母を、「恥ずかしい」と感じる年頃(2)・・・甘いオムレツ | よしだ教室 授業ダイアリー                                                   

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授業で出会った子供達の言葉、表情、そして児童文学の紹介など、
小学生をお持ちのご家庭に情報を提供していきます。
また、子供達の社会環境や自然環境についても発信し、皆さんとご一緒に、子供達の生きていく時代を考えていきたいと思います。

シンガーソングライター・小椋佳さんの唄『甘いオムレツ』に、こんな歌詞がある。(太字は吉田による)


      酒と祭りと喧嘩大好き
      絵に描いてような江戸っ子だった
      宵い越しの金もたず
      計画を立てぬ買い物
        
あなたにはらはらした10歳

               子供らが喜ぶという理由だけで
               料理にはやたら砂糖を注ぎ込んでた
               甘いカレー 甘いオムレツ

      知性教養理屈を嫌い
      好きと嫌いの感情まかせ
      理不尽な正義感
      身びいきな溺愛綴る
   
    あなたを恥と見てた15歳

      商売が好き芸事が好き
      人間が好き賑わいが好き
      大勢に慕われて
      振る舞いは見事身勝手
   
    あなたを見直してた20歳

               母として理想的かは知らないけど
               懸命に愛のしるしを注ぎ込んでた
               甘いカレー 甘いオムレツ

      甘くなければカレーじゃないし
      甘くなければオムレツじゃない
      そう思う僕たちは
      紛れなくあなたの息子
   
    あなたを失ってた25歳


小椋佳さんは、『シクラメンのかおり』(布施明)や『愛燦々』(美空ひばり)などの作詞・作曲でも有名だが、

上に紹介した『甘いオムレツ』は、ご自身の母親を歌った曲である。



私の授業で4年生達が書いてくれた「母親が子育て以外に、夢を持つこと」を読んで、ふと、頭に浮かんできた唄だ。そのことは、以前のブログにも書かせてもらった。ダウン

  母を、「恥ずかしい」と感じる年頃 http://ameblo.jp/educa-zidoubungaku/entry-11249448190.html

              小椋佳さんが歌う『甘いオムレツ』をお聴きになりたい方は、こちらでどうぞ。ダウン

                    小椋佳『甘いオムレツ』 http://www.youtube.com/watch?v=BibF8fy6OSo



思春期の少年が、母親を「恥」とまで感じたのは何故か?

また、その感情は、どのように克服されていったのか?

・・・・・・・・・・

失礼とは思いつつ、私は、一つの「典型(?)例」として「小椋佳」の少年時代を調べようと思った。


そして、こんな本を入手してしまった。

        ダウン
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唄の『甘いオムレツ』と同じタイトル。


唄のアルバムは2000年7月発売。

この本は2000年9月の初版。


小椋佳さんの実弟からの依頼で、

脚本家・山根三奈さんが、

何人もの人達から取材し、

それを基に、370ページの物語に書き上げたものだ。


勿論、この物語の後半には少年・小椋佳さんも登場する。

本名は、神田紘爾(こうじ・物語では紘治)。

紘治の15歳までが描かれる。






紘治は、1944年に東京・上野に生まれた。

生家の眼の前には松坂屋があった。

下町の繁華街である。


紘治の母は、少女時代に、浅草で、せんべい・キャラメル・餡パンなどを売り歩き、両親の家計を助けた。

そして、16歳のときに「シングルマザー」となる。

「男はみんな兵隊にとられる」「女だって、一人で生きていく覚悟してなきゃ、やってられませんて。

強くならなきゃ。女だって。」と言い聞かせながら生きていく。

やがて、紘治の父が商っていた「一杯飲み屋」の「まかない」に入り、再婚する。

商売好きの彼女は、店を切り盛りしていく。

紘治はそんな中で生まれた。

紘治の誕生した1年後に、店は大空襲で焼失するが、

戦後いち早く開店し、戦後の下町の「飲み屋」として大繁盛してゆく。


1 15歳の紘治は、なぜ、母を「恥」と見たのか?


小学校に上がった頃から、紘治は、両親の生活態度の違いに戸惑い始める。


母は、30人もの従業員の下着一式を、松坂屋でまとめ買いするような性格。

情にもろく、計算ができない。だが、そんなやり方だったから、店は客に人気があった。


父は、物静かなタイプ。

琵琶を奏でるのが趣味だが、その琵琶を買うことさえためらうほどの慎重派だ。


紘治の両親は、毎月口論した。

多額が記載された請求書を知り、妻の乱費をいさめる夫。

居直りに近い勝手な「論」で、自分を正当化する妻。


紘治が、母を恥と感じる前提には、幼い頃からの、こうした母親の姿があった。

あなたに はらはらした 10歳」だったのである。


そんな紘治は、ある日、ついに両親に、こんな捨てゼリフを吐く。


バカヤロー! 誰がこんな家に産んでくれって頼んだよ。

字もろくに書けないような親なんて、みっともないよ。死にたいよ。

産んでくれなくて良かったんだよ」(前掲書P.316より)


この時ばかりは、物静かな父親が、紘治を殴り飛ばした。

この日から何年も、紘治は両親に心を閉ざす。


そして、友人に、母親をこんなふうに評する。


『最低なんです』

 字は読めない。教養が無い。商売の事しか知らない。儲けを度外視した歓待をするかと思うと、

 間違えたふりをして、お銚子の数を増やして勘定に上乗せする」(前掲書p.327より)


あなたを 恥と見てた 15歳」だったのである。



アメーバ 実は、こうした「紘治」の感情に、私は、とても懐かしさを感じる。

私にも、紘治ほど強くはなかったが、同様の感情があった。


俺なんか、産んでくれなくて良かったんだよ!

そんな事、やめてくれよ!みっともないだろ!


今思えば、自分自身の中にある「どうしようもない状況」への苛立ちだった。


自分自身が、どういう人間なのか?

「自分」という人間が、依って立つべき自分は、どこに居るのか?

そんな苛立ちで、「自分」とは異なる、両親の生活態度や価値観に「八つ当たり」したのだ。


勿論、私と「紘治」とは生きていた時代も、生活環境もかなり異なる。

だが、共通する、こうした感情の有り様は、「思春期」特有のものに思えてならない。


今、私の教室に通う4年生達への私の「思い」の中に、(彼らには申し訳ないが)

私自身の「思春期」を、今更ながら探りたい・・・という気持ちがあることは、確かだ。



2 紘治の、母を「恥」と見る感情は、どうやって克服されていったのか?


唄の歌詞には、「あなたを見直してた20歳」とある。


では、それまでに、紘治少年の内面に、どんな変化が生じていったのだろう?

大変、興味深いのだが、前掲の物語は、紘治が15歳の時で終わる。


しかし、母を「恥と見た15歳」の時に、一方で、母を見直すきっかけが紘治の中に生まれる。


それは5月25日、広小路界隈で催された祭礼の日のことだった。

紘治と両親との「断絶状態」は、まだ続いていた。


祭り好きの母親は、1ケ月も前から祭りの準備に飛び回る。

そして迎えた当日。

5時に始まる「演芸大会」の楽屋には、店の2階が提供される。

母親も「娘義太夫」で出演する予定だ。


いよいよ、母親の番になった時、2人の弟は盛大な拍手を送るのだが、

紘治は家の中に入ろうとする。

うちの親は、子供の嫌がる事ばっかりするんだ」と友人に愚痴るが、

誘われて仕方なく、母親の義太夫を見ることに。


ところが、母親は、連日の祭りの準備で、のどを痛めていて精彩がない。

おまけに太っている。


客からは、「太めのお園!」、「引っ込め!」などの野次が飛ぶ。

当時の下町のことだ。

悪気はなくても、「口」は、相当悪かっただろう。


こんなみっともない姿をさらす母を始めて見た。

家の中の母は、もっと勇ましい。

もっと、潔い。

何故ここで、こんなにも情けない姿を見せるのだろう。」(前掲書p.350より)

と思った紘治は、

その時、母を、「可哀想だ。」と感じる。

そして、いつの間にか、

「(母の)声が続きますように。 最後まで語りきれますように。」と、心の中で祈っている自分に気づく。


母の声は、もち返し、最後には観客との大合唱。

そして、大喝采。


その晩、熱を出して寝込んだ母に、紘治は「甘いオムレツ」を作って差し出す。

母親は、生まれて初めて、自分のためにだけ作られた甘いオムレツに涙する。

この時、それまで断絶していた、紘治と両親との関係がやっと「修復」される。


こうして、紘治は母親を見直していくきっかけを掴む。



アメーバ ここにも、思春期の少年が、両親への感情を克服してゆく「典型」があるように思える。


いつも拒否してきた筈の、「嫌な母親(父親)」に、いつものような「・・・らしさ」が感じられない時、

逆に、そんな親が心配になってしまうのだ。

「やっぱり、俺の中には、否応なくあの母親の姿が刻まれている」

と思える瞬間であり、

「親を心配する」ようになれた瞬間でもある。(勿論、精神的な側面だけだが)

思春期を通してこそ辿りつける、貴重な刻印だと思える。


また、思春期には、思春期特有の反発心で突っ張りながらも、

心のどこかで、両親に素直になれない自分への自己嫌悪を抱えているものだ。

その矛盾が、一層自分自身を苦しめる。


だが、そうして苦しんでいたからこそ、「母を心配することができた」ことの意味は、大きい。

親を恨んでいる自分だって、決して、親を恨んで良いなどとは思っていないのだ。

その自分の中に、親を素直に受け入れられる感情のあることを発見したのだから。



アメーバ さて、『甘いオムレツ』の唄には、もう一つの主題があるように思える。

それは、「母のあるべき姿」「子育てのあるべき姿」を、どう考えるのか、ということではないだろうか?


話は飛ぶが、

昨今の「大阪」を見ていると、いずれ、「子育て」「家庭教育」というテーマが、政治の日程に上ってくるような気もする。


私も遅ればせながら、「子育て」や「家庭教育」についても、きちんと考えられるように努力をしていきたい。


でも私は、やっぱり、この唄のこの部分が、理屈抜きに好きだ。


    母として理想的かは知らないけど
    懸命に愛のしるしを注ぎ込んでた
    甘いカレー 甘いオムレツ


    甘くなければカレーじゃないし
    甘くなければオムレツじゃない
    そう思う僕たちは
    紛れなくあなたの息子
    

長い記事に、ここまでお付き合い下さった方々に深く感謝いたします。

  


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