「征夷大将軍になると、幕府が開ける」という言い方はホントウでしょうか? いいえ違います。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 お台場の「アクアシティ」は、いまやフジテレビのブランチのようなかたちで盛り上がっています(すぐ向かいにあって渡り通路もあるし)。が、もともと「アクア(水)」ですから、水族館的ディズプレイにこだわりもあるようです。いま、「こびとずかん」コーナーもありまして、水族館の水槽っぽいデジスプレイが・・・うーむ、これはカワイイのか?

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 で、歴史のはなしつづき。

 「源平合戦」というのを源氏と平家の戦いであると思い込んでいるうちは、見えないものが沢山あります。「義経は、なぜ謀反人とし討伐される羽目になったのか」というのもその一つ。彼が「平家を討った英雄」とすればあまりに理不尽ですが、「鎌倉政府のほんとうの目的」を大前提に考えれば、当然の話なのです。歴史は「少年ジャンプ」のマンガみたいな話ではありません。たいていは。


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 「鎌倉幕府」という存在も、いままでの常識が邪魔して「なんだかヘンなふうに理解されているもの」のひとつです。従来、「頼朝は、自分が京都にのぼると、平家と同じく公家になってしまい武士らしくなくなると考えたので、あえて関東に政府を作った」と説明されていました。そのとおり、間違いないんですが、実はこれも順序が逆です。頼朝は最初から「関東独立政権を作るために担ぎ出されたのだから、関東に政府をつくるのは当然」で、最初から京都にのぼる発想なんかなかったわけです。

 「いいくにつくろう鎌倉幕府」といのうが、今は教科書でも通用しない、というのはよく言われます。つまり、「幕府の成立は、頼朝が征夷大将軍になった1192ではない」ということになってるんです。

 昔の本には、「征夷大将軍というのが幕府を開く資格であり、頼朝はそれを欲しがった」というのもよくいわれますが、これも実は嘘です。


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 「源平合戦」というのが源氏対平家の戦いではないという証拠?の一つが「木曾義仲」の存在です。子供のころは「どうして源氏チームのなかで仲間割れするんだろう、悲しいなあ」なんて思ってましたけど、そんなもんじゃあないんです。いわば「関東」と「甲信越北陸」の主導権争い、というべきでしょうか。みんな必死なんです。

 その義仲は、頼朝より先に「征夷大将軍」に任ぜられていた、という説があります。そうだとすると、実は先に「幕府を開こう」としていたのでしょうか?

 という話をあしたします。