TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)参加についての、自動車メーカーを中心とする企業、経団連の発言を聞いていると、資本主義というか、市場主義もしくは市場原理主義、リベラリズムは、無傷だったと唖然とする。
金満家の「金(カネ)」や「守銭奴」の「銭」とはまったく次元を異にする「マネー」は、
大津波も、放射能も、ものともせず猛烈な勢いで動き続けることを止めない。
おそらく地球最期の日を迎えたとしても、マネーは止まることのない抽象的なシステムだ。
ところで、TPPは「環太平洋」などと大風呂敷を広げているが、米韓の二国間FTP(自由貿易協定)や、一見逆向きに見える日米構造協議に近いものを持っている。
3月11日以前には「平成の開国」などというキャッチコピーが舞っていたが、大震災後の今も、どうやら無傷で生き続けるものがある、ある意味、不死身の意識を代表するのがTPPかも知れない。
鎖国の両価性を反省することもなく、保護主義を取っているわけでもない現在、なんというおちゃらけたひでえコピーだろうと嗤ったものだが、いよいよキャッチコピーですますわけにいかなくなってきた。
で、基本的なことがよくわかっていないことに気づく。
いったい参加にせよ、不参加にせよ、TPPに関する態度を決済する権限は誰が、どこが持っているのか?
国会の承認や閣議決定は必要ないのか?
首相j権限なのか?
閣議決定だけでいいのか? それだけでいいのか?
さっぱりわからない。
「私たちは菅首相を選んでいない」と書いたときに近い疑問が、ふつふつと・・・
実力行使しかないケースなのか?
民主制を維持するにはコストがかかる、というのはよく分かっているつもりだが、
それにしても、同じ年のうちに二度も、
こういうことを考えさせられると、いまさらながらまったく大変な年だったと思う。
いや、今年はたぶん、大晦日で明けたりしないような気がする。
来年も、今年であるような気がする。