第五章:ウォーデンクリフ塔と世界システム | 【 未開の森林 】

第五章:ウォーデンクリフ塔と世界システム


1900年、ニコラ・テスラは「世界システム」の構想を公表しました。これはグローバルな情報社会の技術的基盤となるもので、二十世紀末期に実現されたインターネットの原型理論でもありました。

高密度の通信ネットワークを世界的に構築することを目的とした「世界システム」は、テスラ自身が開発した技術を究極的に応用しようとした野望な計画でした。現代文明において重要な各地に、情報とエネルギーを伝達する基地を建設することが必要だと彼は説きました。ニュースの報道や政府内の機密通信、天文学的に精確な時刻の標準化、文書・音声・イメージなどの伝達なども、この構想に含まれていました。


1901年、「世界システム」の実現へ向けての第一歩として、ニューヨーク近くのロング・アイランドにウォーデンクリフ塔の建築が開始されました。

高さ57メートル、重さ55トンの塔は無線通信、そして電力の無線伝達の目的を果たす計画でしたが、プロジェクトの資金を供給したモルガン財閥の創始者 J. P. モルガン宛てに書かれた手紙の中に、テスラの真意が察知できます。

「私が想像して、実現可能だと信じているのは、ただ遠距離の無線通信だけではなく、この惑星を知的生命体へと変容させることです。脳内で思考が飛び交うように、この惑星は自身のあらゆる各部を意識することが出来るようになると考えているのです」


ウォーデンクリフ塔内の作業場

1903年7月15日、テスラはこの巨大な送信機を最大限の産出力で実験しました。この夜、ニューヨーク市民は奇妙で不可解な現象を目撃することになります。ウォードンクリフ塔を中心として、眩しい光りの帯が160キロ以上の距離に及ぶ半球天井を織り成したのです。次の日、「ニューヨーク・サン」という新聞の記事内に以下の文が載せられました。

「テスラの研究所の付近に住む人々は、彼の電力無線伝達の実験について興味をそそられていましたが、昨夜、彼らは信じがたい現象を目撃しました。ニューヨーク地域を包む大気の様々な層が、テスラ自身によって作られた多色の稲妻に満たされたのです。突然、夜が昼となり、空気は冷たい光りを帯び、人々の体の輪郭が神秘的に輝きました。それは幽霊のように見えました」


その後、テスラは全てを残したまま、理由を告げずに研究所を去りました。不思議なことに、彼は設計図や文書の何ひとつ、持っていきませんでした。そして、彼はウォーデンクリフ塔に二度と戻りませんでした。彼の科学者としての人生はここで転機を迎えます。

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その後のテスラについては、断片的な情報しか残っていません。第一次世界大戦の混沌に巻き込まれ、資金がなくなり、ウォーデンクリフ塔は撤去されます。

1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞の候補になりますが、双方これを拒否します。この頃、強迫神経症の症状が悪化して、建物を3回廻ってから入るなど、数字の3に異常な関心を持ち始めます。

1917年、レーダー・システムの原理を公表します。1920年代、レーザー光線を使った強力な兵器に関する交渉を英国政府と行っていたと言われています。1928年、VTOL(垂直離着陸機)の原型を発明して、人生最後の特許を得ました。そして1931年、発電技術に貢献した人物として有名な雑誌タイムズの表紙に飾られます。


アインシュタイン・テスラ・スタイメッツ(1921年)

彼が老後に取り組んでいた研究については、様々な推測がされていますが、戦争に終止符を打つ超強力兵器、時空間や重力に関する思索、アインシュタインの相対理論の批評、量子物理学などにも手がけていたそうです。

1943年、ニューヨーク市のホテルでニコラ・テスラは死去しました。86歳でした。

死後、ホテルに残された所有物や文書は米国大統領の命令でFBIに没収され、最高機密情報として封じられました。彼の発明や特許が兵器製造に使われる恐れがあったからだと言われています。

次の最終章で、テスラの性格や世界観について考えてみたいと思います。