『地方が豊かであるということを考える』 Emileのコラム138 | 地球村研究室

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厳しい地球環境制約の中で心豊かに暮らすには?沖永良部島で実践しながら考えたいと思っています!!

台風9号がどんどん島に近づいている79日朝、欠航かと思っていた950分沖永良部発のフライトが予定通り出発することに・・・・風はすでに10m/secを超え、海は半分くらい真っ白。定期船はすでに全便欠航、フライトも恐らくこれ以降は欠航の予定とのこと。安全を考えれば、8日に上京すべきだとは思うものの、島に居ると自然の中での運試しをどうしてもやってみたくなる。きっと回りの皆さんはハラハラドキドキかな・・・・・

島から鹿児島へのフライトの中、奄美大島を超えるあたりから急激に天気が回復、真っ青の海が広がる。本土に居るとなかなか実感がないものの、こうやって島から鹿児島までの約570㎞を頻繁に通っていると前線の手前と向うで天候が激変することをよく経験する、自然の凄味さえ感じる時でもある。奄美大島から100㎞程北東になるのだろうか、ハートの形をした宝島がくっきり、その隣には小宝島そして小島が・・・・あまりの美しさに思わずカメラを取り出してパチリ。さらに北東へ、噴火が続いている昨日の口永良部島は、噴煙は見えないけれど森が雲をどんどん生み出していることが良く解る。これが雨になりまた森を豊かにしてくれる、本当に自然の営みとは考え尽され、未知に溢れている気もしてくる。
 ハートのかたちの宝島
 雲をどんどん生み出す口永良部島
 庭に自生しているバナナ!台風の風にも耐えたようです! もうすぐ甘酸っぱい島バナナを楽しめます。 

5月の平均気温は1880年の観測開始以来最も高かったそうだ。国内でも前線はちっとも北へ移動できず、九州は水浸しの状況が続いている。ローマ法王は気候変動に異例の警鐘を鳴らし、温暖化だけではなく、地球環境問題が生活の中に明らかに忍び寄ってきている。

一方では、合いも変わらず、経済成長だけが豊かな国つくりと信じている政府は、ノーベル賞候補にもなっている日本国憲法9条を曲解して米国の下部になることを世界発信しようとしている。多くの良識ある個人や組織が違憲と明確に示しているものが、政治の意思で合憲と判断されるようなことがもしあるなら、三権分立はこの国には最早存在しないことになり、困ったものだ…を通り越して、空恐ろしくなる。この国のトップたちは次の世代、さらに次の世代のことにどこまで責任を取ろうとしているのか、不安にそして、情けなく、恥ずかしく思えてくる。


 昨年5月、日本創成会議は、2040年に全国市区町村の約半分896自治体が消滅する可能性のあることを発表した。そのうち、人口1万人を切る593自治体はその可能性がさらに高くなるという。今暮らしている沖永良部島は両町合わせても1万人を切り、若年女性人口は現在の約半分の610人となり、このままでは、間違いなく危機的状況にある。

 では、地方は何を考えるべきなのだろうか。少なくとも『人口減少と東京一極集中』への解を出せと言うが、アベノミクスの競争原理や成長戦略を取り込めば、救いの道があるのだろうか。総務省は、高度な自治体機能を有する地方中枢拠点都市(61)を指定したが、これに縋り付けばよいのか。東京圏では、2025年に75歳以上の高齢者が175万人増え、13万人の介護難民が生まれるという。このため全国41地域を高齢者移住先候補地として発表したが、これによって地方が本当に豊かになるのだろうか? こういう話を聞いていると、地方が東京の受け皿としてしか見られていないという気がしてならない。いや、事実、そうとしか見ていないというのが本当のところだろう。

そもそも、地方はなぜ劣化するのか? 一つには『地方の都会化』である。日本の高度経済成長とともに、地方から多くの人たちが都会へ移動していった。そこでは農村型のコミュニティー形態を都会型に変えた。都会型コミュニティーは会社と家族であり、そのコミュニティーの外側とは関連を持たない新しい形を創った。さらにコミュニティーの成熟(?)は会社というコミュニティーを劣化させ、個人化あるいは極めて近い人たちだけで構成するコミュニティー、個人主義化という形態を通ってしまった。そして今、この個人主義化のかたちを地方へ持ち込もうとしており、地方の個人主義化による農村型コミュニティーの喪失(社会的協働起基盤の劣化)と社会システムの基本を市場経済に担わせた結果生まれた、生活の物差しをお金にすることによる、生活基盤の劣化である。均一化された情報や教育にも責任は大きいが、都会と同様、お金が無ければ生きて行けないと信じ込んだ結果、島を離れたり、あるいは、お金を儲けるために借金をし、高価な農機具を買い続け、結局お金を外に流し続けてしまうのである。沖永良部島の平均年収はおよそ190万円である。日本のサラリーマンの平均年収が414万円であることを思えば、半分以下である。それでも毎日酒を飲み、笑顔が溢れ、生活に困窮している人がそれほど多いとは思えない。お金以外の暮らしの物差しがこの島にはあるのだが、それを誇ることも無く、本土と同じようにお金の物差しで自分を測り、この先光輝く未来などここには無いと思ってしまうのではないのだろうか。もう一つ、島に住み始めて強く感じるのは、地域の肯定的自己認識の劣化である。メディアの影響も大きいのだろうが、島のすばらしさを自慢できない人が圧倒的に多いことも先の話と繋がるように思う。


 日本全体を見ても、自然資本、社会関係資本がこの70年の間に、稼ぎだけを追い求めた結果失われてしまったことは明白であり、経済合理性が機能ごとに場所を、職種ごとに人を分断し、世代や世帯間の役割まで分断した。それが島にまでより色濃く浮き彫りになっているのであれば、島にとっての地方創成の視座とは、単に人口を増やすとか企業を誘致するとか、東京の受け皿になることではなく、『地方の地方化』(伝統的自然共生社会のリノベーション)を徹底的に進めることが最も重要な視点であるように思える。地域の特性(自然資本)に根差した産業や政策の創成が、お金を払ってでも出掛けたくなったり、住みたくなったりする島を生みだすのではないのだろうか。それは、島の外へじゃぶじゃぶお金を垂れ流さないことを基本原理として、自然の中で島が培ってきた文化的価値を懐古的ではなく、将来世代が使える形に翻訳し直し、具体的なビジネスや政策に反映させるということだと思う。

今、沖永良部島では『酔庵塾』を通して、島の『5つのち・か・ら』(失ってはならない価値)を見つけ出した。90歳ヒアリング手法を使って、32人の90歳前後の方のヒアリングを行い、その結果を分析することで得られた、この島を形作ってる文化的な価値である。今この価値を、各々バックキャスト思考で見つめ、20年後のライフスタイルを描き、それを構成する要素を抽出し、そこからこの島に必要なビジネスや政策を見つけ出そうというものである。これが、どのような具体的な形になるかは、まだ未知数であるが、8月末の沖永良部島シンポジウム(http://i-d-sol.com/erabushinpo/には、まだまだ稚拙かもしれないが何らかの形になるのではないかと期待している。地方創成は国の戦略ではあるが、それを上手く使って『地方の地方化』を徹底して進めることが今強く求められているのだと思う。
        Emile.H.Ishida