和癒師えんです。
”わたし”のはじまりのひとつ。
その”はじまり”と”終わり”を記しておきたくて。
どう進んでいくかちょっとわからないけど、
途方に暮れている今の備忘録。
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はじまり。
こどもの頃、
深刻でもなくたわいもなく母から聞かされた話のなかに、、、
私がおなかにいるときのエピソードがありました。
今では笑い話だけど、
私は早産で未熟児だったそうで、
髪は茶色で
「外人の子かと思った」
「自分の子と思わんかった」
と。
「切迫流産で入院させられベッドに縛り付けられていやだった」。
「流れても良かったのに。」
「先生が余計な親切してくれて大変だった」、と。
この話は鮮烈に私の脳に刻まれて、長く私のとらわれとなった。
「妊娠中に煙草を吸ってもどやんもなかよ」、と。
「缶ピース、ぺっぺとしながら吸ってた」、と。
え?
だから切迫流産になったんじゃ、、、?
(とはその頃もその後もさすがに聞けなかった)
もしその親切な先生がいなかったら私は生まれてなかったの?
(って聞いたような気もするけどその答えは適当な感じでこれまた深刻な雰囲気はなかったような記憶)
首の皮いちまいでこの世に生を受けた私。
首の皮いちまいに対する感謝より、
「生まれなかったらどうなったんだろう、、」とか、
「生まれてきた意味は、、、」の問いかけがひりひりと心をうずかせる。
その後の母とのいさかいでなんども繰り返されたやり取り、、、
「そぎゃんこつばっかり言うならするなら出ていきなっせ」
「出ていけて言うならなんで生んだとね?!」
「親に向かってなんちゅうこつば言うね」
いろんな状況や母とのぶつかり合いに勢いを借りるような形で、
家庭を持って息子を授かったのちの二度の同居。