カクシンハン『タイタス・アンドロニカス』無事終演しまして、ご来場の皆様どうもありがとうございました。
というのが先週?で今は早速次なる現場でまた揉まれている真っ最中です。
文字にしておこうと思ったのでこれを書いています。
タイタスの稽古場で何度か出てきたワード「尾根伝い」について。
ぼくはこの感覚を、根本的に手に入れたい。
出演する作品や、役、カンパニーによって差ができるのではなく、根本的に手に入れたい。
そして「尾根伝い」はおそらくぼくがずっと追求し続けるべきテーマともいえるだろう。
カクシンハンでそれが特にはっきりと言語化されて入ってきた、というのではなく、それはもう「感覚(の問題)である」と言ってしまうのが一番近い表現になるのかもしれない。しかしそれは明確に、ある。あれがよくてもこれがだめ、とかあちらを立てればこちらが立たず、ではなく、「尾根伝い」が私という俳優のフルパワー状態にならなくてはならない。
幾つかの具体例を示すことができるけど、それは職業的に秘密にしておこう。まだまだ言葉にするにも研究が必要だし、自分の言葉でそれを口にするにはぼくは未熟すぎる。
今のティーファクトリーの現場でも、例えば人の芝居を観ていておもしろいなあって感じるのは「尾根伝い」してる瞬間なんだな、と毎日なにかしら発見しています。
それは、単純に好き嫌いの問題だと今まで思ってきたけど、どうやら違うようです。好み云々の次元じゃなく、ぼく自身にとって、お芝居のなにがおもしろいのか?という根源に迫る大テーマだったのです。
一生かけて追求していくことになるであろう。
もうひとつ。
ぼくはいま30代。
30代のうちにひとつでも多くの「技術」を身につけなければ、これから先はないと思っています。
一口に「技術」といってもいろいろあるけど、とにかく技術なしではこの先、生き残れないのはどうやら間違いありません。
「心技体」という言葉があって、その優先順位はどんな順番だろう?と最近考えていて、現時点でのぼくの答えは「体心技」です。
まず健康、俳優にとっては身体。舞台で晒されるすべてです。
次が心。思考や姿勢、魂というか大きく言えば人間力の背骨が心。
最後が技。
ちなみに巨人軍の菅野投手も「体心技」と言ってました。
ですので、まず身体だとにかく身体だ、とここ数年意識しだしていろいろやっているわけですが、体だけではピースが足らない。心技体のこの3つはやっぱりどれが欠けてもダメで、じつは3つとも大事だったんだとタイタスを経て強く思いました。ハートがあってもそれを具現化する技術がないとそのハートはどこにもいけないのです。
もちろんそれは己の身体あってのことですから、身体を訓練、鍛錬、あるいはメンテナンスするのは当たり前で、同時にそれを使って技術を磨かねばならないのです。
体が基礎なら、技は応用とでもいいましょうか。
そして応用の技がなければこの先通用しないなと思うのです。
念能力でいえば「練」をどれだけ維持しても「発」を使わなければ闘いには勝てません。つまりそういうことです。ああなんてわかりやすい、ハンターハンターすげえな。技術を身につけるとは、己の「発」を見つけ育てるということなのです。
修業は続いていくどころか、どんどん加速度的に勢いが増していっています。
というわけで、エフェメラの詳細はまた後日。