猫の後ろ姿 1775 新京美術院の少年たち | 「猫の後ろ姿」

猫の後ろ姿 1775 新京美術院の少年たち

 

  1940年(昭和15・康徳7)10月、満洲国新京特別市は、「あらたな満洲国の美術の創造」を目的として「新京美術院」の開設を決定した。院長には川端龍子が就任した。同院には院長一名、主事一名、研究員(講師)若干名等を置き、その第一期計画として将来満洲国美術界の中堅たるべき研究生の指導養成事業に重点を置くこととなり、東京に同院東京分室を新営し、第一年度研究生14名が選抜された。こうして満洲国の少年14人が来日、川端龍子のもとで美術を学んだ。
 (この「新京美術院東京分室」のことは、以前『あいだ』誌に「国家主義的美術家を育てる」としてしるした。)

 

 この東京分室で、『新京美術院』と題されたパンフレットが2回出されたことはわかっていたが、現物がどこにも無く、見ることが出来なかった。
 ところが、つい先日、東京文化財研究所の橘川さんから、『新京美術院』第一号が見つかったとのお知らせをいただいた。

 

 調べ物をしていて、つくづく思うことは、図書館・研究所などの資料の蓄積のありがたさ、そしてその資料群を有効に利用できるように整備する司書さんの役割りの重さだ。

 信頼できる、力のある司書さんの存在は、その社会の文化の下支えとなる存在であり、過去を知り、未来を切り拓く力となる。今回もありがとうございました、橘川さん。


 

          1941年4月3日 新京美術院東京分室 第一期生入室日