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2016-12-09 13:20:59

猫の後ろ姿 1777 田辺徹『戦争と政治の時代を耐えた人々』

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  副題は「美術と音楽の戦後断想」。 「はしがき」にこうある。

 

 <いま動乱の時代の再来の予感におびえる私たちにとって、明日は近代の延長ではなく、むしろさかのぼって中世の再来なのかもしれない。知的な近代の復活はいかにも不確定のことてあり、暗黒時代と呼ばれた中世の精神生活の再来に支配されるのではないか。>

 

 今年の9月に刊行されたこの本の、この言葉に私もまったく同感せざるを得ない。時代は非常に危機の様相を急速に帯びつつある。

 著者は、戦時下日本を生きた岡鹿之助・瀧口修造に、戦争と政治の時代を生きる人間の姿を追う。
 また著者は、ソ連の一党支配下に生きる若きロシア人青年たちにも深い共感を持つ。

 

 <私も長い間にはソ連に何人かの友だちをもっている。モスクヴア・バロックのファンタスティックな教会建築を熱愛するモスクヴァっ子、安部公房と松本清張をロシア語版で愛読しているレニングラードの青年、カンディンスキーに熱中しているユダヤ系の画家。彼らの感性は柔軟でタフだ。せんさいで傷つき易いだけに寡黙だ。いつも質素な服装で、まるで工場の裏口からでてきたみたいな風情の彼ら。生れ落ちたときから教条的な教育の網をかぶされながら、自分を守り通したしたたかな野猫のような彼ら。行くさきざきで、ソ連の体制批判の声をきかない日はほとんどない。しかし、そういう旅のつづくなかで思い出すのは、これらロシアの友だちだ。>(98-99頁)

 

 過酷な昭和十年代を生きた日本の画家・詩人、ソ連体制下の若者の声。よりよく生きようとする「友だち」の声がそこに聞こえる。

 時代と体制の違いを超えて、戦争と政治の時代を生きる者は苦しみの中にある。だからこそ、柔軟でタフで、寡黙だがしたたかな野猫である必要がある。


 

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2016-12-06 11:27:13

猫の後ろ姿 1776 古浄瑠璃 越後角太夫

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  一昨日、東京銀座洋協ホールで、「第44回音曲芝居噺研究会」に行ってきました。越後角太夫さんの古浄瑠璃「弘知法印御伝記」の演奏が眼目でした。
 林家正雀さんの落語「松山鏡」に続いて、ドナルド・キーンさんによる講演「古浄瑠璃について」。仲入りがあって、角太夫さんの語りと三味線による「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」三段目。30分を超える文字通りの熱演で、会場に角太夫さんの声が響き渡っていました。
 この演目の原本は大英博物館に1冊だけ保管されているそうで、来年6月にこの大英博物館で角太夫さんが演奏するとの事。

 「毎日新聞」2016年11月28日夕刊、「幻の古浄瑠璃、英で上演 キーンさん橋渡し」によれば、次の通り。

 

 <元禄年間に日本から持ち出され、現在は大英図書館(ロンドン)に1冊だけ残る古浄瑠璃本「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」が来年6月、誕生から300年以上を経て現地で初めて上演される。米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(94)が、養子で文楽三味線弾きの越後角太夫(かくたゆう)(本名・キーン誠己)さんに勧めるなど、実現に向けて橋渡しした。【中澤雄大】
 古浄瑠璃は、2003年に無形文化遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽」の源流とされる。活字で読める古浄瑠璃本は約500あるが、この「御伝記」は世界で1冊しか残っていない。
 御伝記は、貞享(じょうきょう)2(1685)年に本に刷られた。新潟県長岡市の西生(さいしょう)寺に安置されている弘智法印がモデルで、放蕩(ほうとう)を繰り返した主人公が妻の死を機に出家し、諸国を巡る厳しい修行の末に即身仏となる内容だ。
 同時期に長崎・出島に滞在したドイツ人医師ケンペルが離日の際、江戸幕府の目を盗んで持ち出した。ケンペルの死後は英国の収集家ハンス・スローンの手に渡り、コレクションの一部として大英博物館に収められた。
 「再発見」されたのは1962年。ケンブリッジ大で教えた演劇研究の第一人者、鳥越文蔵・早大名誉教授(88)が、現地の関係者から「大英博物館に素性のしれない和本がある」と相談された。確認すると、「幻の古浄瑠璃本」と言われた御伝記の正本(しょうほん)。鳥越さんは4年がかりで出版、日本に紹介した。
 さらに2008年、鳥越さんと親しいキーンさんが、ゆかりの深い新潟県での復活上演を、後に養子となる誠己さんに提案した。誠己さんは、佐渡に伝わる浄瑠璃「文弥(ぶんや)人形」遣いの西橋八郎兵衛(はちろべえ)さんらと「越後猿八(さるはち)座」を設立し、初期の義太夫節などを参考に復曲、柏崎市での公演を成功させた。
 第二の故郷でもあるロンドンでの公演は来年6月2、3日、現在の収蔵先である大英図書館で行われる。現地の子供たちも招待して元祖「クール・ジャパン」を体験してもらう。キーンさんと鳥越さんは「幾つもの出合いと偶然が重なった。『御伝記』が結んでくれた縁に感謝しながら、ぜひ成功させたい」と話している。>

 

 このあと、鏡味仙成さんの「太神楽」、林家彦丸さんの落語「一分茶番」を楽しみました。

 

 主催者、演者がそれぞれの縁で結ばれたこの日の「醒睡会」は、芸能というものの不思議さ・面白さを改めて感じるものでした。

 人の縁が複雑に結びつきながら、ある事柄が次の時代に伝えられてゆく。不思議ともいえることですが、これが人間の文化というものの本来の姿なのかもしれません。

 

 

         写真2点は、毎日新聞記事より拝借いたしました。

 

 

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2016-12-02 11:38:02

猫の後ろ姿 1775 新京美術院の少年たち

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  1940年(昭和15・康徳7)10月、満洲国新京特別市は、「あらたな満洲国の美術の創造」を目的として「新京美術院」の開設を決定した。院長には川端龍子が就任した。同院には院長一名、主事一名、研究員(講師)若干名等を置き、その第一期計画として将来満洲国美術界の中堅たるべき研究生の指導養成事業に重点を置くこととなり、東京に同院東京分室を新営し、第一年度研究生14名が選抜された。こうして満洲国の少年14人が来日、川端龍子のもとで美術を学んだ。
 (この「新京美術院東京分室」のことは、以前『あいだ』誌に「国家主義的美術家を育てる」としてしるした。)

 

 この東京分室で、『新京美術院』と題されたパンフレットが2回出されたことはわかっていたが、現物がどこにも無く、見ることが出来なかった。
 ところが、つい先日、東京文化財研究所の橘川さんから、『新京美術院』第一号が見つかったとのお知らせをいただいた。

 

 調べ物をしていて、つくづく思うことは、図書館・研究所などの資料の蓄積のありがたさ、そしてその資料群を有効に利用できるように整備する司書さんの役割りの重さだ。

 信頼できる、力のある司書さんの存在は、その社会の文化の下支えとなる存在であり、過去を知り、未来を切り拓く力となる。今回もありがとうございました、橘川さん。


 

          1941年4月3日 新京美術院東京分室 第一期生入室日

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