奇蹟の詩 ~サード・ミラクル~ | 映画を観よう

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ハピネット・ピクチャーズ
奇蹟の詩 ~サード・ミラクル~

アメリカ 1999年

エド・ハリス、アン・ヘッシュ、アーミン・ミューラー=スタール、マイケル・リスポリ


製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ

監督:アニエスカ・ホランド 

脚本:ジョン・ロマーノ



【ストーリー】

1979年シカゴ。聖スタニフラス教会にある聖母像が血の涙を流し、マリアという少女が末期の皮膚結核から回復し、瀕死の状態にあった青年の白血球の値が変わるとい奇蹟が起こったという。

フランク・ショア神父(エド・ハリス)は、過去にある事件を調査し、人々に奇蹟を起こしたファルコン神父の不正を暴き、「ミラクルキラー(奇蹟つぶし)」と呼ばれていた。フランク自身が奇蹟を待ち望み、不正を暴いたことで自らの信仰の危機に陥っていたのだが、ケイヒル司祭(チャールズ・ヘイト)は、彼こそこの奇蹟の調査に適任と、フランクを呼び戻したのだ。

聖母像が血の涙を流すようになったのは、死ぬまで修道院で暮らし、多くの人々に慕われ尊敬されていた一人の女性、ヘレン夫人が死んだ時からだとされていた。ヘレンの娘・ロクサンヌ(アン・ヘッシュ)は16歳で自分を捨て神のもとへ行った母親が聖人になるのか?と疑問を持ちつつも、フランクに惹かれていく。真相を調査するなかで、フランクもまたロクサンヌに惹かれるのだが・・・・。




まず、最初に・・・

宗教的要素が強いので、万人受けはしません。

全米では一部限定で公開。日本では劇場未公開だそうです。


ですが・・・

エド・ハリスの見事な演技にひきこまれてしまいます。


彼のアイスブルーの瞳が、冷たさではなく迷い戸惑い奇蹟を願う人間らしさに溢れていました。


カトリック教会の神父でありながら、ロクサンヌに惹かれ、ついに。。。というところで、神父としての世界に引き戻されます。結局、フランクが選ぶのは信仰の道。

ロクサンヌを演じるアン・ヘッシュの、切ない演技に「なんで??そんなに大切なの?彼女を愛するよりも??」などと、キリスト教信者ではない私は単純に思ってしまいました。

(カトリック教徒の場合、神父は一生独身なのです・・)


ヘレンが聖人として認定されるかどうか?ヴァチカンが任命した認定委員会では、ドイツ人大司教ウェルナーだけは反対を唱えるのだけど、この親父が(失礼・・汗)どうにもガンコ者。理に叶った頑固者ではなく、どうもフランクの信仰心に対して不満があるし、アメリカ人が聖人になれるのか?みたいなバカにしている節がチラホラ・・・いいのかなぁ??そういうんで・・・と不満に思ったりして。


けれども、その大司教が「私は奇蹟を見た事がある」と言ったところから、あ~なるほど!!と映画の冒頭のシーンがリンクしてくるんですが・・・。なかなかその奇蹟のことを言わないもんだから、イライラしたりしました。


結局、3つめのミラクルを待つというところで話は終わっているのですが、意味ありげなラスト。あれはなんだったんでしょう?見た人の受け取り方だと思いますが・・・私はそこにミラクルがあったのかなぁ?と思ったりもしました。




【蛇の足】(間違えている場合は、ご指摘ください)

聖人とは?
教会から公式に聖人の称号が与えられている人。

聖人はイエス・キリス トを模範として生き、生涯を神に委ね、神の意志に従って生きた人。善行を行い、2つまたは3つの奇蹟を起こした人。

どのようにして聖人と認められるのか?
聖人として候補にあがった人は、調査(列福・列聖調査)の段階で神のしもべ、尊者と宣言されます。 その調査に通ると、福者の称号が与えられます。その後、認定委員会により詳しい調査と認定のための話し合いが行われます。 そして、聖人にふさわしい人物ということになれば、ローマ教皇が聖人に加えること を宣言し、荘厳に列聖式が行われます。