理由や根拠を探すのなら
きっといっぱいあるだろうし
それを言語化するのも
たやすいことだろう。

ただ、最近は
理屈を探し言語化することに
少々疲れている。

ただ、好き、きらい。
ただ、いい、いや。

その感覚だけが私のホント。

理由など単なる後付けで
自分にとっての真実って
すべて感覚だけで

理由や根拠などいらないし
それを持ってこようとすると

途端に私の中で
何かがおかしくなり
つじつまがあわなくなる。

感覚の中にいたい。
それに従っていたい。
どんなことも。



眠っているのはわたし?
それともこの世界?

 

逗子の海の夕暮れ

 



今も流れているのは
ムジカフォーリアの音。

この頃手放せない。



最近やっとわかったんだけど
私、頭がいっぱいになると
ものすごく悲しくなるらしい。

考えることがありすぎて
気にかけることがありすぎて
追いかけることがありすぎて

頭がいっぱいになると
私が停止する。

私の肉体は生きているけれど
私のコアが停止するんだ。




ムジカフォーリアが
私のところにやってきたのは
去年の12月。

その音を聴いているうちに

今度はそれまでと逆に
私以外のすべてが停止した。
頭がからっぽ、思考の停止だった。


思考が停止したことで
私を取り巻くすべてが消えた。

私を縛るものが
何もなくなった。

私の心を
ざわざわさせていたものも
ぎゅうっとさせていたものも
カリカリさせていたものも

…みんな消え去った。

そこに残ったのは「わたし」だった。
いわばきっと、本来の私。

 

森

撮影:あぶ



その時あらためて思った。

自分を苦しくするのは
自分を消してしまうのは
時に自分を葬り去ってしまうのは

どうしたらいいか
わからなくなってしまうのは

頭がいっぱいになって
感じることが閉ざされてしまって
感じてもそれを抑えてしまって

「わたし」につながることが
できない時なんだなぁ、って。




生きてるから
考えることがあるし
考えなきゃいけないこともあるし

そういうモンで、それでよくて。

ただ

あまりに頭が忙しく
考えることでぱつぱつになると
「わたし」にアクセス
できなくなることがある。


そうすると
頭で考えることしかしなくなり
感じることがなおざりになり
道を見失うんだ。

仮に現実的なことは
滞りなくすべてをこなせたとしても
心が砂漠のようになっていく。


その時人はすでに
迷子なんだと思う。

「わたし」が眠っているのだから。



そんな「わたし」を
そっとゆさゆさとして
起こしてくれたのがムジカフォーリア

いらないものを波がさらっていくように
私の「わたし」以外のものをさらっていった。

 

三昧琴と海

撮影:あぶ



「わたし」につながった私は

それまでの
何かを考え続けて
心をざわつかせる私ではなく
心を重苦しくする私ではなく

ただここにいる私だった。

その時この世界になにひとつ問題はない。
平穏があるだけ。

ああ、やっと自分に戻れた

そう思った。



ムジカフォーリア
三昧琴(ざんまいきん)の音たち。

私の大好きな
ちぐりすこと福島千種さん
奏でる音たち。
 

福島千種さん

撮影:あぶ



昨年の12月に発売されたCD
「ムジカフォーリア」
ちぐりすの3枚目のCD。

ソルフェジオ音叉のCD
「Cocoon」

そこに
太陽系惑星チューナーや
ブレインチューナー、三昧琴も加わった
「アナレンマ」

そして今回リリースされた三昧琴の世界
「ムジカフォーリア」



ムジカフォーリアは
私を「わたし」に還してくれる。


聴いていると
自分の中の煩瑣なことが
すーっとどこかに消えていく。

簡単に言っちゃうと

頭でぐだぐだと
あれこれ考えてることが
スコンと抜けて
自分の中が静かになる(=本来の自分)。


で、楽になるんだ。

本来の自分こそ
本当の意味で
人生をハンドリングする存在だと
私は思ってる。


その自分でいる時って

内側が本当にすがすがしく、心地よく
周りに関係なく、忙しさに関係なく
とても穏やかで

そんな時、考えること
感じること、することが
人生をよりよい方へと運んでいくと
私は常々思ってて。

ムジカフォーリアは
私をそういう私に還してくれる。



ムジカフォーリアのキャッチ

眠っているのはわたし?
それともこの世界?


これが大好き。

戸惑ってしまう世界にいる時
「わたし」は眠っているし
「世界」は起きている。

起きている「世界」は自分の思考の産物で。

*あくまでこれはエイミーの解釈です

ムジカフォーリアを聴いていると
それが逆転するのを感じる。



ちぐりすの2枚目のCD
アナレンマに続いて
今回のムジカフォーリアも
ジャケット写真の撮影を
あぶがさせてもらってるの。

*アナレンマの表ジャケットは別です。

ジャケデザインも

アナレンマは私
ムジカフォーリアはあぶ

それぞれさせていただけたんです。

ちぐりす、ありがとぉー( ;∀;)



あぶが撮影とデザインを担当した
ムジカフォーリアのジャケがこれ。
 

ムジカフォーリア

 


盤面がね
またシブイのー!

私はこの盤面がいちばん好きかも。
森と三昧琴のコラージュ。

ちぐりすの音を聴くと共に
ジャケもCDも手にとって眺めてほしい。

実はジャケットに
ある仕掛けもあるの。
ちぐりすのセンスと遊び心が素敵。

 

ムジカフォーリアCDの盤面

 


この写真たちを撮った時のこと
最高のロケ地を見つけてくれて
ナビゲートしてくれた

森岡亜由美さんが
ブログに書いてくれてます


読んでいまだに

ウケるー(;゚;ж;゚; )



福島千種さんの
ムジカフォーリアの音を
動画で実際にお楽しみください。

ちぐりすから
ムジカフォーリアが生まれた経緯と共に。
 

わたしはときどき、不思議な夢をみます。

それは、私たちがいま現実と思っている世界とは少しかけはなれた奇妙な世界です。まだ見たこともない風景、あったこともない人たち。時には、光の中にただ立ち尽くして、その中に棲む見えない存在と言葉にならないコミュニケーションを交わしたり…。

その風景は、異次元の世界なのか、それともどこかに存在する別の宇宙や地球といったパラレルワールドなのか。遠い遠い、いつかどこかの記憶なのか…。

これまでにみた、そんな印象的な夢をひとつひとつ思い出していったら、それは頭の中でひとつの物語のような映像となって流れていきました。それが、架空の映画「ムジカ・フォーリア」です。

ある時、わたしが普段親しんでいる三昧琴(ざんまいきん)という楽器の響きでムジカ・フォーリアの世界を再現してみよう、と思い立ったのが、このアルバム「musica foglia ~空想映画音楽集~」の発想のスタートでした。

※ムジカは「音楽」フォーリアは「葉」という意味を抱いています。
 

 

空想映画音楽集 ムジカフォーリア
ー蒼き光に、よみがえるー


眠っているのはわたし?それともこの世界?






ぐだぐだ書いてきたので
まとめます(笑)


(まとまってないのが自慢です・コラー)

ええ、短く簡潔に
まとめますとも。



慌ただしい毎日
あれこれ考えて
頭パツパツでいっぱいいっぱい
なんか気持ちも重苦しい
何かに追われている感じ



ムジカフォーリアを聴く
(聴き入ったり、ながらで聴いたり、いろいろ)



思考停止
頭の中がからっぽになる
(瞑想してる時みたい)
内側が静かで穏やか



現実は変わってないのに
それまでの心地よくない
感覚や考え、感情がない
心地いい状態



いいじゃんっ、これ



と、まあ、つまり
そういうことです(笑)



ぜひ聴いてみてくださいきらきら

ちぐりすの夢の世界
空想映画の世界が
アーティストちぐりすの奏でる三昧琴を通して
私たちに「あちら」の世界のエッセンスを
届けてくれているような気がする。



ムジカフォーリアのCDは
ちぐりすのネットショップ
「yutolina」のココ
で買えます。



福島千種さん 三昧琴CD
仮想映画音楽集 ムジカフォーリア

ちぇきらぁぁうっ
 

ムジカフォーリア