おやおや、また日付が変わってしまってしまってからの投稿です。(笑)

風邪で寝てました。m(__)m

  

今日は8日。 8 はピタゴラス密儀では 愛 を表す数字である。

ここで脱線。ピタゴラス密儀では2が女を表す。(更にいうと2は調和・協調をあらわす)

3は男を表す。(更にいうと3は創造を表す)

で、2+35なんだけど、これが結婚をあらわすんですね。

だけど、これを更にいうと変化。

 

6は 2×36 なんだけど、 かけ算の方が高尚だと考えられていたんだって。(笑)

だから愛は結婚より、より本質的なものを表す。(まあ、そうかもね。)

 

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。

 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。愛は決して滅びない。」

(コリント人への手紙1.1348

 

聖書で、愛について述べられた有名な箇所である。  

 

はいはい、そうですよ。説教くさいな~   

と 若いときの私は へそ曲がりで素直じゃなかった。  

これがでも、哲学的に分析すると結構すごいことだって分かったのは

年をとってからだ。(笑)

 

本当に愛することってどれだけすごいことか、

そして生やさしいことではなく、

尊いことなんだってことが

この一節で表現されている。

 

本当に愛するとき、愛する人を尊重しなければ、それは愛ではない。

尊重するとはどういうことか

相手とのちょうど良い距離をとる、ということだ。

礼儀とは実は相手とのちょうど良い距離をとる、ということなんだ。

近すぎても、遠すぎてもだめ。

これが“礼を失せず”である。

 

このちょうど良い距離っていうのが難しい。

相手をよく知らなければ、ほんとうにちょうど良い距離なんて

とることなんかできない。

でも逆に自分のこともよく知らないとできないことでもある。

これが“不義を喜ばず、真実を喜ぶ”だ。

相手の本質、自分の本質を見極める賢さが必要になる。

 

相手をよく知ること   

その人が唯一絶対的存在であるというところまで知るということ。

だれもが、ひとりひとり唯一絶対的存在であるのだけれど、

頭では分かっていながら、

そこまで自分や相手を尊重し切れていないのがふつうであるが、

それは愛しきっていない証拠。(痛いね~(^^)

 

で、自分も唯一絶対的存在であることが分かれば、

絶対的存在なんだから、

他に比べるものがないから“自慢せず、高ぶらない”。

唯一絶対的存在だから自分が必要としていることは

本来自分にしか分からないことので、

自分が必要としていることを、すなわち自分の利益を他人に求めない。

求めないから、“苛立たず、恨みを抱かない。”

 

 

 

字数制限と

ずっと長くなりそうなので、これは明日以降持ち越し。(笑)

それではまた~♪