最近、ちまたでベビーカーが邪魔だ迷惑だ いや 電車の専用エリアを設けよう などと論議されておりますね。まあ、良いことではございますけれども、意識が1つの問題へ集中するとき、必ず衝突が起こります。理由は簡単です。

お互いの前提が 自分は正しい という固定された観点によります。


ベビーカー反対派は迷惑の一点張り。まあ、確かに邪魔です。私の子供が小さいときは電車に乗るときにはベビーカーをたたんでいました。邪魔なことが分かっていたからです。子供が寝るとグニャグニャで体感重量が倍増。お買い物の荷物、子供2人、ベビーカーを夫婦2人で持つのも大変でした。その頃はマクラーレンのようなたためない立派なベビーカーがありませんでした。また、たたむときに子供の指を挟んで切り落とす事故が相次いだという問題もあるでしょう。若い母親のモラル低下もあるでしょう。そんなこんなで、たたまずに乗るのが当たり前になっていったような気がします。

好きで生んだのだから他人に迷惑をかけるなという意見もあります。迷惑はベビーカーだけでしょうか。私は出張が多く巨大なスーツケースを持ち歩き乗客へ少し迷惑をかけています。バスに乗ったときに後ろの人の口臭が激しく苦痛だったことがあります。駅のホームでタバコを吸った喫煙者が隣に来ると臭すぎて逃げ出します。音楽プレーヤーの音漏れは日常的。大声で喋る人々。大股で2人分の座席を取る人。歩きながらスマホでぶつかってくる人。すごい肥満の人も場所を取ります。お相撲さんは大変です。社会という場所はそういう場所だという前提が必要です。そのなかでルールを考えていくことになるでしょう。都心で思うのはモラルの低下が目立ちますので、社会的背景やら育ちの問題が大きいような気がします。

ベビーカー擁護派は仕方がないの一点張り。まあ、確かに仕方がありません。人にはいろいろな事情があります。反対派はベビーシッターに預ければいいとか、親や親戚に預ければ良いとかいいます。反対派を一言で言えば思慮が浅い。欧米ではベビーシッターは高校生の日常的なバイトですが、日本人の感性と社会背景はベビーシッターの信頼性はぜんぜん低いです。見ず知らずの人に大切な子供を預けることは容易ではありません。ネットのベビーシッター事件も記憶に新しいので、益々できなくなります。核家族化が進んでいるので親が傍に居ないのは当たり前。人にはいろいろな事情があるのです。

マナーの悪い親が我が物顔で狭い車内を占有する行為に腹が立つからといって、善良な親へも邪魔だと罵倒する思慮の浅い行為もいけません。全員がそうではありませんから。一人の生徒が犯罪を起こしたからその学校が悪いということではいけません。ともかく、悪い点だけを見て論議してはいけません。


では「こども」を観的に見てみましょう。


次世代を担う「宝」です。

宝をもつ者 宝をみつめる者 共に固定観念を「我」から外さねばと思う今日この頃です。