「白雪姫プロジェクト」をご存じでしょうか。
http://shirayukihime-project.net

病気や事故のために、意識が無く、回復の見込みが少ないと思われてきた「植物状態」となり、事実上放置されてきましたが、意識を取り戻し、食べる、思いを伝えるなどの生活行動を取り戻すための方法があることがわかってきたとのこと。その方法を広めたいという想いがこもっています。


人として、生命体として、実はもの凄い能力を秘めているにもかかわらず、我々は医学常識という人知に囚われて回復への努力を放棄してきました。

私は脳神経外科医として働いていたので、植物状態の患者さんを果てしなくみてきました。こうなったら回復しない。それが医学、医療としては常識であり、救急車がバンバンくる救急病院では救命するので手一杯。回復への努力へ意識も向きません。

実は、何度か経験しておりますので、ここで吐露しなければと感じました。


脳卒中で意識不明の重体の患者さん。臨床で使われる意識状態のスケールを用いても最悪のレベル。痛み刺激を加えようとも眉一つ動かない重度意識障害。人工呼吸器も使用しており、血圧や血液データもひどく、看護師とベッドサイドで患者さんを挟む形で何かの処置をしていました。「これじゃあ、もう駄目かもね~」「相変わらず、全然駄目だね~」と看護師と何度となく話しをしていました。この表現しかないので使いますが、奇跡的に回復しまして、会話も出来るようになりました。そんなある日、「先生! 私の目の前で、もう駄目だとか何度も言いましたよね!!」と言われました。

汗聞こえていたのか・・・

そんな経験をもう一度しています。それから、意識不明でも聞こえているのでは? と思うようになりました。


そして、

同じく重度意識障害の脳卒中の女性がおりましたが、お花か舞踊のお師匠さんで、回復の見込みは医学常識からは全くない状態でした。この女性にはお弟子さんがたくさんおりまして、よほど慕われていたのでしょう。連日連夜土日祝日を問わず、面会時間を全て使って、家族なのかお弟子さんなのかも分からない状態で必ず3人ずつくらいはおいでになりました。ベッドサイドに座っては、全員が入れ替わり立ち替わり、頭を撫でたり、手足をマッサージしたり、女子会となるので楽しそうな笑い声が絶えませんでした。
車椅子に乗せたいという申し出に、家族以外に身体がグニャグニャの重度意識障害の患者さんを任せるのは抵抗がありましたが、まずは病棟内の目が届く範囲でと許可しました。すると、ずーっと車椅子で病棟内をグルグルまわり、とまってはお喋り。ついには、外へ連れ出すことにもなりました。

無駄なことを。。。まあ、いいか。

そんなことを思っていました。ところが、、、半年程すると呼びかけに反応するようになってきたのです。そこからが早い。呼びかけに頷くようになり、冗談で笑うようになり、言葉にならない音声で喋ろうとします。麻痺は戻りませんでしたが、残った足でベッド~車椅子の移動でも立とうとします。

意外な展開に嬉しい気持ちと、主治医が諦めていたことへの羞恥の気持ちとが入り交じるややこしい感情となりました。

ああ、人って、神経でも、ある程度戻るんだ。。。続けさえすれば。。。 聞こえているという前提で五感をフルに刺激することで、神経の再生や、ネットワークの再構築が起こるのだとようやくそこで気づきました。そして、熱心な家族へは可能な限りの努力で戻りうることをお話しし、五感をフルに刺激する方法をお伝えしました。すると、そんな経験を何度かすることになりました。

なんてこったいダウン

いままで、どれだけの患者さんを諦めてきたのだろう。情けなくなりました。推測の域は出ませんし、全員に当てはまるとは言えませんが、生命維持装置が残る脳卒中の状態(植物状態)とは、ガス欠の車のような状態なのかもしれません。ドライバー(魂)は健全なのに、車(身体)が動かないだけなのかもしれません。

大切なことは、五感をフルに刺激し続ける事諦めないこと。