酵素玄米 | 稲毛エルム歯科クリニックのブログ

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皆さんこんにちは、稲毛エルム歯科クリニック院長、長尾周格です。
このブログでは、当クリニックが行っている予防歯科関連の記事や、歯科治療に関する記事をアップしています。
興味深い記事をたくさん用意していますので、是非ご覧ください。

皆さんは、「酵素玄米」というものをご存知でしょうか。酵素玄米というのは、玄米を一昼夜水に漬け、発芽玄米にしてから小豆と混ぜて炊き、炊き上がってもすぐには食せず、3日間ほど寝かせた玄米ご飯を指します。一日一回良く掻き混ぜるのがポイントです。

この玄米の食べ方は、最近チラホラと紹介されるようになりましたが、ルーツは意外と古いのです。この玄米ご飯は、東南アジアでは「熟米」と呼ばれていました。熟米は東南アジアでは古くから脚気(東南アジアではベリベリと呼ばれていた)の治療薬として用いられていました。日本や東南アジアのような米食文化圏では、脚気は良くみられる疾患でした。

日本では脚気の治療として、遠田澄庵が推奨し、帝国海軍で先駆けて導入されていた、麦飯が一般的でした。一方、脚気の治療として玄米が用いられることはほとんどありませんでした。その理由を知るためには、当時の日本人の食生活を知る
必要があります。

東南アジアの亜熱帯の地方では、米は二期作といって、一年に二回田植えと収穫を行っていました。一方で気候的に麦は栽培に向いておらず、ほとんど作られてはいませんでした。一方日本では、二毛作といって、秋の米の刈り入れが終わった後に麦(通常は大麦)を植え、翌年の春に刈り入れるという農法が一般的でした。農民の手には米はほとんど残らず、大半を年貢として持っていかれたのに対し、裏作の麦は通常そのまま農民の手に残ります。

ちなみに黒澤明監督の「七人の侍」では、野武士が麦を狙っているという設定でしたが、米は領主のものであるから横取りすれば大変なことになるのに対し、麦は農家の自給用なので、掠奪しやすいからというところに、いったいどのくらいの人が気づいたでしょう?

さらに、明治時代までの麦飯とは、米(白米)に大麦を引き割りにして混ぜて炊くのが一般的であり、蒸気で蒸しながらローラーで潰すという、いわゆる「押し麦」は、大正以降に出現します。

東南アジアの人は、脚気予防や治療のために「熟米」を作りました。なぜ玄米をそのまま炊いて食べなかったのでしょう?それは、玄米を食べると体に悪影響があることを知っていたからです。米食文化のある地域では、米を主食として食べる文化のところでは必ず、玄米では食べません。同じく「七人の侍」でも、お侍さんの食べる米を炊くために、米を搗いて精米している様子が写されています。この映画の設定は戦国時代頃ということですから、江戸時代よりも前から、米を食べるときは玄米のままでは食べないことが分かります。

それにしても、脚気などほとんど見られなくなった現代において、わざわざ「熟米」を作って食べようという人は、いったい何のためにそんなことをするのでしょう?今では東南アジアの人たちでさえ、熟米なんて作ったりしないのに。