ブレイク作「蚤の幽霊」
そのエキセントリックな思想と言動のため、生前は理解者が少なかった異才の詩人・画家・銅板画職人、ウィリアム・ブレイク。時が経つにつれて彼の作品の芸術的価値は再評価され、近代においては「英国が生み出した最高の芸術家」と称賛する評論家も出るようになりました。
「自分は人間としてではなく、祝福された天使として死んでいくのだ」という神秘的な遺言を残した彼は、生涯を通して日常的に幻視を体験していました。幼い頃、大勢の天使が星のように眩しい翼を広げて木の枝に座っているのを見たのが始まりだったそうです。
彼が彫版印刷業を始めた頃、若くして死んだ彼の弟の霊が夢に現れ、彩飾印刷(Illuminated Printing)と呼ばれる腐蝕彫版術を教えてくれたとブレイクは言っています。この技法を使って作成された詩集は、製版、印刷、色彩の施しなど、全て彼と妻のキャサリンが行いました。「四人のゾアたち」「ミルトン」「エルサレム」などの「預言書」と総称される後年の作品群は、詩と絵画の融合によってブレイク独自の壮大な神話世界を内包しています。
1819年、水彩画家・造園技師・占星術師のジョン・ヴァーリーのために制作された「蚤の幽霊」は21x16cmの小型の細密画です。当時62歳のブレイクより30歳若かったヴァーリーは、精霊や幽霊の存在を信じていましたが、それらを実際に目撃したことがないことに不満を感じていました。そこで彼は幻視(ヴィジョン)の能力を持つと主張するブレイクに接触し、降霊術の会を行おうと提案しました。ヴァーリーはこの時の体験を以下のように記述しました。
「降霊術の会を始めてからしばらくして、ブレイクは蚤の幽霊がそこに立っていると言いました。彼に白紙と鉛筆を渡すと、ブレイクはこの幽霊の肖像を素早くスケッチしました。描いている途中で、幽霊が口を開いたので二つ目のスケッチを始めると彼は言い、口の部分だけを別に描いた後、口が閉ざされたと言って最初のスケッチに戻りました。これを見ていた私は、彼が何らかのイメージを実際に観察しながら描いていることを確信しました」
ブレイク自身によると、この蚤の幽霊は人の血を求めて舌を出し、左手にはドングリの実で作られた杯、右手には植物のトゲを持っています。この二つのシンボルは妖精伝説から着想を得たと推測されています。頑丈で筋肉質の体を持った蚤は、背景に星が流れ落ちる劇場のステージを歩いています。
蚤の幽霊はブレイクにこう語ったそうです。
「神が私を創造したとき、最初は雄牛のように大きな体にするはずだったのですが、私が硬い殻と鋭い牙で武装され、いたずらな性格を持っていることを検討して、このように小さな寸法にされました」
この作品は金箔の独特な応用によって装飾されています。カーテンの下地、蚤の体、星々の部分には白銀と金の合金で出来た薄い箔が敷かれ、絵の細部には金粉を混ぜた絵の具が使われました。
現在は英国のテート美術館 (Tate Britain) に所蔵されています。
