スージー・クーパー・ストーリー(2) | 英国アンティークス・オフィシャルブログ

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英国の美しいもの、景色、すばらしい人々、そしてアンティークについて英国在住の鈴木ミアが、今の英国の楽しい情報をお伝えしております。

昨日からスージー・クーパーという、英国の20世紀を代表する

陶器デザイナーの人生についてお話しております。


昨日のお話をご覧になっていない方は、まずはこちらをお読みください。


「スージー・クーパー・ストーリー(1)」


スージーの作品は、パリの芸術博覧会で銀メダルを受賞、

自分のアトリエも持ち、スージーの人生は一見軌道に乗って

いるように見えていた、というところまでが昨日のストーリーでした。



一見すべては順調に進んでいるかのように見えたのですが、

その後彼女にとってもグレイ社にとっても大きな問題が

出てくることになるのです。



ラスターウェアの特徴である、光り輝く薄い層のラスターは、

少し使用すると簡単に剥がれてしまうという欠点が露見してしまったのです。

そのようなわけで、ラスターウェアは作られた数が大変少なく、

この時代のラスターはとても貴重な作品になります。



そのとき、スージーはグレイ社の主流商品をラスターウェアから

エナメルの手描きの商品に置き換えることをグレイ社長に提言しました。

これは彼女自身が昔、兄のビジネスを手伝ったときに学んだ

「顧客の要望に応える」というビジネス哲学があったからこそだと思われます。



その後も、スージーの社内での活躍は目覚しく、グレイ社では製品に

「Designed by Susie Cooper」というバック・スタンプを入れることになりました。




そんな成功にもかかわらず、スージーは常に陶器そのもののデザインが

グレイ社ではできないということに不満がありました。また、グレイ社の

セールスが彼女のデザインに口を挟むようになってきたこともあって、

とうとう彼女はグレイ社を去ることにし、独立をすることにしたのです。

それは1929年10月29日、スージーの27歳の誕生日のことでした。


英国・コッツウォルズより愛をこめて


その時代の英国では20代の女性が独立して事業を興すなどということは、

当然ふつうのことではありませんでした。その前代未聞のスージーの

チャレンジは、家族や周りの人間の協力によって成し遂げられるのです。

しかしそんなとき、新たな問題が彼女を襲います。



スージーの27歳の誕生日直前、1929年10月24日(木)ウォール街に

おける株価暴落「暗黒の木曜日」がおき、それが世界恐慌の引き金となり、

あっという間に世界中の経済に大打撃を与えることになるのです。



この世界恐慌はアメリカは第一次世界大戦の戦場にならなかったため、

戦争景気による過剰な貸付や投資が行われていたときの、いわゆる

バブルの破綻が原因となっています。



そんな大不況の中、スージーはビルの一部屋をアトリエに、もう一部屋を

オフィスにして彼女の事業をスタートさせます。



幸運なことに、スージーとともに仕事をしたいという人々が集まってくれました

ので、新しい事業はスムーズに進むかのように見えました。



ところが‥‥また、ところが、です。



またもや新たな難題が彼女に降りかかってきました。それは、不景気の

煽りをうけ、スージーがアトリエ兼オフィスにしていた場所を立ち退かなければ

ならなくなったのです。それは彼女がそこにアトリエを構えてから、

たった3週間後のことだったのです。



そこで作った作品には「Tunstall」のバックスタンプが入っていますが、

それが入った作品はとても珍しい作品となってしまいました。



        英国・コッツウォルズより愛をこめて



1930年3月にようやくスージーたちは新しいオフィスを構えることが

できました。そして再度事業を再開します。彼女たちは、絵付けをするための

陶器を買う必要がありましたが、世界不況の影響がスージー達に見方をしました。

なぜならば、陶器メーカーはホワイト・ウェア、つまり絵付けをするための

白い素地の陶器を販売する必要があり、どの会社もホワイト・ウェアの

低価格競争になっていたからです。



そして、彼女たちが以前のアトリエを立ち退いた4ヵ月後に、新しいアトリエのでの

初めての作品をやっとつくることができました。度重なる苦労に立ち向かう、

スージーのパワーはすごいですね。アーティストとしてだけではなく、ビジネスや

生き残るための知恵を持ち合わせていたのは必須ですね。



その後も、第2次世界大戦中の1942年にアトリエが火災に合い、スージーの

ほとんどのデザイン画が失われ、3年後の1945年にやっと再開できるも、

1957年に2度目の火事で、すべてを失うという、凡人であれば立ち直れないような

経験をしますが、1972年にはその活動が認められ、エリザベス女王より大英帝国勲章を受章します。


しかしそこにたどり着くまでにも財政危機などの問題がおこり、1966年会社は

ウェッジウッドの傘下となり、スージーはウェッジウッド社のデザイナーとして

活躍していくことになります。そしてそこでも人気デザインの、ブラック・フルーツや

グレン・ミストなどの新境地を発表していくことになります。



英国・コッツウォルズより愛をこめて

     スージー・クーパー作、ブラック・フルーツ・シリーズ


英国・コッツウォルズより愛をこめて

          スージークーパー作、グレン・ミスト


いつも前向きに生きてきたスージーですが、1972年に最愛の夫を失くした

2ヶ月後には、ウェッジウッド社も退社し、それから4年間もの間、活動を

停止してしましまいました。彼女は仕事にも生きながらもプライベートな

生活もとても充実していたようです。


英国・コッツウォルズより愛をこめて


先日紹介いたしました、上の作品クラシック・ヴィスタは、スージーが

建築家であった夫とともにデザインをしたものでスージーの傑作とも

言われている作品ですが、それと同時に二人の愛の結晶の作品だとも

言うことができるでしょう。


1986年、スージーは一人息子のティモシーとともにマン島に移り住んでからも

さまざまなデザインをつづけ、「生涯現役」を地で行ったような人生を歩みました。

1995年にこの世を去るまで、彼女は現役デザイナーとして60年もの間、

活動を続けたのでした。言い換えますと、生涯努力の人であったと言えると思います。



デザインがいい、作品がすばらしい、だけでは名を残せなかった、

スージー・クーパーの人生は私たちに多くのことをおしえてくれるのではないでしょうか。


      英国・コッツウォルズより愛をこめて





明日は、スージーがグレイ社時代につくったと思われる美しいカップ&ソーサーを

ご紹介いたします。とてもレアな作品ですので、お見逃しのないように!


今回のスーシー・クーパー・ストーリー、お楽しみいただけましたでしょうか。

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お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。ニコニコ



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