そうはいうけど、なんとか定信をもういちど御三家か御三卿の養子にすれば将軍の芽も・・・? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 蛇足ながら、さきほどの話 のつづき。

 「松平定信はたとえばもう一回、御三家か御三卿の養子になれば、また将軍候補になれるんではないか?」
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 それも、ないです。ご三卿というのは将軍の息子や弟で「とりあえず行き場のない者」が住む屋敷の名前に過ぎません。「家」ではなく「屋敷」。ハウスであって、ファミリーではないんです。ですから、すでに「白河藩の殿様」という居場所のある者を持ってくる必要はありません。「田安家」を復活させるにしても、田安家の血筋を引くものでなければならない、という考え方はないのです

 では、御三家の養子はどうか。

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 残念ながら、御三家の可能性は、もっとありません。

 御三家は、御三卿とは違って、本質的に領地を治める大名です。当主がいなくなるとか存続しない、というのは困ります。だから、それぞれがたくさんの分家を持ち、本家の当主がいなくなればそこから補充するような「ミニ御三家」ともいえる体制を作っています。これを「連枝」といいます。

 (これは、ほかの大きな外様大名だって、同じです。たとえば篤姫の生家の今泉島津家、みたいな)。

 だから、潜在的な「御三家継承権者」の一万石、二万石の大名は全国にたくさんいるわけで、現に吉宗自身が、そうした経緯で「分家→紀州藩主→将軍」というステップで登り詰めたのです。
 つまり、御三家には「養子候補」が大勢いるのです。わざわざ、他藩の当主をやってる定信に白羽の矢を立てることは、ありえません。

 しかも現実には、将軍家斉が生んだ数え切れないほどの子供がいます。彼らも御三家、御三卿の「空き」を狙ってひしめいています。御三家の分家を押しのけて尾張や紀伊の養子に次々に息子を押し込む将軍家。定信に出番はないです。
 徳川の男系子孫が全部いなくなり「サア、将軍の跡継ぎが誰もいない、大変だ」という事態は、まず絶対に起こらない、ということです。

 素直に老中目指したほうが、絶対に、いいって。