幻想に導かれたドロテア【1】 | 【 未開の森林 】

幻想に導かれたドロテア【1】


1910年、アメリカのイリノイ州で生まれたドロテア・タニング (Dorothea Tanning) は子供の頃から絵を描くのが好きだったそうです。


1930年、シカゴに移った彼女は美術館を頻繁に訪れるようになり、地元の美術アカデミーで夜間クラスに通い始めます。


「誕生日」

1935年、彼女はニューヨークで広告デザインの仕事を得て、商業美術で生計を立てるあいだ、絵画の勉強を続けます。次の年、現代美術館で催されたダダイズムとシュールリアリズムの展示会を訪れ、これらの芸術運動に大いに感化されました。「この出会いをきっかけに、私は真の芸術家として誕生した」と彼女は言っています。


「黙示録のノート」

1941年、彼女はニューヨークで有力な美術商ジュリエン・レヴィーに紹介されます。シュールリアリズムの作品を主に扱っていたレヴィーは彼女の絵画に心を動かされ、後援者として創作活動を励ましました。


3年後、彼女のソロ展示会がジュリエン・レヴィーの画廊で催されました。


「まだスタジオで・・・」

彼女はこのソロ展示会の準備をしているあいだ、シュールリアリズムの創始者の一人、画家マックス・エルンストと出会います。エルンストは画廊の経営者であった妻のペギー・グーゲンハイムのために、優れた絵画を求めて捜し歩いているところでした。


「バラと幻影」

ドロテア・タニングは、フランスからニューヨークへ亡命してきたマックス・エルンストを通して、シュールリアリズムの活動に係わっていた芸術家達と接することになります。子供時代の追憶や夢の雰囲気が漂う彼女の作品は彼らの注目を集めました。


1943年、彼女はエルンストと共にアリゾナ州のセドナ市で夏を過ごします。この時点で、エルンストはすでにペギー・グーゲンハイムと離婚していたようです。


1946年、著名な芸術家マン・レイと彼の花嫁ジュリエット・ブラウナーとともに、二人はロサンジェルスで結婚式を挙げました。


同じ年、二人はアリゾナ州へ移り、セドナ市の近くの田舎で家を建てました。家と敷地の全てが彼らの芸術活動に巻き込まれ、壁に幻想的な装飾がされていたり、精霊や怪物のような彫刻が庭の至る所に立っていたりと、まさに「芸術王国」と呼ぶに相応しい創造的な環境を育んでいました。

「守護天使」

3年後、二人はパリに移住します。ドロテアはギャラリー・フルステンブルグで単独展示会を行い、次の年、ロンドンのアーサー・ジェフレス氏の画廊で過去の作品集を披露します。45歳の彼女はすでに、ニューヨーク、パリ、ロンドンという世界三大の芸術都市で作品を展示した経歴を持っていました。

(・・・続く・・・)