生き物です。我々は死に至る確信があったのに、医療以外が治してしまった衝撃の事実を見過ごせませんでした。理由を模索しました。謎の飲料も調べましたし、開発者の話も聴きに行きました。その時の講演で「人の不幸でメシを食う産業が発展してはならない! 例えば弁護士、医者、、、」 え? わたしだ!? 私は人の不幸で生きてきた人間だったのか。言われてみれば否定のしようがないではないか。この言葉も深く胸に突き刺さり、その後の人生に影響を与えます。

模索して模索して行き着いた結論が「自然治癒力の発揮による」でした。

信じられないでしょ? 医者は自然治癒力を意識していないのです。概念に無い。骨折も医学で固定して、あとは自然治癒さんよろしく! なのに。メスで切った皮膚も自然治癒力があるから縫えばくっつくのに。自然治癒力の上に成立している医学なのに、自然治癒力は無いこととして行動するのです。地上にいながら、地球は無い! と言ってしまう生き物が、多くの医者。試しに主治医へ聞いてみるとよい。「私は食事療法など自然治癒力を上げる方法で病気を治したいと思いますがどうでしょう?」と。 ~並みの医者「そんなんで病気が治るわけ無いでしょ!」 ~分かっている医者「おお、いいですね! 貴方の方法を聞かせて下さい」。 ~その間の医者「・・・・・、はあ、そうですか。。。。機能停止

医療の日常では目の前に居る患者さんをどう救うのか しか考えたことが無かったのです。脳卒中で運ばれる方々の多くは生活習慣病をフルセットお持ちです。ここまで行く前に何とかせねばと思いました。大病を発症する前に、自然治癒力を向上させるにはどうすればよいのか? 模索が始まります。行間を激しく端折って結論だけ言うと、身体の材料は? 食材だ。食材の質を上げなければ。栄養素は? 三大栄養素より4~7のビタミン、ミネラル、繊維質、抗酸化物質が代謝力に大きく関わる。食材をどう消化吸収効率を上げる? 腸内細菌だ。善玉化。発酵食品と繊維質とオリゴ糖か。心も大きく影響する。病は気からも大きく関わるではないか。運動はある程度必要だ。

そして「食・腸・心・筋」を紐解いていくと自然治癒力が向上することが分かってきました。こんなに身近なことだったのかと思いました。多くの本から学びましたが、いわゆる医学から外れた方々が昔からこんなにいたのかと思いました。そして、それはほぼ正しいと感じたので、どんどんいいところを取り入れていきました。そして、最終的に分かったこと。

医学には健康の本質が存在しない という事実でした。

更に、医学とはなんぞ? という検証をしてみました。医療とは起こった現象に対する対処しかしていない事実を目の当たりにします。上がれば下げる。出なければ出す。できものは取る。穴を塞ぐ。狭いと広げる。分からなかったらステロイド。根本解決とはほど遠いではないですか。病気という暴れ犬に鎖を付け檻に入れ薬で眠らすことしかできない医療。犬を調教するという概念が存在しない医療。根本的に何とかできるのは自分自身しかいないのです。何が健康の足を引っ張っているのかを知るきっかけに「病気・症状」がある という認識が大切です。

そう。悪性脳腫瘍の方もおられるので抗癌剤も使ってきました。マニュアルに「こう使え」とあるのです。標準治療というものです。効果が無いと別の抗癌剤を使いました。ともかく使うと、目の前で患者さんがのたうち回りました。医療での合併症は「仕方がない」ので頑張れと言いました。ゲロゲロになりながら私にすがり、この苦しみに耐えれば治るのですか? と問われ、答えず背中をさすり続けました。副作用と合併症で亡くなった青年の姿が今も脳裏に焼き付いています。すがられた感覚が今も身体に残っています。あ、 ここを、、、書くと  あ、駄目だ 泣けてきます。涙で画面が見えないよ(中断)

すいません で、想いました。本当にこれでいいのか? 救うどころか、逆に死なせているのではないのか? これは対処と言うのか? やっていいことなのか? 人としてどうなんだ? で、医療ってなんなんだ? そして気付きました。

この医療、おかしい。

人を救うつもりで医者になったのに、逆のことしてたのか。もう、こーれーはーー しょーーげき でした。いままでしてきた医療、自分が信じてきた医療、自分が治すといきがっていただけだったのか、もしや自分の人生は無意味だったのか、救おうとして頑張ってたのに、逆だったりした事実に衝撃を受けました。足元から全てがガラガラと崩れ去るような感覚。絶望を感じました。

救いだったのは、手術したある患者さんが今もたいへんお元気なことです。いつも美味しいお菓子をくれますし、気にかけてくれています。とても嬉しいです。この方、くも膜下出血で、VA-PICA脳動脈瘤。掟には2週間は手術待機。しかし、ことごとく再破裂で患者さんを失った経験から、家族と協議して掟破りの緊急手術に踏み切りました。9時間くらいの手術になり、精も根も尽き果てるとは正にこの事。もうできない。手術からの引退を決意した瞬間です。その方の存在が「自分のしてきたことは無意味ではなかった」という崩壊した心の支えでした。

でも、私にできることは医療現場で働くことだけ。辞めたら何もできない。で、仕方なく働いていました。この時期に当たった患者さんには申し訳ない思いで一杯です。灰になった医者が主治医だったのですから。人の死なない職に就きたい。それがこの頃の願いでした。

2日目に続く・・・