おやおや、また日付が変わってしまってしまってからの投稿です。(笑)
風邪で寝てました。m(__)m
今日は8日。 8 はピタゴラス密儀では 愛 を表す数字である。
ここで脱線。ピタゴラス密儀では2が女を表す。(更にいうと2は調和・協調をあらわす)
3は男を表す。(更にいうと3は創造を表す)
で、2+3は5なんだけど、これが結婚をあらわすんですね。
だけど、これを更にいうと変化。
6は 2×3で6 なんだけど、 かけ算の方が高尚だと考えられていたんだって。(笑)
だから愛は結婚より、より本質的なものを表す。(まあ、そうかもね。)
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。愛は決して滅びない。」
(コリント人への手紙1.13:4~8)
聖書で、愛について述べられた有名な箇所である。
はいはい、そうですよ。説教くさいな~
と 若いときの私は へそ曲がりで素直じゃなかった。
これがでも、哲学的に分析すると結構すごいことだって分かったのは
年をとってからだ。(笑)
本当に愛することってどれだけすごいことか、
そして生やさしいことではなく、
尊いことなんだってことが
この一節で表現されている。
本当に愛するとき、愛する人を尊重しなければ、それは愛ではない。
尊重するとはどういうことか
相手とのちょうど良い距離をとる、ということだ。
礼儀とは実は相手とのちょうど良い距離をとる、ということなんだ。
近すぎても、遠すぎてもだめ。
これが“礼を失せず”である。
このちょうど良い距離っていうのが難しい。
相手をよく知らなければ、ほんとうにちょうど良い距離なんて
とることなんかできない。
でも逆に自分のこともよく知らないとできないことでもある。
これが“不義を喜ばず、真実を喜ぶ”だ。
相手の本質、自分の本質を見極める賢さが必要になる。
相手をよく知ること
その人が唯一絶対的存在であるというところまで知るということ。
だれもが、ひとりひとり唯一絶対的存在であるのだけれど、
頭では分かっていながら、
そこまで自分や相手を尊重し切れていないのがふつうであるが、
それは愛しきっていない証拠。(痛いね~(^^ゞ)
で、自分も唯一絶対的存在であることが分かれば、
絶対的存在なんだから、
他に比べるものがないから“自慢せず、高ぶらない”。
唯一絶対的存在だから自分が必要としていることは
本来自分にしか分からないことので、
自分が必要としていることを、すなわち自分の利益を他人に求めない。
求めないから、“苛立たず、恨みを抱かない。”
字数制限と
ずっと長くなりそうなので、これは明日以降持ち越し。(笑)
それではまた~♪