信長が光秀をいじめたのが本能寺の原因だ、って、それは気の毒だろう、光秀に。 | えいいちのはなしANNEX

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信長が光秀をいじめた、というエピソードは、すべて、後世の作り話です。
一般庶民は、「いきなり謀反なんかするくらいだから、きっとなんか、すっごい苛めてたんだ、そうに違いない」と空想して、ありがちなイジメ話を作り上げるんです。


それが講談やら歌舞伎やらテレビドラマやらで繰り返されているうちにみんな信じちゃうんですが。「忠臣蔵」で浅野を吉良がイジメていたというのがウソなのと同じです。
じゃあ、なんで謀反したのか。たぶん信長と光秀の「国家観」の違いです。
古いものを全てぶっ壊して新しい国を作ろう、という信長のやりかたに、古きよきものは守りたい、守んなきゃいけないと考える教養人の光秀が、どうしてもついていけなくなった、ということです。
もともと、足利義昭を信長のところに連れてきたのは光秀です。
天皇が尊敬され、幕府が権威を取り戻し、正しい仏教が信仰され、日本から戦争がなくなる、そういう世の中を光秀は望んでいた、はずです。
しかし信長は、そういう古い権威を全て否定して、焼け野原の上に何か得体の知れない国を作りあげようと驀進しています。
どこかで止めないと。言っても聞いてくれないなら、殺すしかありません。
こんどの大河ドラマ「軍師官兵衛」も、こういう感じで作られていました。小朝、かなりよかったです。
信長がホントに天皇制まで否定しようとしていたかどうか、証拠はないのでもはや分かりません、が、方向性としては「本能寺の理由」としては、こっちでしょう。
イジメとか好き嫌いとかで歴史を動かすようなヤツと思われたら、光秀が可愛想ですよ。