『傷だらけの天使』は 日本のヌーベルヴァーグといわれたどんな作品よりも
もっともヌーベルヴァーグ的なプリンシプル(原則)に従っていた。

しかも撮影所育ちの監督たち(深作、工藤、恩地、神代ら)にそういう資質があったからではなく、

ロックンローラであり、映画オタクの若くしてアイドルになって有名になってしまったアンチャンが 

生意気承知でプロデューサー的存在にのし上がって コントロールしてしまったから

『傷だらけの天使』は テレビ番組作品などではなく 70年代日本の貴重なフィルモグラフィーとして

少なくとも 国立近代美術館フィルムセンターが所蔵すべき作品に仕上がっているのである。

チンタラしていると パリのシネマテークかニューヨークの近代美術館が先に所蔵作品にしちまうぞ! 

あのひたすら 朝飯を喰らう巻頭のシーンは ショーケンの思いつきで

カメラマンも監督も どんなシーンになるか見当もつかずに ショーケンのやるがままを

記録(ドキュメント)したからこそ あんなとんでもないシーンをフィルムに定着させてしまったんだ。

深作ら撮影所育ちが あのシーンにあの井上尭之バンドの曲をあてるセンスはないもの・・・。

ストップモーションであのシーンを終わらせた ショボイ事情も意外だったけど

牛乳を吹くところでカットしたバージョンがこの世に存在していれば もっと面白いだろうな。

でも 結果オーライで あのストップモーションで見せるショーケンのガン飛ばしがよかったのかもしれない。

ショーケンは 人間としては『不器用にしか生きられない』けれど

俳優としては寧ろ『器用すぎる』かもしれない。

なにしろ 中間管理職の悲哀を演じ、ローレンスオリヴィエの「リチャード3世」的に犬将軍を演じ分けてしまう。そんな俳優として完璧主義者、カンペキンパーなんだ。

原則・プリンシプルに対してまるでサムライのごとく騎士の如く 忠誠を崩さない。

目に見える誰かさんに忠誠を尽くすより

目には見えない 偉大なる存在、映画や音楽、芝居の女神としか呼称しえない存在に

ショーケンは忠節を示すのだ。それでいて「俺はペラペラ薄っぺらなんだぞー!!!」と

照れまくる茶目っ気を 忘れないから いいんだ。

『影武者』の勝頼は 『蜘蛛の巣城』の三船敏郎的に演じていたと 思ったいたのだけど、

残念 それは書いていなかった。

ショーケンが 明智光秀を 天海上人だと確信して 大河ドラマで光秀役を演じたなんて

誰が想像しえたであろうか・・・ 前田利家とまつが主役ですからね あのドラマときたら・・。 

その中でショーケンは 明智光秀研究を自力で徹底的にしてしまう。

たしかに 今まで誰が演じた光秀とも 違っていた。しかし 深すぎる。

ショーケンという俳優の深さに付いて行けるプロデューサーも監督も日本映画界におらんのが

辛い限りだ。

それにしても 岡田以蔵は どうしたんだろう・・・。『ショーケン』には 以蔵の件が欠落している。

それが 少し残念だ。


そして 田中清玄をモデルにして 暗殺者に狙われるフィクサーの映画を創りたいと
当のご本人(田中清玄)に申し上げてしまう萩原健一とは・・・・邪気無きゆえに恐ろしき・・である。




☆この人が田中清玄さんです。アメリカが中国と日本が国交回復したのを恨み、

 タナカを潰せ!となって、誤って タナカカクエイをロッキード事件で潰した・・・と云われています。

 鄧小平が 田中さんにお会いしたい、と云って元・首相の前にこの田中さんに会っています。

 文芸春秋社から『田中清玄自伝』が 出ているはずです。'89年に残念ながらお亡くなりになりました。     百二十歳まで 生きているとおもっていたのですけれど・・・。☆

とにかく 『ショーケン』は 期待していた以上に 面白すぎる本だった。

だって田中清玄まで 出てくるし、ショーケンの少し複雑な出生の秘密も演歌的情緒でなく

ロックンロール的な カラッと オ・ト・コの子らしく 客観的に描写していてグッときた。

さぁ 萩原さん やっぱ ショーケンを演じきるしか ないっすよ。

声帯が一日も早く治りますように!そして 『神様お願い』も 映画や音楽のミューズ(女神)に捧げる

58歳のロックンローラーアレンジバージョンで 是非 聴かせてくださいませ!


歩行禅・・・『フォレストガンプ』みたいに そのうちショーケンの後ろに知らない人が鈴なり

となるかもしれませんなぁ。