ch桜の討論 「明治維新とは何だったのか」 | NARUTOと日本人

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週間少年ジャンプで連載されていた大人気マンガ
岸本斉史先生の『NARUTO』。

そのNARUTOの
世界観をもとに、我が『日本国』、『日本人』を独自に考察して見たいと思います。

西部邁氏が1人で、明治維新をぶった斬り痛快な討論であった。

①明治維新の正当性

西部邁氏は、明治維新の志士を
長州はテロリスト、倒幕後の政府を、鹿鳴館で踊り狂う藩閥政治を斬り捨てた。
吉田松蔭「草莽崛起」を掲げる維新大好きの水島社長を見事にフルボッコにした。

ch桜の「草莽崛起」
「草莽崛起」≠ 綺麗な国民運動
である。定義からして誤り。
 
吉田松陰は、軍師であり戦略家。
政治家や思想家ではない。
「草莽崛起」は、江戸幕府倒幕の為の「奇兵隊創設」のお題目である。

明治の国民運動は、自由民権運動の板垣退助、大隈重信、頭山満等に正当性がある。

維新(革命)は綺麗事では起こせない。
明治維新で「草莽崛起」を提唱した
吉田松陰の長州藩が、一番悪辣な集団だった。
長州藩が朝廷(天皇)へ砲撃したのが禁門の変。
対抗したのが薩摩、会津。

「草莽崛起」ではなく「妄想崛起」と
呼ばれちゃうのは、このせいか。

明治維新の志士の長州藩の末裔が
自民党の清和会(安倍政権)。

そして、危機感なしの鹿鳴館で踊り狂う藩閥政治を、見事に踏襲して今も繰り広げているのが安倍政権である。

対案なしの「安倍を許さない」しか
言えない野党は、自民党以下の論外であるのは、言うまでもないが。

司馬遼太郎史観の維新大好きの安倍信者や綺麗事保守は、冷静に歴史を見直すべきだろう。


②日本人の精神性の崩壊

江戸時代までは、精神文明が発達した。
明治の開国により、外国より取り入れた文化、主義により、物質文明に移行し、精神文明が荒廃していった。

西部邁氏の「武士道精神の崩壊は、明治維新に由来する。」は指摘は正しい。

「戦後レジュームの脱却」は誤りであり、日本精神を取り戻すのであれば、
「明治レジュームの脱却」を目指すべきなのである。


③天皇皇室を中心とする国家観

水島社長の「日本は、天皇を中心とした家族的な国家論」は、戦後に開かれた皇室により作られた姿。

昭和のテレビ文化が発達するまで、一般庶民は、天皇陛下のお姿を目にする事もなかった。

江戸時代までは各藩の大名が親方様であり、主人である分権国家だった。
庶民は朝廷(天皇皇室)を意識すらしていなかった。

明治で国家神道となり天皇陛下は、現人神とされ、王政復古とは名ばかりであり傀儡とされ、政治利用されたのだ。
そして終戦後に、開かれた皇室となり、一般大衆から支持され今日がある。

戦後に作られた国家観を、あたかも2700年も一般大衆が保ち得て続いていたと思い込んでいる。
天皇皇室大好き論者が、ハマる脳内の幻想の賜物である。思い違いなのだ。

明治維新に対する幻想も、天皇皇室の国家観も、戦後に植え付けられた自虐史観の裏返しであり、綺麗事保守は、夢を見過ぎだろう。

司馬遼太郎史観などは、韓流ドラマの歴史ファンタジーを史実と思い込む韓国人と、大して差はない。ニヤリ
リア充の夢想論者達の姿である。