判例時報2214号で紹介された事例です(神戸地裁平成24年7月31日判決 ・請求申立日は同年4月6日)。
人身保護法に基づく人身保護請求というのは,本来,政治犯が理由もなく権力によって身柄拘束されたような場合に裁判所によって身柄を解放させるというようなケースが典型的なものとして想定されていたのでしょうが,現在においては,夫婦・父母間などで子の引き渡しを請求するための根拠として使われることがほとんどです。
本件は,日本人男性(父親)が中南米A国籍の女性(母親)との間で事実上の婚姻生活を開始し,現地で出生した子ども(本件審問手続終結時点で5歳6か月 人身保護法おいては,被拘束者(子)には国選で代理人が付けられることになっており,本件でも弁護士の国選代理人が付いています。)を日本に連れ帰ってきたことから,母親が,人身保護請求したというものです。
本件は,ハーグ条約の適用対象以前の事案ですが,現在であれば,同条約の適用対象事案として判断がされることになります。
判例上,人身保護請求が認められるかどうかの判断枠組みは次の(1)(2)のように固まっています。
(1)拘束者(子どもを現在手元に置いて育てている者)に親権や監護権といって監護権限が認められる場合は,現在の監護状態は適法となり,原則として人身保護請求は棄却となります。
(2)請求者に親権等の監護権限があり,拘束者に親権等の権限がない場合には,原則として人身保護請求が認められ,子は請求者のもとに返されるという判断になります。但し,例外的に,子を請求者の手元に反した場合,子の幸福の観点から著しく不当となる場合には請求が認められるということになっています。
本件では,母親と子はともにA国籍であることから,監護権限の有無についてはA国法に基づき判断されることになり(法の適用に関する通則法32条),そりによると,婚姻していない本件において,父親には親権がなく,子を監護する権限はないとして,上記(2)の判断枠組みで判断されるものとされました。
そして,父親が子を日本に連れ帰った際,母親には「子の日本国籍を取得するため」と言って連れ帰ることを母親に同意させており,日本への連れ帰り自体は同意に基づくものとして適法であったとしても,その後,母親が同意を撤回した以上は,同意撤回以降の監護は権限に基づくものではないとされました。
そして,例外的に,子を請求者の手元に反した場合,子の幸福の観点から著しく不当となる場合となるかどうかについて次のような事情を挙げて,例外的事情があり,本件人身保護請求は棄却という判断となりました。
・母親の養育について,子の目の付近に大きな傷ができていても特に気に留める様子もなかったことなどから,母親の監護によっては適切な養育を受けられないという危惧がある。
・母親側は,A国の国立児童福祉機関が,母親について適切な養育を行っているという立証などを行いましたが,同機関の調査によっても,周辺住民は母親との付き合いがそれほどなく,母親の監護状況を詳しく知る立場にはなかったことが窺われる。
・母親側が提出した収入についての資料は,母親の姉が作成したもので,その内容はすぐには信用しがたい。なお,母親は,正式に婚姻している日本人夫からその間の子の養育費として高額の養育費を受け取っているが,それがいつまで続くものであるかは疑わしい。
・子自身の気持ちとして,両親には仲良くしてほしいとは願っているものの,A国には戻りたくないという意向を示していること,母親よりも父親に慣れていること,このまま日本で生活していきたいという希望をもっていることなど,子が約5歳6か月という幼児であることや幼児が迎合的な態度を示す可能性があることを割り引いたとしても,その意向を全く無視することは妥当ではない。
・父親の監護については,その祖父母の監護が期待できることや経済的にも母親に劣るとはいえない。
・臨床心理士の判断によれば,少なくとも急に母親の請求に応じてその手元に戻すことはこの知的発達や情緒発達に多大な悪影響を及ぼし得るとされている。
事件としては完全な家事事件なのですが,人身保護請求事件の管轄は地裁であるため,家裁の調査官の活用といったことはできず,裁判所としても色々な資料集めにも苦労したのではないかと思います。
本件では人身保護法上の不服申立手続である最高裁への上告がされましたが上告は棄却となったということです。
ハーグ条約においては,不法な連れ去りについては原則として元の「監護国」(親ではありません)に子を戻すということになっており,人身保護請求において請求者(親)のもとに戻すというのとは判断要素が異なるところもありますが,判例時報の解説において,同条約の処理に当たっても少なからぬ意義を有するものとして紹介されています。