http://www.tapthepop.net/story/27151 から
ミック・ジョーンズがジョー・ストラマーと初めて言葉を交わしたのは、1975年10月のことだった。
ジョーが当時組んでいたバンド、101ers(ワン・オー・ワナーズ)のライブを何度か観たミックは「バンドはひどいが、お前のことは気に入った」とジョーに声をかけたという。
しかしこのとき、ミックの頭にジョーとバンドを組みたいという考えはなかった。
それから半年近くが過ぎた1976年の3月、ミックは新たなバンドを結成しようと動き出していた。
誘いに応じてベースのポール・シムノンをはじめ何人か集まったものの、肝心のボーカルがなかなか見つからなかった。
そんなミックのバンドにジョーを勧誘したのはドラムのキース・レヴィン、そしてミックのマネージャーでのちにクラッシュのマネージャーとなるバーニー・ローズだった。
自身のバンドを続けていくか、あるいはバンドを抜けてミックの新バンドに入るか、決断を迫られたジョーは中国の易経で占うことにする。
結果は「友といるべし」だった。
普通ならそれまで共に活動してきたバンドメンバーを「友」と解釈しそうなものだが、ジョーは新しいバンドのメンバーが自分の友となるのだろうと受け取った。
こうしてジョーは、ミック・ジョーンズらとバンドを組むことになる。
6月1日、ミックやポールがリハーサルをしているところへ、バーニーとキースに連れられたジョーが現れた。
ジョーが当時組んでいたバンド、101ers(ワン・オー・ワナーズ)のライブを何度か観たミックは「バンドはひどいが、お前のことは気に入った」とジョーに声をかけたという。
しかしこのとき、ミックの頭にジョーとバンドを組みたいという考えはなかった。
それから半年近くが過ぎた1976年の3月、ミックは新たなバンドを結成しようと動き出していた。
誘いに応じてベースのポール・シムノンをはじめ何人か集まったものの、肝心のボーカルがなかなか見つからなかった。
そんなミックのバンドにジョーを勧誘したのはドラムのキース・レヴィン、そしてミックのマネージャーでのちにクラッシュのマネージャーとなるバーニー・ローズだった。
自身のバンドを続けていくか、あるいはバンドを抜けてミックの新バンドに入るか、決断を迫られたジョーは中国の易経で占うことにする。
結果は「友といるべし」だった。
普通ならそれまで共に活動してきたバンドメンバーを「友」と解釈しそうなものだが、ジョーは新しいバンドのメンバーが自分の友となるのだろうと受け取った。
こうしてジョーは、ミック・ジョーンズらとバンドを組むことになる。
6月1日、ミックやポールがリハーサルをしているところへ、バーニーとキースに連れられたジョーが現れた。
ザ・クラッシュ結成過程の話。
原文に対して長い引用になってしまいましたが…
占いのエピソードではありますけど、誰と誰が組むとうまくいくみたいな話は、義理易から考えてみてもおもしろそうっすね。
http://www.staringattheson.com/15.php