銀色テントむしで古城めぐり…つくば市「小田城址」 | 軽キャン♪銀色テントむし660

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今週は「長野」!デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントむし(テントムシ)」、「eK-Camp(ekキャンプ)」です。
家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します♪たまに、車中泊しながらお城と新撰組も巡ります。

つくば市近郊に、平成27年末に整備再調査が終わったばかりの城跡があると聞き、ズキマル君と訪問してみることにしました。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

常磐自動車道の土浦北(つちうらきた)インターから国道125号線を西へ7キロほど進み、ガソリンスタンドのある交差点の先200mほど西で分岐するY字路を道なりに1.1キロ、南側に交差点のある十字路を1つ過ぎたT字路を南へ200m進むと正面に見えてくるのが「小田城案内所」です。
ここには駐車場があるので、公共交通機関でのアクセスは少々厳しいものがありますが遠方からの訪問も安心です。
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案内所には、発掘調査時の歴史を物語る遺物や、調査について、そして小田城の歴史について展示されています。
また、15分ほどのビデオ上映を見ることで、城跡のポイントをわかりやすく解説してもらえる仕組みになっています。
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案内所からわずか1・2分歩くと広場として復元された平城(平地に築城された城館)跡にたどり着きます。
つい数年前までは田畑に囲まれた広場だったようですが、改修工事を経て散策道も含めて歩きやすくなったそうです。
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小田城は平安時代末期に平清盛(たいらのきよもり)に対抗した源頼朝(みなもとのよりとも)に従い、鎌倉幕府創設に軍功を上げた、宇都宮宗綱(うつのみやむねつな)の子・八田知家(はったともいえ)が筑波(つくば)郡に領地を与えられて、最近の説として鎌倉幕府創立とされる文治元年(1185年)に常陸守護に任じられ、小田に居館を構えたのが、小田城の始まりとされます。
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築城時期には諸説ありますが、norizoが子どもの頃に鎌倉幕府が発足したとされた建久4年(1192年)に、旧領主だった多気(たけ)氏を失脚させ小田城を築城しました。
八田知家の子・八田知重(はったともしげ)ののち、4代八田氏は領地の「小田姓」を名乗り初代・小田泰朝(おだやすとも)からは以後、小田氏を名乗りました。
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元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡時には後醍醐(ごだいご)天皇の兼務新政府に参加し、南北朝分裂時には南朝方につき重臣・北畠親房(きたばたけちかふさ)を迎えた小田城は関東の南朝派の拠点となりましたが暦応3年(1341年)に北朝軍に攻められて降伏し北朝方に従いました。
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戦国時代、15代城主・小田氏治(おだうじはる)は北条氏・上杉氏の大勢力に圧され、その都度、土浦城に撤退しては小田城を奪い返してきましたが永禄12年(1569年)に佐竹義重(さたけよししげ)に降伏、一度は反旗を翻しますが小田城の奪還は果たせず、慶長6年(1601年)に頼った結城氏が国替えで越前(福井県)に転封となるとそれに従いました。
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城主を失った小田城は、佐竹氏の客将・梶原政景(かじわらまさかげ)や親族・小場善成(おばよしなり)が居城しましたが慶長7年(1602年)に佐竹氏が秋田に移封となり、廃城となりました。
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□小田(おだ)城址
 茨城県つくば市小田2532-2
 (小田城跡歴史広場 ・小田城案内所)
 TEL:029-867-4070
 休館日:月曜、年末年始
 開館時間 確認失念(10:00-16:00頃?)
 入館料:無料
 駐車場あり


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2017/02/11 13:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)