教育実習雑感 | ふじなまさきなまの「俺は強い」

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偉そうに「俺は強い」と威張っているように見えるかもしれませんが、弱いから、強くなりたいからこう言ってるのです。「そうなりたい」と願う「アファメーション」です。

「教育・体育科教育」なんてテーマで久々に書いてみようかと思う。


先週で終了した「教育実習」。

附属でやる実習は厳しいと評判のようであるが、そうかなぁ、と思う。

昔話をするようになっては「歳」なのかもしれないが、せざるを得ない。


我々の時は4週間である。

で、保健以外に実技を3種目持った。

バレー、サッカー、柔道。

そんなのが当時は当たり前である。

で、そりゃ大変であった。

大学に入って初めて真面目に一生懸命勉強したと思う。

そんなことは今も昔も変わらないだろう。

だから、そんなことは実はどうでも良い。

誰しもそんなきっかけから勉強をするようになる。

それで良いのである。


ところが、今回は大変なことに気づいてしまった。


それは、はっきり言ってしまえば 文部科学省に対する批判 になるのだが、

言わずにはおられない!


何か。


教生の実技能力の低さ である。


勉強は今回のことをきっかけにやっていけば問題はない。

生徒とのやり取りも場数をこなして慣れていけば問題はない。


ところがである。


22才くらいの彼らが、これから実技を練習して、どの程度の上達が期待できるだろうか?


専門種目以外の実技が、はっきり言って 下手!

途中で 業を煮やして、 バレーの実技講習会をやったんですわ。

そうしたら、連中の下手なことったらない!

高校生の授業に参加させても、


間違いなく 見劣りする!


こんなことを参観に来て下さった 大学の先生と ぶっちゃけ 話をした。


すると、


大学の先生達も困っているとのこと。


センター試験になり、「体育」を目指すからではなく、

点数が これくらい だったから 筑波の体育に行く と言う奴が増えた。


そんなことを以前は聞いた。

それはそれで問題だろうと思っていたが、

今回はそんなモノではない!

みんな「体育」の勉強をやりたくて来ていても、実技能力が低いのがいるというのだ。


原因はどうやら 「種目選択制」 である!

何年か前に、「体育嫌いを無くす方策の一つ」として、

文科省が打ち出した「中学校時代から種目選択制でやるように!」との指示である。


こんなところにまで波及するとは思いもしなかった!


そもそも TF では、高校3年生になるまで 体育での種目選択制 は採用していない。

ま、語弊があるので言えば、スポーツ大会用の授業の際に、僅かながらも1年から選択させている。

それだけである。

理由は簡単。

文科省の方針に反対だからである!


まあ、そもそも、体育が好きな連中ばかりいるような学校だからこんなことを言ってられるのかもしれないが、

中学生の時から 「自分が好きな種目だけやっていく体育」 なんてものがあって良いはずがない!

文科省の指示はそうである。


「バレーが好きな子は、中学3年間、ずっとバレーを頑張りなさい。」


確かに聞こえは言い。

自分で好きで選んだのだから、一生懸命やるかもしれない。


でも、そんなので良いのだろうか?


TFでは、1・2年はいろいろやらせる。

種目は指定されている。

バレーが好きだろうが、サッカーはやらなければならない。

暑い夏だろうと、柔道をやらなければならない。

倒立前転ができないと泣こうと、マット運動をやらなければならない。

バタフライだか、溺れているんだかわからない状況でも、100m個人メドレーを泳がなければならない。

泳げない子は、夏休みの最初に 「水泳補習授業」 に招待される。


その経験から、いろいろなことを学び、

いろいろなことができるようななる。


体育とは、そういうモノではないだろうか?


イヤだからやらない。

好きだからやる。


それだけでは、様々な体の機能は正しく身に付かない。


つまり、もう、その世代が大学生になっているのだ。


「はい、バレーはやったことがありません。」


平気で言うのですよ!

ありえないっしょ!!


昔から、球技は得意だけど体操系はダメ。

とか、その逆は何人もいた。

190以上あるような連中は 「蹴上がり」 に苦しみ、「倒立前転」に苦しんだ。

筋肉質で皮下脂肪が無くて浮かない連中は、海での「立ち泳ぎ」に苦しんだ。

その横で、190以上ある奴は海底につま先が届いていたりする^^;


でも、根本的には、子供の頃から様々なスポーツ種目に触れ、体育では 跳び箱も、鉄棒もやらされていた。

遊びでもいろいろやって来た。

だから、生徒の前で見本を見せるには、そこそこ形になる実技能力を持っていた。


ところが、今の大学生たるや、見本に耐えない!


悲しい。


これは 学生達が怠惰な学生生活をおくってきたからではない!

そうなるべくしてなってしまったのだ!

そのように育てられてしまったのだ!

これは、彼らのセイでも、大学のセイでもない!


はっきり言って、そのような政策を打ち出した、文科省 の責任である!


きっと、文科省には、勉強はできたけど、体育はできなくて辛い思いをした方々しかいないのかもしれない。

そんな人たちも犠牲者である。

イヤな思いしかさせられなかった体育の授業をやった体育教師の責任である。

「体育科」の本当の存在意義を語れなかった体育科教員の責任である。


これは本当に困った問題である。

「専門種目しかできない体育教師」


これはまずいことになった。


世の体育科教育に関わる全ての人間は、

このことを重要視して考えていかなければならない!


小学校・中学校・高校 での体育が、将来の体育科教員を作るのだ。

そこがいい加減になれば、将来の体育科教育は無い!


教科選択制が進み、体育が選択制になるとしたら、

必修から外されるとしたら。


世の体育科教師は喰いっぱぐれることになる。


じつは、そんな レベルの低い話ではない。


日本中が まともな運動能力のない人間 ばかりになってしまう。

これは はっきり言って、日本における人類の危機 である!


現在の都会は、只でさえ、人間の運動機能を衰えさせる方向へと動いている。

幼児期の子供達の運動機会は失われ、室内遊びとゲームボーイに形を変えている。

人間が本来持っていた運動能力は、

大部分が 遊び の中で作られていた。

そして、子供の頃からの、少しの労働の中で作られていた。

それが減少し、体育の必要性を増大させた。


にも関わらず、体育科がこのような衰退する状況を呈していっては、どうなるのだ!


今度、教育実習生の反省を大学の先生達とやるときには、

この問題を強く訴えようと思う。

で、大学から文科省に、それ以上に強く訴えてもらいたい。



ここへ来て 「土曜日に授業をやっても良い」 とか言い出した始末!


誰が 土曜日を休みにしろと言ったんだ!

現場の教師は 一言も言ってないし、そのお陰でどれだけ困ったことか!!


まったく、美しい日本 は良いけれど、

教育をもっとまじめに考えてくれなきゃ困りますよ!


何タラ教育会議も、有名な元不良教師や飲み屋の社長を入れて、何になると言うのだ!?

そんなに考えさせるくらいなら、現場の教師の意見を聞け!



教育実習生達よ、お疲れさまでした。

現場は大変なんだから、これからももっと勉強し、トレーニングし、身体を動かし続けるのだぞ!