【タイワンダー台湾2日目】高雄の宿のおばちゃんにあやまりたい | 100%鉄道大好き宣言!!

【タイワンダー台湾2日目】高雄の宿のおばちゃんにあやまりたい

【3月19日 台湾旅行2日目】

宿のおばちゃんが前夜案内してくれた飲食店に「100元」という部分だけ理解できる紙ぺらを持って向かったところ、そのお店の人は英語がイケる口の人で、説明がものすごくよくわかった。そして私が大きな勘違いをしていたこともよくわかった。

前夜、私はおばちゃんの説明を「100元で朝ご飯が食べられる」という理解でいたのだが、実際には「100元まではこの紙ぺらで朝ご飯が食べられる」ということだった。つまり朝食代も宿代に含まれていたということである。疑ってごめん、おばちゃん。

路面に面したその飲食店で店主から、「ここに座るように」とほぼレジ前の、すごく邪魔になりそうな席に案内され、「これうますぎやろ」とハンバーガーを貪り食っていた。
すると店員がやってきて、興奮気味に「もしかして、MAYDAY目当てできた!??」と尋ねた。なお、基本は英語のやりとりである。
ここで私は昨日の記憶を手繰り寄せ、「そうだ昨日はMAYDAYのTシャツ着てた人を目撃したぞ」ということを思い出したのである。そこで、MAYDAY目的に台湾に来たわけではないこと、そして鉄道が好きでそれ目当てに来たことをご説明申し上げた。残念ながらMAYDAYのくだりで店員の方はがっかりされており、後半については聞いてもらえなかった。

 

チェックアウトののちは、高雄駅に向かった。旅行2日目は「列車の日」と決めていたからである。
ただ、その前にどうしてもほしいものがあった。「台鐡のTシャツ」である。
なぜTシャツがほしかったかというと、前日に乗ったMRT車内で、カタカナロゴの入ったリュックを背負った若者がいて、「ということは逆に日本で台湾のなんかロゴ的なのが入っているの着てたらかっこいいってことじゃね?」という気持ちに至ったからである。
お陰さまで高雄駅の台鐡オフィシャルショップにて、「鐡道人生」と書かれたTシャツを購入できた。しかし思ったより着用の機会はなさそうである。いつ着ようか。

 

ショップではついでに牛乳とお弁当を購入した。牛乳については瓶だったため、その場で飲むように指示された。まさか台湾に来てまで私は早飲みを披露することになるとはと思いつつ、正しい姿勢でいただきますからごちそうさままでを行い、空き瓶を返して改札に向かおうとしたところ、ショップのおばちゃんが追いかけてきて、「これ!」とおまけのシールをくれた。幸先がよすぎる。

 

高雄から台北までの移動するわけだが、新幹線および西側の在来線は過去に乗車済みであったため、今回は東側の在来線に乗って遊ぶことにした。
この計画は割と初期のころからあり、方々で「わし東側乗ろうと思ってるんです!」と言いふらしていた。
そのうち、鉄研三田会というところで嬉しそうにこの旨を述べていたところ、某O原先輩という台湾マスターのような大先輩から「特急混むから! すぐ満席になるから!」と脅された。
その脅しに則り、私は予め日本でこの日の特急券をすべて予約していたのだが、確かに仰る通りで、「この時間の乗りたいなー」は予約時点で満席で、次善の策を取ることになってしまっていた。
ただ、それでも座席は私の着席時点で満席だったので、東側の特急で遊びたい方はご参考にどうぞ。

高雄からはまず自強号で台東に、同じく自強号で台東から花蓮に、花蓮から台北までは普悠瑪(ぷゆま)号という乗り継ぎをした。

 

途中で感動したのは、おじさんが私のリュックを上にあげてくれたり、若い男の子が私のリュックを上にあげてくれたり、とかくリュックを上にあげてくれたことである。
生まれて初めての体験をまさか台湾でするなんて。

ちなみにトイレネタもたくさんあるのだが、割愛。

乗換を重ねて無事に台北まできたのちは、まず宿に向かった。
1日目の宿は、すでに先の投稿で述べたとおり「地場のビジネスホテル」感に溢れるところだったのだが、この日の宿は大変カジュアルないまどきのホテルだった。受付にいたのは揃いのチェックシャツを着た若い男女で、流暢な英語で応対してくれた。
内装はきれいだし、それは良いことなのだけど個人的には「地場のビジネスホテル」のほうが好きだ。
追加で内装について言及しておくと、風呂とトイレの仕切りがガラス張りで、「これどうするの」状態だった。一応カーテンはあるものの、それがどれほどの役に立つだろうか。
1人旅の私がカーテン全開にして用を足し、そしてシャワーを浴びたのはいうまでもないことである。もっとも「ああ、部屋が見えらあ……」という感想以上を持つことはなかったのだが。

さて、夜である。前夜が高雄の六合夜市であるなら、今夜は台北の士林夜市だろうと思って向かったのだが、あまりの人だかりにくらくらしてしまった。普段東京においても表参道あたりでぐったりするような人間には、大都会台北の混雑はハードルが高かったようである。
夜市に向かう途中で台湾人のおばちゃん3人組に道を尋ねられたのだけど、そんなに地元感が出ていたのだろうか。

夜市でほとほとに疲れ果て、路地裏のまっくらな道をとぼとぼと歩いていたら、ここがどこなのかわからなくなった。不思議な体験だった。
私は私だし、いつもどおりこうして歩いているのに、今いる場所は川崎からずっと離れているわけで。
出くわす人は見てくれがほぼ同じゆえに、話す言葉も食文化も歴史的経緯も全然違うということを、外見が似すぎてるからよけいに際だって感じたのである。