B29迎撃機、紫電改はなぜ出撃しなかったのか? | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

以下NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」書き起こしメモ。

 

・陸軍特種情報部 1945年6月 テニアン島のV600番台を傍受。コールサインV600番台使用のB29秘密部隊 第509混成群団 


・東條英機、原爆開発を航空本部に指示。

・理研

  

・福島県の山間で、ウランの採掘が進む。

   

{NHKスペシャルでは触れられていないが、海軍主導での原爆開発計画も進んだ(京大グループ)。}

 

しかしなぜか6月末、「放射性ウランの分離は不可能」を理由に開発中止を命じる。実際は、戦況の悪化と物資不足で事実上、開発を進めることができなかった。}

 

・1945年7月16日 アメリカ原爆実験に成功

 

(これによって、ルーズベルト急死で大統領に昇格したトルーマンの旧ソ連に対する態度が急にでかくなる。)


 

しかし、陸軍参謀本部はそれが原爆であると認めようとしなかった。

 


・8月6日午前3時、陸軍特種情報部がV600番台の電波(V675)を傍受。エノラ・ゲイの出撃だった。

 

{広島にも長崎にもあの日、空襲警報が出なかったことは色々な資料でも確認できるが、その理由が参謀本部の不作為にあったかもしれないという事実は、今回のスペシャルで知る。}

 


・午前7時20分頃、気象偵察のB29が広島上空に飛来。

 

・特種任務機(エノラ・ゲイ)接近を探知しながら参謀本部は広島参謀司令部に通知せず。

 


空襲警報もなく、広島にウラン型原爆が投下、直後の死者を含め年末までに14万人が死亡。

 


・それでも参謀本部は原爆であると認めず。影響を表向き過小評価しようとする。

 


・8月9日未明、広島と同じコールサインV675を傍受。長崎爆撃5時間前に参謀本部は情報を得るも、通達せず。

 


「体当たりしてでも落とさなければ(本田稔氏 88歳 当時大村飛行場配属の紫電改パイロット)」

   

・しかし、大村基地に待機する紫電改に、ついに出撃命令は出なかった。

   

{陸軍参謀本部は、いったい何をしていたのだろうか? 

}。    

・午前11時2分。長崎にプルトニウム型原爆投下。空襲警報、発令せず。

 


この時、東京では参謀本部を含む最高会議が、まだ延々と続いていた。

   

{なんだか、3月11日以降にも似たようなことが起きているような、起きていないような}

 


「軍人として本当に情けないです。申し訳なくて(大村稔氏)」

 
戦後66年(もう71年になる。2016/08/09 11:04追記)、日本では「軍人」という語自体、タブーのように扱われて来た。しかし、「あるべき軍人の姿」が示されないような国はない。必ずしも軍服にモールを飾った居丈高な人物が軍人なのではないはずだ。

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