中川昭一氏の幻影2 ‐「中川構想と酩酊会見」‐ | ニューノーマルの理 (ことわり) Powered by Ameba

中川昭一氏の幻影2 ‐「中川構想と酩酊会見」‐

少し前の話になりますが、与謝野経済財政相が

「米国債は世界中の人が欲しがっている債券。日本が持っている米国債もとびきり上等な債券だ」 と語っており 、野田財務相も

「米国債は我々にとっても引き続き魅力ある商品だ」と語っている。 


簡単に言うと、米国債の見通しに暗雲が立ち込めたところで、日本の金融トップが米国債を持ち上げた、という話。 不自然なくらいの「ヨイショ発言」のように思えた訳ですが、そういえば、米国債と日本の歴代金融トップというと、2年前の2009年には奇妙な事件が相次いだ。それらの事件もこれらの発言に関係しているように思える。


自分は、復興資金として外貨準備を活用すべき、と言っている1人ですが、先日には植草一秀氏も同様の事を述べられていた  「ドル建て資産がインフラ資産に振り替わるだけ」(植草氏)という事なのですが、この差は「天と地ほどの差」があるといっても過言では無い。 現在の金融当局トップにそんな気はさらさらないのだから、結局は無駄な事なのかも知れませんが、そういえば以前にはそんな「ゴマすり大臣」たちと真逆のスタンスを採る金融トップがいた。


09年の10月に自宅で死亡が確認された中川昭一氏は、アメリカや「米国債」に強気なスタンスを貫き、自らの哲学に殉じた政治家だった。今更ながらの古い話になりますが、今現在の「おべっか金融トップ」と比較すると、彼の事を忘れるはずも無い。

以下の話は散々語られた内容なので、「何で今更?」と思う方もいるかとは思いますが、そういう方はスルーして頂ければ、と思います。



米当局と中川昭一氏


09年は(米国債絡みの)奇妙な事件が起こった年になる訳ですが、伏線はその前年(08年)にあった。簡単に言うと「アメリカVS中川昭一財政金融大臣」という事になるだろうか。08-09年の各サミットでは、当然ながら「金融危機対応」がテーマとなっていた。


リーマンショック直後の08年10月10日に、G7財務相・中銀会議がワシントンで開かれた。 故・中川昭一財政金融大臣は、その場でポールソン米財務長官に対し、

「金融危機を甘くみないで欲しい。今回、日本は米国を助けない。米国は今回の危機に対して、自国で処理する事を期待する」と発言した。

翌11日の「IMFC」(国際通貨金融委員会)では、IMFに対して「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに融資する用意がある」と通達(1000億ドル)している。 ご存知の方も多いかと思いますが、当時この外貨準備を使用した融資計画は「中川構想」と言われていた。


以下「中川昭一/Wikipedia」から。


○この時の麻生内閣はIMFへの緊急融資について、「IMFが市場で資金調達をするための担保として米国債を提供し、日本政府は財政負担なしに利益だけを得られる」と説明している。

○会見の前日、中川大臣は「日本政府は、1000億ドル(9兆円)をIMFに拠出する」として、IMFのドミニク・ストロス・カーン専務理事と調印式を行った。これにアメリカは怒った。すでに自分たちアメリカの金だと思っている、日本の外貨準備高1兆ドル(90兆円)のうちの1割を、チェコやハンガリーを緊急で助ける資金として日本が分け与えてしまったからである。(以上ウィキペディア)


 ニューノーマルの理

当時、日本がIMF融資を決定する以前に、アメリカから(金融危機を乗り越えるために)数1000億ドルから1兆ドル規模の米国債購入を日本が迫られ、中川氏が買い取りを拒否した、という話が出回っていた。

この話が本当だったとすれば、中川財務金融大臣はIMF経由での世界貢献を選んだ、という事なのだろうか。 だとすると中川氏は国民負担を避けるために外貨準備(米国債)を活用したという事になる。


国内から見ると英雄的行為に見えるそんな中川氏の行動は、一方のアメリカ側からしてみると、「値切られた挙句に、米国債提供」という事を公的に宣言された事になる。アメリカにとっては、この上ない屈辱的な出来事だった、と言えるかも知れない。


その1ヵ月後の11月14日には、歴史上初めてのG20 がワシントンで開催された。 

これは、リーマンショック後、拡大する世界的危機を、先進国に新興国を加える事で乗り切るという意図の下に開かれた。この歴史的なサミットにおいて、中川氏はIMF改革や新興国支援を唱えた訳ですが、その一方でアメリカの放漫財政を公然と批判した事も、既に知れ渡っている。


そんな「中川構想」が実現したのが次の年、「09年2月13日」。

IMFへの最大1000億ドルの融資で正式締結-中川財務金融相が署名


 ニューノーマルの理

日本の外貨準備を活用した最大1000億ドル(約9兆円)の緊急融資制度について正式に締結した。中川財務金融相とストロスカーンIMF専務理事が同市内のホテルで署名式を行った。(本文)


「日本はアメリカを助けない」 「アメリカは自国で処理する事を期待する」 「米国債を提供」等、何かとアメリカに楯突いてきた中川昭一氏をアメリカ当局がどのように思っていたかは容易に想像が付く。

更に、06年当時より「日本の核武装議論」を大いに促していたのも彼だった。それらの事もアメリカにとっては見過ごせない発言だったように思える。


そんな中川構想が実現した「次の日」、2月14日に事件は起きた。言ってしまえばアメリカ側(CIA?)の刺客によって辞任に追い込まれた、という話になる。


当時、日本のマスコミは本来の仕事である「事実の追究」という仕事を放棄し、この事件を面白おかしく騒ぎ立て、中傷に中傷を重ねた。TVマスコミに追従した一般国民も多かったように思える。

しかし事実はどうだったか?中川氏はその国民の為に必死に戦っていた、とは考えられないだろうか。


中川昭一氏の幻影 ‐ポンテキアッソの霹靂‐ に続く。