鎌倉幕府ができたのは、「いい国つくろう」か「いい箱つくろう」か、どっちの説が正しいの?(おさらい | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

これは「説」ではなく、「解釈」です。
事実関係を争っているわけではなく、「この事柄の歴史的意味を、どう解釈するか」という問題なのですから、どちらかが正解でどちらかが間違い、ということはありません。
鎌倉幕府 」という言葉は、実は当時、ありません。これは後世になって名づけられた、いわば「歴史用語」です。当時の人々は、鎌倉に出来た新しい組織が、一体なんののか、何とよぶべきか、リアルタイムではまだよく分からなかったでしょう。この組織は、いわばなしくずしにできあがっていったものなので、「今日、幕府をはじめます 」的なことを宣言した年月日というのは、存在しません。
とはいえ、この政権に「鎌倉幕府」という名前をつけた後世の歴史学者は、それが「何年にできて、何年になくなった」ということを一応決めとないといけないわけです。教科書に書いて子供に教えるときも、不便です。
この政権は、どうやら「征夷大将軍 」の肩書きを持つ者が形式上のトップとしている。将軍が遠征した先で幕を張って臨時政府をつくって軍政をおこなうのを「幕府 」と呼ぶ、なら、この組織は「鎌倉幕府」と呼ぼう。従って、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた時点が、幕府のスタートだ。
ということで、いい国作ろう鎌倉幕府、というのが一応、決まったわけです。
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しかし現実には、頼朝が「将軍」と呼ばれるようになるかなり前から、鎌倉には関東独立自主政権 がすでにできていて実際のところ権力を行使していたわけで、ならば1192年にはあんまり意味がないんじゃないか、と言われるようになってきました。

この背景には、「鎌倉幕府と言われている組織の「存在意義」は何か、というのを、改めて考えてみようよ」という風潮がでてきたことが大きいです。

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大きく言えば、日本が終始変わらぬ「天皇中心の国家」であるという大前提で物事を考える人(少し昔はみんなそうだった)は、「天皇からどんな肩書きに任命されたか」というのが一番大事だ、と考えがちです。
でも、そういう形式論じゃなくて、「鎌倉幕府(仮)の権力の源泉は何だろう」という本質を考えたとき、「全国に守護地頭を設置する権利を京都に認めさせた、ここがターニングポイントだろう」という意見が、強くなってきた。だから、「鎌倉幕府と後世呼ばれるようになる政権は、1185年にできた、ということにしましょう、一応」ということになったんです。
あくまで一応です。鎌倉政権は「だんだん出来上がっていった」というのが正しいんで、ホントはスタートの年月を決めるのは無理なんですけど、一応きめとかないと教科書も作れず不便なんで、こうなりました、というだけのことです。