中国で、日本人学校に通う日本人の10歳の男の子が中国人に刺されて亡くなるという、痛ましい事件が起きました。

https://youtu.be/WQHnQNZILd4?si=IVRP0ygdMWC528iH

母親の目の前で起こった悲劇です。つまり母親は10歳の男の子を送り迎えしていた・・・学校が家から遠かったのか、あるいは、最近は子どもだけの登校は危険であることを知っていたかも・・・そんな対策をしていてもダメでした。

この事件を受けて、中国工場に日本人駐在員を置く企業は注意を呼び掛けています。日本人従業員の引き上げを支援している企業もあるとか。
 
 





中国では、この、幼い子供の殺害を称賛しているようですね。

 

さすが、「抗日神劇」の映画やドラマでは日本人を殺しまくるのが英雄行為であり、それを見るのが人民の娯楽であり、小中学生に銃剣を持たせて日本兵をめった刺しにする学校教育をしている国です。

(彼らにしてみれば日本人が悪なのですから、悪を抹殺するのは倫理的には善行なんですよね困ったことに。)

(それでも以前はなかったことが最近頻発しているということは、何かの機が複合的に熟してしまっているということなのでしょう。)
 

 




 

ではこの事件について韓国の反応はどうかと言いますと、

   意  見  が  分  か  れ  て  い  ま  し  た。

「殺人はやっちゃいけない」 「大人が子供を殺しちゃいけない」

こんな簡単なことについて、意見が分かれる余地があると言うことですよ。

「だって日本人だもの」、という認識が主流にあるということです。

ま、さすがに「よくやった!」とは言ってませんでしたけどね。

韓国の反日、反日教育は中国ほどあからさまではありませんが、まぁそれでも倫理を覆すほどの憎しみ(彼らの倫理と正義)としては十分なわけですね。
 





犯人はまっとうな人間ではないようですが、中国当局の塩対応を見ますと「容認」している感もあります。なんせ人民は犯人を英雄扱いなんでしょ?

数か月前のスクールバス襲撃事件で、日本人の母子を守ろうとして亡くなった中国人女性もいらっしゃいますので、中国人全部が日本人男児殺害を英雄行為としているわけではないとしましょう。
 





殺害された男の子のお父さんは、「中国を恨まない。同様に日本も憎まない」、と発言したそうです。

(息子が殺される原因となった過去の悪行を犯した日本を憎まない、復讐をした中国を恨まない、という意味ですかね。タイトルは「恨まない」、発言は「憎まない」となってます。)

 

男の子は日中ハーフ、日中の架け橋となることを将来の夢とする子だったそうです。

 


 


この文章によりますと、男の子のお父さんは中国で半生を過ごしている日本人、お母さんは日本で10年以上くらした中国人、子どもは日中ハーフで最近中国に引っ越して日本人学校に通っていたようです。








しかしどうも中国は、韓国の何倍も反日教育、反日文化、愛国思想が行き届いているようです。

亡くなった男の子も男の子のご両親も、相反する日中の狭間に身を置いていたわけです。

こういう結果になってしまったのは、双方の国内問題と国家間の葛藤を象徴するものでしょう。

それにしても、大人でも難しいところを、幼い身で命を奪われなければならなかったことには

痛切の極みです。






人は守られる環境にいなければなりません。

こどもならなおさらです。




単身、敵地に潜入して敵をバッタバッタ倒しまくるスーパーヒーローでないならば、

また、単身、アウェイにおいても適応して暮らせる多文化コミュ特化体質でないならば、

守られていなければ暮らせません。




わたしは韓国で元気に暮らしておりますが、それは韓国政府の外国人政策のおかげ、かつ韓国人の好意のおかげです。

結婚できて移住ができて健康保険に入れて、仕事ができて年金にも加入できて、銀行口座もスマホやクレカも持てる。反日と言われながらも、日本人にわだかまりを感じながらも受け入れてくれる余地がある。

(それでも日本人であることに自らわだかまりを感じてしまっていた知人は心を病みがちでした。どういう手続きか韓国名に変えてからは元気になりました。)

余談ですが、別の知人は多文化センターで日本文化を紹介するイベントなんかやっておりましたけれど、わたしは逆に「日本文化の素晴らしさを紹介するわよ」なんてのも好きではありません。「韓国の素晴らしさや楽しさを紹介します」なんてのも好きではないし、「日韓の架け橋になる」なんてのも好きではありません。

「知れば好きになる」なんて単純なものとは思ってない。笑

(しかし単純であったりもする。わたしも釣られたわけですし。笑)

おっと、本題に戻ります。





基本的に、

国は国民を守らなければならず、

国交のある国は相手国の国民を、建前としても保護しなければなりません。

企業は従業員を守らなければならず、

親は子を守らなければなりません。



・・・・・でも守り切れなかったんだなー。



・・・・~しなければならない。・・・・でも実際には、できない・・・・






日韓にも葛藤はあります。

例えば熱狂的韓国民の大多数の願いである、釜山日本領事館の正面玄関前への徴用工像の設置を、人海戦術の押し合いへし合いで全力阻止した釜山東区警察署の葛藤。

その後、大使館乱入事件もあったんですよね。ソウルででしたか。

その時も、乱入した大学生は韓国民から絶賛され、阻止した警察の方が韓国民から非難されたんですよね。

そのせいだとは言うのですが、

その後、釜山領事館の正門、裏門、詰所から地元警察の警備の姿が消え、釜山領事館は鉄格子の門を閉ざしました。訪問客の身元を内側から確認してから鉄格子の門を開け、入れてくれます。

地元警察署が管轄である領事館の警備を放棄したんでしょうかね。きっと大使館、領事館警備にあたる警察官が、自分の信条と反対のことをさせられ、韓国民の正義を阻止する任務を拒否したんでしょう。

さびしいもんですよ、警備を放棄されて、鉄格子のなかに籠城している自国の領事館なんてね。

ソウルにある在韓日本大使館は、建設を拒否されて、借り家住まいですからね。

(日本政府なんかにビルを貸してくれる韓国の家主さんが太っ腹だわな。)

大使館や領事館への扱いは、その国への扱い、その国民への待遇でもありますよね。

そう考えると、さきほど述べた、韓国の外国人政策の快適さ、安全性は、別に日本人に対して与えられたものではなくて、

外国人代表としてアメリカ人に与えた待遇のとばっちり(?)で、日本人も同様な好待遇を受けているんだろな。

ほんとは日本人には与えたくない待遇だけれども、しょうがないから与えているんだろな。笑

または、在日韓国人への好待遇を日本に要求するには相互主義として、在韓日本人を処遇してくれてるんだろな。





おっと、思いだしました。


大韓アメリカ大使館も、愛国大学生による大使公邸侵入事件とそれを阻止しなかったできなかった韓国警察の件以降、


大使館を米軍基地内にお引っ越しさせて自分で警備してましたわ。



釜山領事館は、職員さんに聞きましたら警備会社が警備してるって言ってました。(ビル警備と同じか?)


(公権力じゃないから弱いよね)




それを上回るであろう日中の葛藤。

>中国では6月にも東部・蘇州市で、日本人の母子を刃物で狙った襲撃事件が起きた。この事件も日本人学校の近くで発生し、母子を守ろうとした中国人女性が死亡した。

この時は、中国人女性が命を懸けて守ってくれて、日本人母子(こちらも親が送り迎え)は無事だった。

けれども今回は、
 

>NHKの取材に応じた目撃者は、「逃げようともせずその場に立ち尽くして、学校を警備していた地元の警察に取り押さえられていた」と述べた。


・・・地元警察も学校を警備していたのに、・・・母親も子供に付き添っていたのに、

守れなかったんですよね・・・。

犯人が逃げるつもりなら、警察と母親で守れたことでしょう。



逃げるつもりのない犯人。

安倍総理を暗殺した犯人は、目的を達して警察に捕まりました。

トランプ氏を狙撃した犯人は、目的未遂で銃殺されました。

では今回の犯人である中国人は?

国恥記念日に日本人の子供を殺すのは、そこまで名誉なことなのか?

それとも罪に問われないとでも・・・

 

>国恥日とは、1931年9月18日、遼寧省瀋陽市近郊の柳条湖付近で、関東軍(日本軍)が南満洲鉄道の線路を爆破した事件、柳条湖事件の屈辱を忘れてはならない、という意味で呼ばれている。




もうね、駐在員は子どもを中国に連れて行っちゃいけませんね。

大人でもしょっちゅう捕まってますしね。スパイ容疑で。

 



よく、「悪い人も一部いるけれども、良い人もたくさんいる」なんて言葉を聞きますけれども、

それは理想論。

痛い目に合っても大人には「自己責任」と言えますけれども、

子どもには無念としか言えません。






 


「東の海を渡りし大和の地は 我らの偉大な祖先の古の夢の場所」


韓国系の高校が甲子園で初優勝、韓国の校歌が日本全国に生中継、という話題で盛り上がる韓国。

 

 

 

 

(抜粋)

 

かつて在日韓国人向けの民族学校だった京都国際高校が初めて日本全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)で頂点に立った。23日、甲子園球場で夏の全国高校野球決勝戦が行われ、京都国際が関東第一を延長10回タイブレーク2-1で下して、初優勝を飾った。決勝戦での延長タイブレーク突入は史上初だった。

 

 試合終了後、甲子園球場には再び京都国際高校の韓国語の校歌が鳴り響いた。「東海の海 渡りし 大和の地は/偉大な我らが祖先 古の夢の場所/朝な夕なに体と徳 磨く我らの仲むつまじい巣/韓国の学園」(訳注:韓国語歌詞直訳)。校歌斉唱を終えた京都国際の選手たちは三塁側アルプススタンドを埋め尽くす応援団のもとへ走り、優勝の喜びを分かち合った。

 

 

 

 

(抜粋)

 

 京都国際高校の善戦をきっかけにNHKで繰り返し流れる「東海」という単語と、これに対する日本人の無関心な態度を目にしつつ、日本の植民地支配からの解放記念日「光復節」(8月15日)に韓国で起こった出来事を振り返ることになった。同じく公営放送であるKBSはこの日、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を放映して激しい抗議を受けた。オペラの第1幕に出てくる日本の伝統的な婚礼シーンに日本の国歌『君が代』が流れるという理由でだ。「光復節になぜ『君が代』を流すんだ」という視聴者からの非難が殺到すると、KBSは「制作スタッフのミス」だとして慌てて謝罪した。

 

 韓国と日本の国民感情を同じ物差しで評価することはできない。植民地の歴史を覚えている韓国国民は日本に関連する事案に敏感で、即時に反応するのが当然だ。光復節に日本を舞台にしたオペラを流したKBSの無神経さを批判するというのは無理もない。それでも、ヨーロッパの巨匠の代表的オペラで『君が代』が少しだけ流れるからと言って、私たち韓国人がそこまで敏感に反応しなければならないのかは、一度考えてみるべき問題ではないかと思う。韓国の経済水準は既に日本に追いついており、何よりも文化的には日本を追い抜いたと世界で評価されているという事実を考えれば、なおさらだ。

 

キム・ドンヒョン記者




どう扱うにしても、なんか「韓民族の恨」と「その浄化」という大テーマが、やっぱり感じられますよね。

なーんて言うと、逆に韓国からは、「日本人はなにかにつけて未だに上から目線だ」とか言われそうです。笑

甲子園の決勝戦はわたしは見ていないのですが、甲子園球児の爽やかさが保たれていたことを願います。

京都国際高校側も、韓国のメディアに対して、「東海」にこだわった記事を書くのは控えていただきたい、という意向を伝えていたと、韓国版の記事には書いてありました。

それでも「韓国系高校」「韓国語の校歌」「東海」だと、記事にはいろいろ書いてはありましたけどね。


高校側の意向もあってか、韓国メディアはいつもよりも「恨テイスト」を薄めた書き方をしているようです。


甲子園優勝に対する韓国の反応はいつもの感じですが笑。


でも規模の小さい高校なんですってね。全校男子生徒のほぼ全員が野球部だとか。球児たちはがんばったわけですよ。






「東の海を渡りし 大和の地は 我らの偉大な祖先の 古の夢の場所」
 

「朝夕 身と徳を磨く 我らの親しき住みか 韓国の学び舎」

歌詞自体には日本へのリスペクトと、自己鍛錬への好印象が感じられます。

ま、いつもの「韓国解釈」もありますが・・・・。それは置いときましょうか。


そもそも日本が夢の場所だなんて、

日本人は普段あまり思ってませんもんね。

夢の場所だと教えてくれてありがとうですよ。




つけたし



 

 

上昇志向の韓国では、

幼いころからお勉強をがんばります。

そして幼いころからの目標であった大学入試を終えますと、次は、いいところへの就職に向けてスペックを高めます。資格取得や、TOEICなど。「奉仕活動」ももちろん、何かの大会での受賞なども大事です。趣味の活動もスペックのため。

そして就職したら、(終身雇用ではないので)、もっといいところへの就職のために、勉強を続けます。これも資格取得や、TOEIC。

そしてもっといいところに就職したら、昇進のためにお勉強を続けます。昇進試験、資格取得、TOEIC。

つまり、生涯学習

こう考えれば、人間の一生における絶え間ない切磋琢磨と向上というのは、善いことではあるんですが、

やってる本人にしてみれば大変でしょうね。


(うちの職場の若いもんの例では、ひとつ取れたら本人も俄然やる気を出して、いろいろ資格を取るためにお勉強しています。職場は腰掛け、長く務めるというのは向上心がないということ、かな。)

(うちは教育熱心ではないけど息子らはそれなりに負けず嫌いだったようでそれなりに育ちました)



カリキュラム外の私的な学習、卒業後の学習。就職後の学習。

日本でだったら、職人精神を発揮して、業務の技術向上に努めるところでしょうか。

韓国だと地位の上昇、待遇の向上に努める感じかな。

人生をどう生きるかとしますと、どちらにも長短はあり、どちらにも幸せはあります。

で、たぶんどちらも、究極の幸せではないけれども、究極の幸せでもある。





さて、お勉強の話です。




うちの息子が大学生をやってるんですけど、

ある数学の教授は、

答えを教えてくれない。

自分でやれと、ほったらかしだ。


と文句をいってました。


そうですよね。学生はこれまで常に、試験での正解を目標に問題を解いてきたのです。

社会に出ても常に、正解を得るために勉強をしているのです。

ですから教える側の講師はこれまで常に、答えへの到達までをいかにわかりやすく熱意をもって解説できるか、いかに学生の正解率を高められるかが問われていたのです。

それは基礎教育では当然ですが。

で、大学で、そうではない先生に出会った。



いいんじゃないのそれで。

幼稚園から高校生まで、答えのある問題ばかりをいかに早く正確に解くか、何が試験に出るか、何点取れるか、成績は3なのか5なのか、順位は何位なのかばっかりやってきたんだから。それが韓国の教育の弊害なんだから。

大学に入ってやっと、本来の学問というか研究の仕方をやらしてもらえてるんじゃないの?その先生、いい先生だね!がんばってあれこれ悩みなさいよ。

 

(ほんとうにそういう教育方針なのか、単にやる気のない教授なのかもしれませんが。笑)



 

それでも息子は、「解き方」というのを知りたいし、先生は教えてくれないから、

何と、

インド人に教えてもらっているそうです。

インターネットで。




それって、インド人に直接聞くの?

と聞いたところ、

youtubeに、数学のいろんな定理を教えてくれる動画があるんだそうですよ。

英語字幕を表示させて、英語のわからないところは調べながら、数学は数式ですのでね、それでわかるらしいです。

 

 


インド人に数学を教えてもらえる時代になったんだなぁ




結局は教えてもらってるわけですし、教えてもらえるような定番の定理なら、本当の学問ではない。まだまだ入口なわけではありますが、

まぁ、数学の最先端を行く数学者になるわけではないから、いいのね。

インド人に教えてもらえただけでも、たいしたものだと思います。




近々、AIに教えてもらう時代になるんだろうなぁ。



 

 

 

(記事抜粋)
 

パリ五輪で韓国の選手たちと表彰台で一緒に写真を撮った北朝鮮の選手たちが現在、平壌で思想検閲を受けていることが分かった。一部の選手については処罰される可能性も出ている。

 

 

 北朝鮮がこのような思想総和を行う理由は、北朝鮮では海外への滞在そのものを「非社会主義文化に触れること」、いわゆる「汚染にさらされる行為」と見なしているからだ。消息筋は「選手たちが帰国する瞬間から総和が始まる」として「できるだけ早いうちに思想を『洗浄』するのだ」と説明した。
 


 

(えだまめ)


やっぱり北朝鮮の人民が国外に出ると言うのは、帰ってからが大変ということですね。

国威発揚のために選手育成され、成績が良いので海外の大会に派遣され、帰国すると処罰される。

国のために尽くして尽くし、頑張って頑張った末の、暗転は悲しいな。



中国選手との自撮りは容認できても、韓国選手とはやってはならない。

外国人と接触してはいけない、他国の選手を見てはいけない、微笑んではいけない。


これは韓国の光復節の日の「オペラ蝶々夫人放送事故」と同じような「倫理性問題」を感じます。敵国人に心を許したとな。



まぁ~~各国には各国の倫理があります。

LGBTに寛容であるという倫理もあり、ポリコレ最優先という倫理もある。

男性を大事にしたら大問題とか、

最近はトランス女性を大事にするあまり、女性を女性として大切にするのが大問題になるとかね。

日本を擁護すると倫理違反になる国もあり、

北朝鮮には北朝鮮の倫理感があるわけですね可哀そうに。




ある脱北者が言ってました。

自分の感情さえ自由ではない

と。

オリンピックの表彰台で喜ぶ他国の選手を見つめて微笑ましく感じてはいけない。微笑みを浮かべてしまってはいけない。

自国に金メダルを届けられなかった屈辱と、長年慈悲をくださった将軍様への心からの申し訳なさをかみしめる感情でなければならない?

自分の思想も感情も、厳しく統制しなければならない。

金正恩を一目見たら、中年男の集団も喜びで小躍りしながら拍手をしなければならない。



脱北者タレントさんたちの番組の中で、(北朝鮮の歌が流れたら)「感動で涙が出ちゃうのが本当に嫌だ」、と言ってたことがありました。染みついた条件反射が嫌なのか、否定して脱北したのに否定しきれない祖国なのか。


 

 

>総和とは、北朝鮮の住民が自分の所属する党や機関、勤労団体などで各自の業務や公・私生活を反省し、互いに批判する集会のことだ。


>最後に、選手たちによる相互批判と自己批判が行われる。

>本人自ら自己批判で強く過ちを反省すれば、政治・行政的な処罰を免れる可能性もある


選手仲間から集中攻撃で批判されるより、強く強く自己批判することで処罰を免れるといいですね。



ところで、共産主義とか社会主義というのは、「自己肯定」や「他者の容認」ではなく、「自己批判」と「相互批判」を人間の基本的なあり方とするのかな?


 

 

 

(以下記事全コピ)
 

パリ五輪で韓国の選手たちと表彰台で一緒に写真を撮った北朝鮮の選手たちが現在、平壌で思想検閲を受けていることが分かった。一部の選手については処罰される可能性も出ている。北朝鮮専門メディア「デイリーNK」が21日、報じた。

 

 同メディアは平壌の高官筋の話として、五輪に参加した北朝鮮オリンピック委員会代表団と選手団が今月15日に帰国した後、平壌で思想総和を受けていると報じた。総和とは、北朝鮮の住民が自分の所属する党や機関、勤労団体などで各自の業務や公・私生活を反省し、互いに批判する集会のことだ。

 

 報道によると、国際大会に出場した北朝鮮の選手たちは、3段階の総和を受けるという。今回五輪に参加した選手たちも中央党、体育省、選手団内部での総和と3段階にわたる思想総和を受けることになるとみられる。

 

 北朝鮮がこのような思想総和を行う理由は、北朝鮮では海外への滞在そのものを「非社会主義文化に触れること」、いわゆる「汚染にさらされる行為」と見なしているからだ。消息筋は「選手たちが帰国する瞬間から総和が始まる」として「できるだけ早いうちに思想を『洗浄』するのだ」と説明した。

 

 現在平壌で行われている総和は中央党による総和で、党中央委員会の宣伝扇動部傘下の体育担当部署が主管している。

 

 これは、出国から帰国までの全ての過程を調査して分析・評価するものだ。選手たちが五輪期間に党の方針や教養事業に反する問題行動を取った場合には、処罰される可能性もある。

 

 北朝鮮の選手たちは今回の五輪に出場する前、韓国の選手をはじめとする外国の選手たちと接触しないよう指示されていたという。これに違反したことが確認されれば処罰の対象になるとみられる。

 

 今回の五輪では、メダルを獲得して表彰台に立った選手たちがサムスン電子のスマートフォン「Galaxy Z Flip6 オリンピックエディション」で「ビクトリーセルフィー(自撮り)」を撮影した。そのため北朝鮮の選手たちも韓国や中国の選手たちと一緒にセルフィーを撮影し、その様子が注目を集めたが、これに対する否定的な評価内容が盛り込まれた報告書が党に提出されたと伝えられている。

 

 問題になったのは卓球混合ダブルスで銀メダルを獲得したリ・ジョンシク、キム・グムヨンの両選手だ。2人は銅メダルを獲得した韓国の林鍾勲(イム・ジョンフン)・申裕斌(シン・ユビン)組、金メダルを獲得した中国の王楚欽・孫穎莎組と共に表彰台の上でセルフィーを撮影した。このシーンは主要な海外メディアが五輪の10大ニュースに選ぶなど、五輪の感動的な瞬間の一つに挙げられているが、主役となった選手たちは北朝鮮で処罰の危機に直面している。

 

 消息筋によれば、両選手に関する報告書には「当局が第1敵国と規定した韓国の選手たちがすぐ隣にいるのに『ニヤニヤ』と笑みを浮かべる様子を見せた」という内容が盛り込まれたという。キム・グムヨン選手の場合、セルフィーを撮影する際に笑っていたように見え、リ・ジョンシク選手は表彰台から降りた後他国の選手たちを長時間にわたって見詰めながら笑顔を見せたとの指摘が出たという。

 

 デイリーNKは「実際に北朝鮮当局が両選手に処罰を下すか、もしくは警告や自己反省など比較的軽い批判で事案を終結させるかは見守る必要がある」と報じた。

 

 このほかにも選手たちは、内閣体育省の総和で今回の五輪の成績に対する評価を受ける。選手たちは成績次第で表彰を受ける場合もあれば処罰を受けることもある。過去には国際大会で成績が期待以下だった選手が1-2カ月の無給労働という処罰を受けたこともあった。

 

 最後に、選手たちによる相互批判と自己批判が行われる。消息筋は「他国の選手との接触があった場合、本人自ら自己批判で強く過ちを反省すれば、政治・行政的な処罰を免れる可能性もある」と説明した。

 

キム・ジャア記者

 

チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版


 

 

 

 

8月15日は日本ではお盆、終戦の日。

ご先祖様、そして英霊とともに、穏やかに時を過ごす日です。

皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。




さて、毎年恒例でこの日を説明していますけれども、

この日は韓国では、日本が戦争に負けて、暗黒支配に光が戻った日、「光復節」です。


同じ趣旨で北朝鮮では「解放節」としてこの日を称えています。

北と南の違いと言えば、

北では単なる「日本がアメリカに負けて朝鮮が解放された日」、もしかすると、「独立戦争の勇士、白頭山の血統であるキム一族の功績により日本が敗戦した日」かもしれません。


南では、1945年8月15日の「解放」に加えて、1948年8月15日の「大韓民国政府の樹立の日」(アメリカ軍政統治からも独立した日)でもあります。が、たいていは日本関連で語られます。



 

なんとなく感情的には、「日本の災難をお祝いします」原点の日ですかね。



利害が一致しない国同士ということで、

 

いい悪いの評価は別にしまして、これまでの関係性というのはどうしてもあります。

 

悪縁というのは、断ち切れないなら気を付けて立ち回るしかない。

 

一応、双方がね。

 


今回面白いなと思ったのが、

ユン大統領の光復節の演説が南北統一の話であり、日本には言及しなかったという点。

悪縁は双方が気を付けるべきと言いながら、日韓関係は一方的な感じでしたが、なんかここで韓国が気を使っている?

これには好奇心がわきます。なぜでしょう?


あともうひとつは、いつもの韓国の日本排除の流れと、それに若干反する流れ。

韓国のポリティカルコレクトネスの若干の変化です。

今日はこれについて書きます。



 

これまでは

日本は悪いことばかりした vs 植民地近代化論(いいこともあった)

この論争において、韓国のポリティカルコレクトネスは常に前者でした。「日本が200%悪い」


これが加速し、
 

日本の国旗、海軍旗、それが近年までは普通に問題なく掲げられていても、それが最近になって問題になる、というさらなる厳密なNO・JAPAN化がひとつ。

それとは反対に、それの何が問題か?という流れも出てきました。理由がまた、韓国の先進国の背伸びというか、日本を超えたというイキガリというかで微笑ましいんですけど。笑


一週間で会員以外は閲覧できなくなるので、コピペして最後に載せときます。

 


長いのでまず抜粋。コピペは最後に付けときますね。

まずはNO JAPANの件。

韓国プロ野球に所属する日本人投手が8月15日に先発登板する予定だったが、「光復節の試合に日本人投手とは何事だ」と抗議され、16日に登板することになった。

斗山ベアーズは、20年来、所属選手の母国の国旗を球場に掲げてきたが、「光復節に日の丸を掲げるだなんてとんでもない」などの抗議が殺到したため、15日午後2時ごろ、日の丸を下ろした。

日本料理店の中には、光復節に営業をしているという理由で後ろ指を差された店もある。光復節に休業している日本料理店に対しては「概念(常識)のある店」と評価する声もあった。


光復節に日本のビールを飲んだり、日本の製品を利用したりすることについて適切かどうかを巡り論争が起きた。

韓国の公営放送局KBSでは、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』(1904年初演)を15日午前0時から放送したが、「光復節に不適切な放送だ」と批判された。


これらはいつもの流れの増幅版ですので、さもありなん。

しかし次に、新たなるポリコレの件。

 ソウル市西大門区の西大門刑務所歴史館では14日と15日、日本による植民地支配時代の巡査の制服を着たスタッフたちに向かって水鉄砲を撃つ「独立軍戦闘体験」という企画が開始直前に中止になった。「子どもたちに憎悪と敵意を植え付けるつもりか」との指摘があったためだ。西大門区の関係者は「光復(日本の植民地支配から解放されたこと)ムードを体験しようという趣旨だったが、子どもの教育上、良くないということで中止した」と説明した。西大門区ではこうした催しを2010年代から実施しているという。


これはちょっと面白かった。

以前は独立軍ごっこ「子どもの教育上好ましい事」として始まったのでしょう。

2010年代から実施されていて、NO JAPANの時には絶賛されていたでしょうに、10年経ったら新たなポリコレが出てきたわけです。

ポリコレというのはたいてい、一部の声の大きい少数の主張によってマジョリティが変化を強いられるわけですけど、「こどもたちに憎悪と敵意を植え付けるつもりか」この流れは韓国にはこれまでなかった正論です。ちょっとおもしろかったな。だってこれこそがこれまでの韓国の愛国精神だったのだもの。

政治的正しさと、愛国教育的正しさと、教育的正しさについての論争が起こるとな。

しかも、予定された行事が中止されてしまう。

新しいポリコレは、韓国を変えてゆくのでしょうか?




それでは次に、ユン大統領の演説ニュースです。

光復節なのに、日本の歴史に言及しなかった。

(一人当たりGDPは日本を超えたとは言及)

 

今回の演説は、「先祖たちの血の涙に言及しなければならなかった」「対日メッセージが入っていなければならなかった」と、野党はもちろん、与党内からも批判されています。

では何を演説したのか?メディアで取り上げられているのは南北統一についてです。韓半島に国民が主である自由民主統一国家が作られなければならないと。

 

(Youtubeがはめ込みできるときとできないときがあるのですがなぜでしょう?)


佐渡金山のユネスコ登録に無条件の全面反対をしないですり合わせをしてしまうなど、やることなすこと親日だと大批判されているユン大統領です。

今回も与党からも野党からも批判される案件(光復節演説)をぶちあげたユン大統領。



ところで、日本人としてみれば、非常に法的であって現実的である。

一度条約を結んで「完全かつ最終的に解決」したなら、また、賠償がなされたなら・・・という法的。

被害者とはいえ、それが「斡旋」であったなら、自発的な就職であったなら、韓国の悪徳仲介業者による詐欺的な面があったなら、ブラック企業であったなら、当時の労働基準法が劣悪であったなら、その「被害」は現代の日本政府が補償すべきか?それを今の韓国政府がゴリ押しすべき案件か?そういう部分で法的かつ、現実的。

韓国で被害者の人権を叫び、国の蹂躙を叫ぶ人たちにとっては、我慢ならないほど「親日」であるけれども、ユン大統領としてはおそらく「法的」「現実的」なのでしょう。

言ってみれば「ユン大統領の法の概念」の上には「民族情緒法」がない。

それが韓国民としては、倫理感のない大統領と映るのです。




でもおそらくそれだけではないでしょう。日本に言及しなかった理由は。

 

もちろん人気取りではなく、逆に致命傷。

ということは、おそらく、韓国の国内事情が理由ではないと思います。

人気取り、政治的な駆け引き・・・・を通り越して、何があるんだろうなーー?

与党内でも批判・・・ということは、本当に政府のトップしか知り得ない情報や戦略に基づく?




言及しないのがメッセージ。(対日本)


言及するのがメッセージ。(対北)




対日本で言えば、

韓国内で批判されることに甘んじるほど、日本に自主的におべっかを使う理由も見当たりません。

韓国経済崩壊の前章であるなら別で、日本が韓国を全面的にサポートすることを期待しているなら別ですが。



まさか、南海トラフ地震を想定して、日本への攻撃を弱めてくれているのかな?



アメリカの”トモダチ作戦バージョンⅡ”を打診されているのかな?



いや、考えてみれば、日本の津波危機は、

在日アメリカ海軍基地が総崩れになる危機だもんなー。

在日米軍空軍基地も?補給はズタズタだろうな。



もし南海トラフ地震が起きたら、台湾も津波の被害を受けるだろうなー。

もしかして、グァムやハワイも?



そしたら、

 

台湾および、日本と在日米軍、ついでにグァムとハワイの基地の無力化を合図に、

中国が台湾に介入する絶好の機会になります。

中国の海軍にだって津波の被害はある程度あるでしょうが、日台よりも軽微でしょう。

北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊と、いくつかありますしね。ある程度被害はあっても動かせる部隊を動かせばイケルかも。

海さえ無防備になって自由に渡れれば、あとは圧倒的な人海戦術ですもん。



ついでに、北朝鮮は中国と同調して、台湾有事の際には南下することになっているはずです。在韓米軍(陸軍)の足止めのために。

そうすると、韓国が困る。



ああきっと、これが理由かな?



だから、日本を批判せず、北朝鮮に言及するんでしょう。




思うに、対北政策としては、「実務者レベルで協力しましょう」という、

一見まったく善意のポリコレ的な一言が

(当然北朝鮮当局には無視されるでしょうが)、ものすごく大きな爆弾になり得るかな、と思います。

「舌戦」で、大打撃を入れれる。



だって、韓国のドラマを回し見た中学生30人を公開処刑するほど、体制は切羽詰まっているのですもの。



北朝鮮は風船にうんことかの汚物をのっけて南に飛ばします。それが韓国の政府施設に落下してしまって「もし爆弾だったらどうするんだ?」と騒がれていますが、韓国の対北市民団体は食料やドル紙幣、韓ドラのUSBを風船にのっけて北に飛ばします。

中学生30人の処刑は北朝鮮内での人民への締め付けでありながら、対北人権団体に対しても「お前らがこんなのを送り込むから中学生が大量に死ぬのだ」という見せしめでもあると思います。

(韓国内のそういう団体はアメリカの団体の支援を受けていたりもするんです。北朝鮮の敵なのです。)



例えば北朝鮮は、大きな大会のたびに外国に美女応援団を派遣しますが、帰国後に再教育を受けさせ、バックのない一定数の団員は落ち度はなくとも今後の見せしめのために収容所に入れたり死刑したりするらしいです。

ということは、パリ五輪に出場した北朝鮮の選手らも、応援団も、少なからず資本主義の空気を吸って帰国するわけですので、帰国後は再教育の対象になるでしょう。こちらも選手団や応援団の一部は今後の見せしめのためにわざと収容所に入れられるかもしれません。



そんな状況で、「北朝鮮の実務者たち、ちょっと韓国にいらっしゃい。歓迎しますよ。話し合いましょう。十分に接待します。」なんて韓国の大統領が公言したらどうでしょう?

北朝鮮に対して直接言ったことではありませんが、南朝鮮のメディアの観察を担当しているような、世界のメディアを担当しているような、「思想的に信頼のおける部署員と幹部」が、これを目にし耳にするわけです。心が動きませんかね。自分が韓国に派遣されたらどうしよう?と心躍らせたりしませんかね?



また、ぶっちゃけて言ってみれば、韓国に南侵する北朝鮮の人民軍も、資本主義の空気にいやおうなしに触れちゃうんです。

どの家にも大きな冷蔵庫があり(600ℓとか普通、韓国の冷蔵庫はでかいです。しかもキムチ用冷蔵庫も完備。)、食料に溢れています。どの家にも自動車がある。ロシア兵がウクライナで略奪し放題だったように、北朝鮮人民軍も、韓国で略奪し放題、食べ放題でしょう。

軍役10年のひもじい生活の果てに、涙ちょちょきれると思いますよ。

下手な韓国軍の反撃よりも、商店や民家の豊富な食料が、侵入した民家でのテレビ視聴やオンラインのコンテンツが、北朝鮮軍を足止めするかもしれません。


逃げる韓国人だってね、スマホひとつ持って出れば全預金も投資も温存できて、どこでも買い物オーケーですから、不動産ひとつ、しばらく空き家にするだけでいいなら、さっさと逃げればいいんです。簡単なもんです。


南侵兵士イコール、逃亡兵士・・・食べ放題&コンテンツ視聴し放題とか、戻っても全員思想教育のし直しとか反抗分子になっちゃうとかだと、金正恩も、南侵した後の収拾が大変でしょうなぁ。

中国からせっつかれても、全面戦争はやりたくはないと思ってると思いますよ。




・・・・・ああだから、北朝鮮は核なんだな。

遠隔でね。

人間の派遣ナシでね。

核で焼け野原にしたところにだけ、人民軍を派遣できるかも。(それも鬼畜)

ソウルをまず焼け野原にして、放射能の瓦礫の地に人民軍を進軍させる。

食料が残っているようなあたりに、インターネットが使えそうなあたりに、進軍させない。

文明が残っているところには進軍させない。それなら思想的に安全だ。

いやいや、補給路の問題がありますね。

じゃぁ、核を落とすだけで、進軍しない。

これが北朝鮮としてはいちばん安全かもー。

韓国は核の反撃はできないから、核をもっと落とすぞーと言い続けるだけでいい。

アメリカは、北朝鮮がアメリカ本土を射程に入れるミサイルを持つ以上、韓国への核の傘はどうするか問題が議会を通過しなければなりません。

韓米同盟条約には自動介入義務がありません。米軍が韓国を支援して戦争行為をするには議会の承認を受けなければならないので、タイムロスが生じます。一応シビリアンコントロールですからね。そして、アメリカ本土が核攻撃を食らう危険があるなら、韓国を支援しないという多数決が下される可能性もあります。

ウクライナの戦況を見ているとわかるでしょう。どのEU諸国も正式な軍隊を派遣してません。




としますとやっぱり、韓国の大統領兼、韓国軍の最高司令官としては、

南海トラフ地震臨時情報が発令されている日本のこの状況におきましては、

今回の光復節演説は、こういった内容になるしかないかも。




勝手な妄想ですが、

この、日本を批判しないという「異常な光復節演説」を説明するとしたら、こういう妄想になるしかないです。

日本との関係改善のためではない。

日本のためではない。

自国のために。

自軍のために。

ひいては自分のために。

これでこの演説に対するモヤモヤはスッキリ解明します。




南海トラフ、いったん解除されて一安心、でも安心はできないわけですよね。

 

台風7号が首都圏に接近してから遠ざかるんですね?







以下、朝鮮日報の記事の全コピペです。


8月15日の式典をめぐり、韓国政界がひどく分裂した第79回光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)。親日と反日をめぐり、韓国の各地でもありとあらゆるドタバタ劇が繰り広げられた。

 韓国プロ野球(KBO)斗山ベアーズに所属している日本人投手・白川恵翔(23)は15日、ロッテ・ジャイアンツとの試合で先発登板する予定だった。ところが、一部の野球ファンが交流サイト(SNS)の同球団公式アカウントに「光復節の試合に日本人投手とは何事だ」と抗議し、白川は結局、16日に登板することになった。

 斗山ベアーズの本拠地・蚕室野球場に掲げられた日の丸も批判を浴びて撤去された。同球団は約20年間、所属選手の母国の国旗を球場に掲げてきた。現在は韓国のほかに米国・カナダ・日本の選手がプレーしており、4カ国の国旗が掲げられていた。ところが、「光復節に日の丸を掲げるだなんてとんでもない」などの抗議が殺到したため、斗山ベアーズは15日午後2時ごろ、日の丸を下ろした。

 

 同球団の関係者は「約20年間、日本人選手が所属していた期間は光復節でもいつも通り日の丸が掲げられてきた」と話す。野球ファンのキム・ソンチョルさん(26)は「韓国に金を稼ぎに来た20代の外国人選手がどんな悪いことをしたというのか」と言った。「国民所得でも(韓国は)日本を上回ったのに、後進国のような振る舞いはするな」などの反論もあったが、「光復節に日の丸は見たくない」という意見も少なくなかった。
 

 ソウル市西大門区の西大門刑務所歴史館では14日と15日、日本による植民地支配時代の巡査の制服を着たスタッフたちに向かって水鉄砲を撃つ「独立軍戦闘体験」という企画が開始直前に中止になった。「子どもたちに憎悪と敵意を植え付けるつもりか」との指摘があったためだ。西大門区の関係者は「光復(日本の植民地支配から解放されたこと)ムードを体験しようという趣旨だったが、子どもの教育上、良くないということで中止した」と説明した。西大門区ではこうした催しを2010年代から実施しているという。

 

 日本料理店の中には、光復節に営業をしているという理由で後ろ指を差された店もある。あるインターネット掲示板には「光復節にうちの町のすし屋は通常通り営業中」「経営者の認識(の低さ)は実に残念」という投稿があった。その反対に、光復節に休業している日本料理店に対しては「概念(常識)のある店」と評価する声もあった。ネット掲示板のあちこちで、光復節に日本のビールを飲んだり、日本の製品を利用したりすることについて適切かどうかを巡り論争が起きた。
 

韓国の公営放送局KBSでは、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』(1904年初演)を15日午前0時から放送したが、「光復節に不適切な放送だ」と批判された。『蝶々夫人』は日本の明治時代の長崎を舞台に、日本人女性の蝶々さん(蝶々夫人)と米国人将校の関係を描いた作品だ。米国人将校は蝶々夫人を捨てて本国に戻り、米国人女性と結婚する。

 

 『KBS中継席』という番組で放送された『蝶々夫人』は今年6月にソウル「芸術の殿堂」で上演されたものの録画だ。主人公は日本の伝統衣装である着物を着ており、結婚式の場面では日本の国歌である『君が代』が演奏される。西欧帝国主義の男性の視点を通じ、東洋(日本)を「従順な女性」として対象化した、典型的なオリエンタリズム的要素を持っているとの評価がほとんどだが、「光復節に君が代と着物とはあきれた」などの意見が視聴者掲示板に殺到した。一部の書き込みには約1万件の「同意」ボタンがタップされた。KBSは公式見解で「当初は7月末に放送する予定だったが、オリンピック中継で延期され、光復節の未明になった。放送内容が時宜にかなっているかどうか検討できなかったスタッフのミスだ」と説明した。

 

 ところが、KBSでは同日午前の天気予報でも左右が入れ替わった太極旗のイラストを使って再び非難を浴びた。このため、「光復節に太極旗を左右逆に出すなんて」という批判が相次いだ。KBSは制作上のミスだとして「心よりおわびする」と謝罪した。
 

 さらに、KBSが15日夜の番組『独立映画館』で李承晩(イ・スンマン)元大統領のドキュメンタリー映画『奇跡の始まり』を光復節特集として放送したことに対し、全国民主労働組合総連盟(民主労総)傘下のメディア労組KBS本部などは「李承晩を美化したドキュメンタリー放送を中止せよ」と主張した。これに対し、「KBSが光復節に合わせて李承晩の映画を流すことの何がいったい問題なのか」という反論もあった。

 

アン・ジュンヒョン記者、イ・テフン記者、ク・ドンワン記者

 



 


ついに来たか。


南海トラフ地震の兆候が。



「地震に備えてください」

「避難経路の再確認を」

「防災グッズの再点検を」



とは言っても、それは毎度のこと。


再確認、買い足し、点検、これまで準備してたこと以上に備えられることはあるの?


3日分を5日分にするとしても、食器棚の扉を固定するにしても、巨大地震を前にして、なんか心もとないわ、人間ができること、これくらいしかないじゃんと思ったのですよ。


結局のところ


「日常生活を行いつつ」


なのですもの。




ところでいくつか記事やニュース映像を見ましたら、確かに臨時情報、臨時警戒は有効だなと思えました。


一週間という期間を設けるのは、確かに有効ですわ。


連続する地震は、1日から数日、あるいは2年(!)という、人間から見るととても大まかな期間がある。「今後30年の間に」という表現は地震分野では聞き慣れています。


そこで一週間の注意期間。臨時。


はじめてのことでしたが、なるほどでした。


ちゃんと国は対策してくれてたんですね。




一つは、これまでそこまで備えていなかった人たちも危機感を持って備え、既に備えていた人たちもグレードアップできるのには意味がある。それは個々人かつ全体のグレードアップ。



ふたつめには、一週間なら、ヘルメットや非常袋を持ち歩ける。一週間なら靴と共に寝れる。さすがに出先で一人で毎日は持ち歩けませんが、みんなで一週間なら。これで被害が大きい地域の生存率が上がる。




みっつめには、自治体の災害対策本部が稼働状態になっていること。



そうですよね。たいていは、地震が起きてから対策本部が設置されるのですが、あらかじめ稼働してくれてるのは心強いです。


これも、一週間なら人員を置けますよ。


そして、現場担当本人を確認するとか、無線連絡を確認するとか、消防や病院が待機にはいるとか、


確かに一週間前の点検、担当の確認ならば、確実な「当事者」「担当者」「予備人員」が一回予行練習をすることになるのでとっても有効。


あと、会社が仕入れを余分にしておくとか、早めに出荷するとか、各人のお盆の帰省中の対策とか、一週間の期間設定は有効ですわ。


社会全体の防災を上げておくのは、確かに大事ですね。


(資産の一部をドルにしておくとか)




で、「警戒」段階では、津波避難のできない地域はあらかじめしばらく避難しておくと。




それにしても、大自然の身震いは、人の力をを遥かに越えてしまうのです。




南海トラフ地震は避けられないとしても、


何とか、人間の力の限りの及ぶ範囲で過ぎてくれないだろうか••••






 

パリオリンピック!

 

 

 

 

・・・・・残念ながら、見ておりません。

(開会式が問題になったというので、動画はチェックしました)



時差のせいでしょうか、早朝から競技の中継をやってますよね。(あれも、録画再放送かも)


 

 

放送時間に合わせてテレビを見るという習慣が、もともとあまりなかったのですが、

仕事をしてますと、もう、後から動画をチェックするしか、ないですよね~

韓国のテレビで見せてくれるのも、ほぼ、録画再放送でしょう。

生中継、やってるかな?



スポーツの祭典で、各国が、各人が、総力を挙げて力と技術を競い合う、というのは、見ていて楽しいものです。

あれが世界共通だからこそ、世界のスポーツの祭典になっているわけですよね。

全世界、お祭り中。

全世界が同じ熱気に包まれているというのは、貴いものですよねー。





話しは変わりますが、

なんか近年、

運動選手が競技をしていると、「あぁ、若い人が頑張って走ってるなー」とか、

歌手が歌っていると、「あぁ、若い人が切ない愛の歌を歌っているなー」とか、


なんだか自分がどんどん、社会や文化の主流年齢層から外れ、「ご隠居さん」に近づいてきているのを感じていました。

歌いたい歌がない。口ずさみたい歌がない。

(ただ、しっかり探していないだけからかもしれませんが)


世の歌の大半は愛の歌です。

愛の歌は、愛する感受性を持つ年齢の方々に共感する、いわば求愛であるわけです。

すでにわたしの感覚としては、「息子らよ若さを謳歌しなさいよ」という感じ。息子娘世代が恋愛のお年頃になりましたので、その親としては、愛の歌全般、あまり自分事としては共感しなくなってしまいました。

ですが、

「わたしのお墓の前で泣かないでください」と歌うのも早すぎる。

「あぁ、川の流れのように~」も、まだ早い。

「手を取り合いもういちど」・・・これくらいの感じですかね。



当事者から外れてしまうと、老害になってしまうのでしょうか?

自分がまず努力することよりも、若者に願ってしまう。期待してしまう。心配してしまう。



若者たちよ、大きな世界は、君たちのものだ。

栄光は、君たちのものだ。

高みをつかみ取れ。

なんか、そんな感じですが、

若者にとっては、応援でもあり、迷惑でもあるかも。



とはいえ、人生80年とか、人生100年とか、まだまだ先は長いわけじゃないですか。

では、中高年は、何をすべきなんかなーと、

どうあるべきなのかなーと、

ちょっと考えてみなくちゃな、と思いました。




枯れ行く感性、

低下する体力、

その中でも、まだ社会の第一線の構成員。


労働社会の中では最年長者、


けれども人生で考えれば、まだまだ先は長い。




スポーツの世界で適当に考えてみれば、

未来ある青少年が、やがて第一線のプレイヤーになり、

選手を引退したら、指導者とか監督とか、育成する側、指揮する側になり、

もっと年を取れば、運営側になったりする。

もっと年を取れば、名誉職になるんでしょう。

世代交代。

引退すれば、関連分野だったり、別のことだったりをする。




おばちゃんとしましては、

 ←イマココ

を、どこに設定するべきなんかなーと、

ふと思った次第でした。




 ←イマココ

が、どこであれ、今がその段階での最盛期だと思えるように

なりたいなー・・・・

(全くなってないから、なりたいと思う)



 


(長文の上になんかいっぱいリンクつけてしまいました。量が多くて読みにくいです。)




韓国の国民情緒法
 

韓国は、憲法の上に国民情緒法があると言われています。

ちなみに、韓国の憲法は、(特に左派にとっては)国際条約よりも上だったりします。

ならば国民情緒法は韓国の最高法であるのか?

一応、「人類普遍の倫理道徳」、とかいう倫理道徳法が最高位にあるにはあるのですが、
 

それがたいてい濫用されて、つまるところは倫理道徳=ただの集団利己主義=韓国の国民情緒法であったりします。



人類普遍の倫理道徳=(が濫用されて)韓国の国民情緒法(集団利己主義)>>韓国憲法>>韓国の法>>国際条約>>日本の法=悪(強制連行法や慰安婦少女拉致の法)



遵法精神の上にある人類普遍の倫理道徳とその濫用

この国民情緒法、人類普遍の倫理道徳という名でパッケージされた民族集団利己主義に則る方たちを相手にすると、

「日本の当時の法律はそうであった」とか、「法に基づいて親が同意したものである」だとか、「強制連行ではなく斡旋、募集である」とか「国民総動員法」だったとか、「そういう犯罪の事例もあったというだけで法的にはそうではない」だとか、「遡及法はないという原則」だとか「完全かつ最終的に解決したはずだ」とかの、まっとうな遵法精神が、

全くもってみみっちい小手先の理屈とされるのです。物事の根幹を見ない「枝葉のこと」、「倫理のすり替え論理のすり替え」、「ごまかし」「言い訳」「正当化」「美化」「責任逃れ」、「小手先の理屈を並べて本質をすり替えているだけの悪意」のように扱われるのです。

何を取り決めても、「韓国民の合意は得たのか?」と、何度も蒸し返されてしまうのです。

しかも、「被害者が納得するまで永遠に反省と謝罪と賠償をせよ、贖罪をせよ」となるわけです。

「賠償は一度である」なんて法は通用しません。「被害者がもういいと言うまで」という情が先。




そもそも、韓国という「絶対善」が存在するためには日本というわかりやすい「悪」の存在が情緒的に(?)必要であることもあって、「日本」と言えば「擁護しても譲歩してもならない存在」であったりもしますので、日本の言い分などに耳を貸してもいけない。

 

相容れてはならない相手。日本の立場を理解してみようか、共感してみようかなんて考えは、道徳的に許されないのです。



いくら過去には自主的で合法であっても「植民地」、いくら配慮した統治であっても「最悪の統治」、いくら正当な売買での輸出であっても「収奪」、斡旋であっても「強制連行」(国民総動員法以降では「徴用」ですが、国家と認めないなら強制連行ではある)


いくら条約を結んでも、いくら合意をしても、いくら謝罪をしても、いくら経済支援をしても、


論理的にも情緒的にも、過ぎたこと過去は解決できるものではなく、妥協するしかありません。でも自尊心や利益や国民統合のために永遠に蒸し返し続けたいなら解決の道はない。



NO JAPANはなぁなぁになりましたが、あるべき倫理道徳は水面下では建材

ところで最近の韓国の若い層では日本に対する恨みも薄れています。日本でのKPOPの人気や、日本の企業を遥かに超える営業利益を出すサムソンのような大企業もあり、偉大な韓国、世界一優秀な韓国、技術力でも文化力でも一人当たりのGDPでも日本を追い越した、先進国韓国、という自己認識。特に日本に気後れしていなく、むしろ優越感を感じていたりしまして、

そんな若い世代は、上の世代からは、歴史を知らない世代、愛国精神の足りない世代、

倫理道徳をもっと学ぶべき世代、日本に対する嫌悪感や憎悪や恨みが足りない世代と見られています。


これからいろいろ勉強をし人生経験を積んで、日本の歴史的悪事について学び、「韓国人としてまっとうな倫理道徳感」に目覚めなければならないものとされています。

日本への好意は、浅はかなものである、という認識ですね。




法を根拠にした論理は無効、

倫理道徳(国民情緒)の下で日本は悪なるものなので日本の利益は全て無効

理解は禁止、共感は禁忌

「用日」だけは正当化できる
(日本旅行が楽しいとか、日本の寿司が美味しいとかは別物)


ということで、

いくら日本側が国際法だの当時の法だの日韓合意だの御託を並べても、韓国側には響かない。

韓国としては、日本のたわごとに響かされてはいけない。

そこに民族としての論理の壁と、加えて情緒の壁があるのです。

まぁ個人でも国でも、

論理も倫理も価値観も情緒も、異なるものであるならば、

その溝を埋めることはなかなか難しい。





さて、前置きがすごーく長くなりました。ここから本題、

韓国の国民情緒にアクセスできた、琴線に触れた

という事例が最近ありました。




前触れとしては、ピアニストのかてぃんこと角野隼人さん。

韓国のことを好きな人のことを、韓国人は大好きです。(それはどこの国でも誰でもそうか)

彼の訪韓youtube動画のコメントには、

「日本人は嫌いだけど」という枕詞がちらほらみられる中、「涙が出た」というコメントがたくさん上がりました。

音楽は心の琴線に触れるんだなあと。

韓国人にも、癒しが必要なんだなぁと。

特に同時期、韓国の若手でどこぞのピアノコンテストで優勝したピアニストさんと比べますと、韓国のそのピアニストはものすごく攻撃的に圧倒的に支配的に弾くことでコンテストに優勝し、韓国でもそれが絶賛されてます。それが韓国の従来の好み。

で、かてぃんさんは癒し系。

癒し系も韓国で受け入れられる素地があるのだなぁ。韓国人もそりゃぁ生きるのに疲れるだろうね。周り全部韓国人なんだもの。
 

 

 



そしたら、今年に入って、韓日歌王戦というテレビ番組が放送されたのですが、それが大反響を呼びました。

日本のオーディションを潜り抜けた勝者7名(無名歌手)が韓国で韓国側のオーディションの勝者7名と歌合戦をする企画。

そこで、日本の曲と日本の歌詞、日本の歌手が、すごく評価されたのです。

何度も再放送されるのでわたしも目にし、耳に入りました。

まず衝撃的な人気だったのが、50代の歌手、歌心りえさん。

 

 

 

 


笑ってよと歌うのに泣けてしまう、心で歌う本物の歌手だと評価されました。

 

 

 


あと、若手の住田愛子さん。太い足とちょっとお肉がはみ出たお腹、しかし元気はつらつで歌もダンスもうまい。韓国の「おじさんお兄さん」たちに、日本のアイドルの美的基準を納得させました。

 


あと東亜樹さん、歌声が美しいと。たぶん日本では(韓国でも)、この実力があっても商業性、興行性はないとみなされた歌手さんでしょう。けれども、実力でオーディションを勝ち抜いた。

日本でのオーディションは、勝者が韓国で日韓戦を行う前提で行われていたのかな?日本の80年代~2000年代のヒット歌謡で?だから番組として実力者を選んでくれたのかな?

ともかく、

日本の音楽の旋律、日本の歌詞の情緒、日本の歌手の歌唱力。

「韓国の音楽は全ての面で日本を凌駕している」と信じていた韓国人さんたちに、「韓国の歌謡界は猛省しなければならない」とまで言わしめました。

やったね。






さて、本題は、韓国の情緒法についてでした。


ここでなんと、

人類普遍の倫理道徳よりも、

もっと上の存在、もっと強いパワーワード

の存在を発見しました!!





ここのコメント欄で目を引いたのが、「天から下りてきた声」「天使の歌声」「天上界の歌」との賛辞です。




これが今回の大発見なんですよ。

思わぬところでわたしの韓国攻略テーマの進展が見えました。

もうね、論理でも、法でも、まして倫理でも、もちろん感情でも、

政治でも経済でも、産業でも、映画や歌でも、

アニメや漫画やゲームでも(この辺も韓国は食い込んでいると自己評価している)

最近はあんまり韓国からリスペクトされるもんはないなーと思ってましたが、


それを、


天上界~!!


が、すべてをかっさらっていける可能性を見せてくれました。

歌という、歌詞という、音楽という、全くの感性、全くの情緒で、多くの人に一気に、繰り返し、あらゆる面で、納得させてしまった!




お時間がありましたら、動画のコメント欄を日本語に翻訳できますので、右クリックして「日本語に翻訳」を選択してみてください。そして数百あるコメントを流し読んでみてください。面白いです。

韓国の歌手は「わたし上手でしょ?」と歌い、日本の歌手は歌って聞かせている、とか、

韓国の歌手は競演をしていて、日本の歌手は公演をしている、とか、

さすがノーベル文学賞を取った国、歌詞の深さが違う、とか、

(ノーベル賞を持ち出すのが韓国のノーベル症)

日本語が美しいと思ってしまった、とか、

心に響く、とか

涙が止まらない、とか。

多分、絶対に日本を許せないと言っていた人たちの層が、突然感情的にひっくり返っています。




この番組が大ヒットしたおかげで、続編、続々編が制作され、日本の歌手たちが韓国でロングランしているのです。

そしてラスボス、松崎しげるさん。圧倒的な歌唱力。まるで王の君臨ですわ。

 

 

 

お顔を拝見すると、お年を召されたなーと思いますけど、歌声は70代とは思えない。

で、韓国人さんの心にも、響いているらしいのですよ。

歌声も、曲も、歌詞もです。




韓国の国民情緒をガッツリと掴んだ日本の歌手たち。

なるほど、こういうアプローチがあったのか、と深く感心しました。



というか、日本語の歌をテレビに流すことは禁止されていると言うか自主規制されているというか、あり得ませんでしたので、今回このテレビ番組で、日本語の歌を日本の歌手が歌っている姿が全国放映されるのは、全くの異例だったのです。

で、大反響が来たわけですね。




結局のところ、韓日歌王戦(日韓歌合戦というところ)では、韓国の歌手が日本の歌手に勝ってるんですけれども、まあそういう番組ですからね。笑

そういう番組の姿勢についても、「この歌に30点はあり得ない」とか、「絶対に日本の歌手の方が上だったのに、韓国の放送局が恥ずかしい」とか、そういう感想が上がってました。





今回思いましたのは、

韓国の国民情緒はどうにもならない、と長年思っていたのに、

意外なところで突破できちゃうんだな、ということ。

論理が要らないところはさすが、情緒だなと。



それも、日本の言い分としての日本の情緒ではない、それは拒絶される。

天上の情緒、天使の声であるからこそであると。






ということで、結論としましては、

日本人が道を究めればいい。笑

心のきれいさ、感性の豊かさ、相手を思う気持ち、物事に打ち込む情熱、深い哲学性、文学性、
 

ともかく、心を込めて無心に、無我に、無私に、私欲なしに、利他に、いればいいんですね。

純粋に何事かに打ち込み、情熱をもって極める、喜んでもらえることを喜ぶということについては、日本人はピカイチですからね。

日本人の我が入っていると拒絶されますが、天の域まで高めればよしということでした。

 

パン屋さんであれ、寿司屋さんであれ、サッカー選手であれ、刀鍛冶であれ、歌手であれ、

それは、道を究めるものとしては、言われるまでもない。

まぁ、


日本人の我が入っていても喜ばれる国もありますし、日本人、日本製というだけで喜んでいただける相性の良い国もありますが、

韓国はおそらくハードル高いよ。

んで、認められちゃったね。

日本の歌の上手い歌手さんたち、日本で日が当たらなかった歌手さんたちが韓国で再発見されましたよ。

これは日本の歌謡界においても、いいことですよね。


なんか、突破しちゃったのだ。




あそうそう、韓国が脱落したパリ五輪のサッカーとかね、

あと、出場権も獲得できなかったネイションリーグのバレーボールとか、

そっち方面でもリスペクトされてましたね。

フィジカルの劣勢を克服して勝っていることが。

「リスペクト」。

本来、リスペクトはどの関係でも成り立ち得ますけど、韓国では条件が難しいかも。

 

(相手を見下すことで自分アゲしたい人はリスペクトの範囲は狭いです。)

(だからでしょうか、韓国はライバルをリスペクトしないんですよね。圧倒的であってこそリスペクトするようです。それはあんまりよくないリスペクトですが、日本がスポーツにおいて韓国に対して再びその地位を獲得するとはあんまり思ってませんでした。東京五輪の余韻でしょうか。というか、韓国の劇的な少子化が韓国の競技力と自信を削いで来ているかな。それでも己を知るとはいいことですよ。)

(・・・わたしとしてはリスペクトさえしてくれればいいかなって感じもあります)

 

 

 

 



 

 
打ち上げ成功、おめでとうございます。
 
宇宙開発事業に弾みがつきますね。

 

 

 

 

(抜粋) 

>H3は今年度、日本版GPSと呼ばれる準天頂衛星「みちびき」を打ち上げるほか、来年度以降も月極域の水資源を探る探査車など、日本の重要な科学ミッションや安全保障に関わる衛星などを宇宙に送る予定だ。

 

> 一方、軌道投入に成功しただいち4号(重さ約3トン、高さ約6・4メートル)は、高性能なレーダー観測機器を搭載し、夜間や悪天候時も自然災害の被害状況などを詳細に把握できる。初号機と共に喪失しただいち3号と同じシリーズで、設計寿命を超えて運用中のだいち2号の後継機として使う。


 
H3の1号機、だいち3号を乗せたロケットの指定破壊は痛かったですけれど(2号機は模擬衛星をのせていたのに、1号機には大事な光学衛星を乗せていたとは、打ち上げには自信があったんだろうなぁ。)成功して何より。


すでに失われているだいち1号(光学衛星)の後継機がだいち3号、運用が終わろうとしているだいち2号(レーダー衛星)の後継機がだいち4号。ということは、日本の地球観測の「光学衛星」はしばらく空白なわけですね。

 

 

 

>地球全体を定期的に観測することにより、国土全体の地殻変動、災害状況、地球環境変化、海洋など、多様な分野での貢献を目指します。

 

ところでです。宇宙ビジネスのベンチャー企業って、日本にもあるんですね。
 
福岡市の宇宙ベンチャー「QPS研究所」
 

こちらの記事で知りましたが、なかなか日本も捨てたもんじゃないんですね。
 

 

(抜粋)

>QPS研究所は、悪天候や夜でも地表を観測できる小型衛星を開発、運用する。同日は市來敏光副社長(48)が「将来的には36機を打ち上げ、同じ場所を10分間隔で観測できるようにするのが目標」と紹介した。地表データの解析により、農作物の生育状況を把握し食品価格の予測などが可能になる見込み。人の動きの詳細な分析もできるという。
 




夢は大きいなぁ。九州の高校生はこういう夢に接していられる。
 
H3ロケットが、これから日本の宇宙ビジネスを強力に後押ししてくれそうです。
 
それにしても、同じ場所を10分間隔とは、すごい。そんなことができるのか。

10分間隔で見たい情報って、相当に重大な情報が含まれることでしょう。

顧客の要望に応じて、いろんなデータを、売ることができる、すごい民間企業になる。

夢は大きいなあ。
 
(アメリカとかはもうやってるんだろな)