カルマ | 釈恵美子オフィシャルブログPowered by Ameba

カルマ

おはようございます。

週末のお天気はパッとしませんね。
寒いですが、もう3月半ばですし、電車やお店の中は暖かいので、服装選びに困りますね。

私は3月からヨガのインストラクターの学校に通い始めていて、土日は勉強をしています。

久しぶりの学校はとても新鮮で学ぶのがとても楽しくて、昨日は3回目の講義になりますが、理論が5時間もあり、受ける前は眠くなるだろうなぁ…と思っていたら、あっと言う間の5時間で、びっくりするくらいでした。

いろいろなことを学び、伝えたいことはいっぱいありますが、特に感じたことを聞いて下さい。

昨日の講義の中で、
『カルマ』について学びました。

カルマの解釈はとても難しく、いろいろな流派によっては考え方、捉え方が違うので、今日、教えて頂いたカルマについて、まだ答えにたどり着いてはいませんが、現時点での私なりの解釈では、カルマとは行動のもとになるものであって、行使すべきことをみんなが抱えているものであるもの。
体の死を向かえることもカルマであり、行使すべきことが残っていると、また、次に新たな魂のもとで学びが始まり、それを繰返しているのが輪廻であって、人生は何かをやり遂げて、何かをやり残して、次がある…

死について考えた時に、私は亡くなった父のことを思い出しました。
父は末期ガンと宣告され、手術も出来ない状態で、死の恐怖と戦っている時に私は父になんて、声をかけていいのか、必死で考えていました。

私の心の奥深いところに、昨日、感じたカルマの哲学があり、目に見えない大きなことから逃れることは出来るのだろうか、運命というか、カルマは決まってしまっているのではないかと、執着してはいけないのではないか、と冷静に考える自分がいました。

死を体験するようなこともない私が言うのはとても軽く聞こえてしまうかもしれないし、実際に私自身が死を直面したときにどんな気持ちになるのか分かりませんが、死ぬということはこの世から解放されることで、残された人たちにとっては苦行なのではないでしょうか…

父は亡くなる直前に、激しい痛みから解放され、とても穏やかな表情をしていました。

私の考えをこのような公の場で話すのは、いろいろな考えがあるので、受け入れ難いことだと思い、書くことにためらいもありましたが、同じ考えを持つ方がクラスにもいて、その方や先生がおっしゃっることと自分の考えがとても共感でき、自分の中に落ちる感じがとても嬉しくなりました。
 
しかし、とてもデリケートな内容なので、共感できない、嫌な思いになるという方は私の一個人の意見として、聞き流して下さい。

もし、皆さんの中のカルマの解釈があれば、教えて下さい。

日曜日の朝にとても重い内容になってしまいましたが、どうか、皆さん、素敵な日曜日をお過ごし下さい。