今日はアースデイなのかな?
wikiによると4月22日が一般的みたいだけど。。
アースデイに関する記事で、カール・セーガンを見つけ、それに感銘したのでシェアします。
わたしはもともと、
『人は、みんな個性があって人それぞれ。もしくは、所詮人間なのでみんな一緒!』
という持論を持っています。
何を言いたいかといいますと、
みんな違って当たり前。
でも基本、みんな人間のDNAを所有しているのでわかりえるはず!
そんな自分自分言うなよ!
という感じでしょうか(笑)
私はこういうところ感覚で生きているので言語化しづらい・・・(^_^;)
それが、カール・セーガンがすごーーーく、文学的に天文学的に語ってくれてます。
この距離から見る地球には、特に興味を覚えないかもしれない。
けれど我々の目には違って見えるはずだ。
もう一度この“点”について考えてみて欲しい。
ここだ。
これがふるさとで、私たちがいる。
この点の中で、あなたの愛した全ての人たち、知り合いの全員、今まで耳にしたことのある全ての人たち、人間ならばどこの誰であろうと、ここに生きてきた。
至福と苦痛の集大成が、
何千という自信に満ちた宗教が、思想が、経済教義が。
全ての狩猟採集者が、全ての英雄と腰抜けが、全ての文明の創始者と破壊者が。
全ての王と小百姓、
全ての愛をささやき合う若い恋人たち、
全ての父と母、希望の子供、
全ての発明者や探検家、
全ての道徳的な教師、
全ての腐敗した政治家、
全ての偉人や最高指導者、
全ての聖者や罪人が--。
その全ての人類の歴史がここにある。
塵の微片さながら、太陽の光の中に浮遊しながら。
地球は、壮大な宇宙のアリーナの中の、小さな舞台だ。
このわずかな“点”の瞬きの支配者となった、全ての将軍や皇帝の栄光と勝利の影で、流れ出たおびただしい血の量を考えてみて欲しい。
この1ピクセルの“角”に存在する住民が、まるで見分けのつかぬ別の角に存在する住民に対する、その終わりなき残虐行為を考えてみて欲しい。
なぜゆえに人類は頻繁に誤解し合い、殺戮を熱望し、強烈に憎悪し合うのか。
私たちのおごりが、私たちのうぬぼれが、宇宙で特権のある地位にいるというその錯覚が、この色褪せた光に試されている。
この惑星は、大きく暗い宇宙空間の中にひっそりと存在する、孤独な“しみ”でしかない。
こうも広大な宇宙の中でぼんやりとしていては、人類が人類を救うきっかけは外からは来ない。
地球は人類の知る中で、生命を宿す唯一の世界だ。
少なくとも近い将来、人類が地球外へ移住できるその時まで、私たちに行くあてはない。
行き着くことは出来る。定住はまだ無理だ。
否が応でも、しばらくは地球にいるしかない。
天文学という学問は、謙虚に人格を変える“教え”だと言われてきた。
おそらく、遠く離れた小さな故郷を見せつける以上に、人類の愚かさを実感させてくれるものはないだろう。
私にはこの点が、より親切に互いを思いやり、色褪せた碧い点を守り大事にするべきだと、そう強調しているように思える。
それがたった一つ。我々の知る、ふるさとなのだから。
--カール・セーガン
(参考)
http://www.remembrance.jp/2010/01/18/pale-blue-dot-カール・セーガン/
wikiによると4月22日が一般的みたいだけど。。
アースデイに関する記事で、カール・セーガンを見つけ、それに感銘したのでシェアします。
わたしはもともと、
『人は、みんな個性があって人それぞれ。もしくは、所詮人間なのでみんな一緒!』
という持論を持っています。
何を言いたいかといいますと、
みんな違って当たり前。
でも基本、みんな人間のDNAを所有しているのでわかりえるはず!
そんな自分自分言うなよ!
という感じでしょうか(笑)
私はこういうところ感覚で生きているので言語化しづらい・・・(^_^;)
それが、カール・セーガンがすごーーーく、文学的に天文学的に語ってくれてます。
この距離から見る地球には、特に興味を覚えないかもしれない。
けれど我々の目には違って見えるはずだ。
もう一度この“点”について考えてみて欲しい。
ここだ。
これがふるさとで、私たちがいる。
この点の中で、あなたの愛した全ての人たち、知り合いの全員、今まで耳にしたことのある全ての人たち、人間ならばどこの誰であろうと、ここに生きてきた。
至福と苦痛の集大成が、
何千という自信に満ちた宗教が、思想が、経済教義が。
全ての狩猟採集者が、全ての英雄と腰抜けが、全ての文明の創始者と破壊者が。
全ての王と小百姓、
全ての愛をささやき合う若い恋人たち、
全ての父と母、希望の子供、
全ての発明者や探検家、
全ての道徳的な教師、
全ての腐敗した政治家、
全ての偉人や最高指導者、
全ての聖者や罪人が--。
その全ての人類の歴史がここにある。
塵の微片さながら、太陽の光の中に浮遊しながら。
地球は、壮大な宇宙のアリーナの中の、小さな舞台だ。
このわずかな“点”の瞬きの支配者となった、全ての将軍や皇帝の栄光と勝利の影で、流れ出たおびただしい血の量を考えてみて欲しい。
この1ピクセルの“角”に存在する住民が、まるで見分けのつかぬ別の角に存在する住民に対する、その終わりなき残虐行為を考えてみて欲しい。
なぜゆえに人類は頻繁に誤解し合い、殺戮を熱望し、強烈に憎悪し合うのか。
私たちのおごりが、私たちのうぬぼれが、宇宙で特権のある地位にいるというその錯覚が、この色褪せた光に試されている。
この惑星は、大きく暗い宇宙空間の中にひっそりと存在する、孤独な“しみ”でしかない。
こうも広大な宇宙の中でぼんやりとしていては、人類が人類を救うきっかけは外からは来ない。
地球は人類の知る中で、生命を宿す唯一の世界だ。
少なくとも近い将来、人類が地球外へ移住できるその時まで、私たちに行くあてはない。
行き着くことは出来る。定住はまだ無理だ。
否が応でも、しばらくは地球にいるしかない。
天文学という学問は、謙虚に人格を変える“教え”だと言われてきた。
おそらく、遠く離れた小さな故郷を見せつける以上に、人類の愚かさを実感させてくれるものはないだろう。
私にはこの点が、より親切に互いを思いやり、色褪せた碧い点を守り大事にするべきだと、そう強調しているように思える。
それがたった一つ。我々の知る、ふるさとなのだから。
--カール・セーガン
(参考)
http://www.remembrance.jp/2010/01/18/pale-blue-dot-カール・セーガン/
私の大好きな映画「コンタクト」の原作がカール・セーガンさんでした! 「コンタクト」が好きは人は知的派なんだそうです(笑) コンタクト 特別版 [DVD] ワーナー・ホーム・ビデオ 2011-09-07 |