和癒(わゆ)サロン En’(えん)

和癒(わゆ)サロン En’(えん)

あなたの身体の“癒快(ゆかい)”をお手伝する,広島市安佐南区大町の和癒(わゆ)サロンEn’(えん)です。
☆☆☆ 日常生活に寄り添い,
    身体の使い方の癖をひも解き,
    動きやすい身体づくりと心地良いライフスタイルをサポートします☆☆☆

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和癒師えんです。

 

”わたし”のはじまりのひとつ。

その”はじまり”と”終わり”を記しておきたくて。

 

どう進んでいくかちょっとわからないけど、

途方に暮れている今の備忘録。

 

*****

 

はじまり。

 

こどもの頃、

深刻でもなくたわいもなく母から聞かされた話のなかに、、、

 

私がおなかにいるときのエピソードがありました。

 

今では笑い話だけど、

私は早産で未熟児だったそうで、

髪は茶色で

「外人の子かと思った」

「自分の子と思わんかった」

と。

 

「切迫流産で入院させられベッドに縛り付けられていやだった」。

「流れても良かったのに。」

「先生が余計な親切してくれて大変だった」、と。

この話は鮮烈に私の脳に刻まれて、長く私のとらわれとなった。

 

「妊娠中に煙草を吸ってもどやんもなかよ」、と。

「缶ピース、ぺっぺとしながら吸ってた」、と。

 

え?

だから切迫流産になったんじゃ、、、?

(とはその頃もその後もさすがに聞けなかった)

 

もしその親切な先生がいなかったら私は生まれてなかったの?

(って聞いたような気もするけどその答えは適当な感じでこれまた深刻な雰囲気はなかったような記憶)

 

首の皮いちまいでこの世に生を受けた私。

首の皮いちまいに対する感謝より、

「生まれなかったらどうなったんだろう、、」とか、

「生まれてきた意味は、、、」の問いかけがひりひりと心をうずかせる。

 

その後の母とのいさかいでなんども繰り返されたやり取り、、、

「そぎゃんこつばっかり言うならするなら出ていきなっせ」

「出ていけて言うならなんで生んだとね?!」

「親に向かってなんちゅうこつば言うね」

 

「生まれてきてほしかったから」とか
「愛してるから」とかの言葉が欲しくて反論反発すると、それ以上の怖い言葉が返ってくる、の繰り返しはその後もぐるぐる続く。
 
言葉の魔力ってものすごい。
 
こども時代、ずっとひりひりしていて、
そのヒリヒリが何なのか、
ヒリヒリ最高潮に達した高校時代、
ある意味必然的に行きついて読んだフロイトの「精神分析入門」から、
「心理学」を学びたいと。

いろんな状況や母とのぶつかり合いに勢いを借りるような形で、
半ば家出のように広島へ。
 
母とは、
親とは、
家族とは、
そのなかでの自分は、とは、
そんなものを模索し続けた、はじまり。

家庭を持って息子を授かったのちの二度の同居。
一緒に暮らしては「熊本に帰る」と母が出ていくたびの空虚感。
自分の輪郭をつかみたくて模索したなかで集めて来た本たち。
 
自分が歩いてきた道のりの「テーマ分類」を端的に表現してくれるこれらの本を、
ずっとここに並べてきたのだけど、
 
手放していいかな、
手放して、
ここに新しい場所を作りたいな、
 
ふとそう思い始めました。
 
はじまりの終わりを、
迎えられたんだなぁと。
 
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終わりは、
母が亡くなったことじゃなくて、
 
母の生きざまが、
はじまりの時の言葉の呪縛を解いてくれたということ。
 
言葉よりも、
最後まで無心に生きようとする命の営み。
 
「母より長生きしたくない」ってずっと思っていて、
それは、
「亡くなる時に呪いの言葉を残されたら生きていけんわ、、、」
っていうめちゃくちゃ悲観的な予測があったからだけど、
 
呪いの言葉どころか、
晩年が近づくにつれシンプルになっていく反応。
 
私のことが誰かわからないのもはっきりしているなかで、
「嬉しい」
「頑張るね」
「ありがとう」
を伝えてくれる母は、
 
ずっと答えを探してきた私の思考や予想に収まらなくて、
「やさしさ」とか
「ぬくもり」とかを求めたり喜んだり、
ひとが生きることのありのままを見せてくれたなぁと、、。
 
だんだんと、息が弱まるなかで、
「おかあさん、息、吸おうね」
「上手だよ、もうひとつ、吸おうね」
目の反射もなくなり、
かける言葉に呼応してるわけではないとわかっていても、
あえぐように吸う姿が応えてくれているかのようで
 
酸素マスクのなか、
身体を震わせながら息を重ねて、
ただ純粋に「力が尽きるまで命を生きる」姿を見せてくれて、
 
「生まれてきた意味ってなに」
私が問い続けてきたそのことの答えは、
まざまざとそこに在ったのでした。
 
*****
 
問い続けることとか、
その問いに対する自分自身の想いを実践することがが自分の人生そのものみたいな感じになっていたから、
 
突然降りてきた
ある意味「美しすぎる収束」
 
「え、終わっちゃったよ」
 
時間が経つとともに、
母という存在の力を借りて、それをばねに生きてきた自分に気づき、
 
「え、これからどうするの?」
「これってやばくない?」
そんな今です。
 
 
弱っていく母を見る悲しさとか淋しさとか、
現実の母に会いに行ける場所がなくなった淋しさとか、
 
エネルギーを向ける対象がなくなって途方に暮れていて、
すぐにどうこうなるものではないけれど、

 

これまで見えてなかったもの、こと、
心や生活のなかの新しいスペースで、
改めて大事にしていきたいな。

 

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和癒師えんです。

 

4/21(日)の明け方に、母が永眠しました。

行年90才でした。

 

母のこと、

母と私のことを見守ってくださったすべての方に、

これまでに、

深く感謝申し上げます。

 

*****

 

母のこと、覚えておきたいことはたくさんあって、

書いておきたい、

だけど、頭や心にあることを書くのはなかなか覚悟が要る。

記憶が薄れるのがいやだと思う反面、

現実に直面するのがまだ痛い。

 

そんななか、今日は滝の日でした。

 

 

看取る直前の4/16の滝入では、

でもまだその時がそんなにすぐだとは思ってなくて

「おかあさぁん」と滝のなかで小さい声で。

やさしい響きが大好きな「あやにあやにくすしく尊と、、、」に祈りを込めて入りました。

 

これまで、たくさんの祈りを受け容れてくれた滝。

 

*****

 

8年前に始まった「献水の滝物語」。

 

熊本地震のあと、ひとり暮らしがおぼつかなくなった母。

入院、そして施設への入居へと進んでいくなかで、

模索したり

悩んだり、

出口のない想いの抱えきれなさに押しつぶされたり、

良いことにもそうでないことにも感傷的になる日々のなかで、

 

水音、巡る四季の美しさに、

そこで出会う方々との心の交流に、

癒されてきました。

 

感謝という言葉ひとつでは表しきれなくて、

思い返していてふと思い出したのは、

私とこの滝との出会い。

 

母なくして、

熊本なくして、

この滝との出会いはありませんでした。

 

滝に支えられた時間に想いを馳せ感謝するなかで、

この滝との出会いの大きな原動力となった熊本地震は、

故郷そのものであり母あればこその体験でもあり、

 

たくさんのご縁の先に始まったこの滝のはじまりのエピソードは、

自分のなかで誇らしく思える記憶のひとつ。

 

私の「献水の滝物語」のはじまりの物語。

 

綴っておきたく、

ブログを開きました。

 

*****

 

8年前の2016年は着物でお山をはじめた年。

元旦。

 

地下足袋ーずで広島南アルプス縦走☆2016初日の出

 

そして熊本地震の年。

4月。

 

雨の中の余震の前に避難さすべく帰省して直面した、

「水の都熊本」での断水の現実、いざというときの水源がないことへの危機感。

 

断水つれづれ。

 

熊本から広島に戻って、

元旦の初日の出登山時にに出会って山繋がりとなったHさんに「いざというときのために水場を知っておくことが大事!!」と力説したところ、

「広島にも水場がありますよ。行ってみますか?」と。

「ぜひ!!」

と連れて行っていただいたいくつ目かの水場が、

己斐の、滝の観音でした。

 

そこには滝が。

「え?この滝、入れるんですか?」

と聞いたところ

「前は入ってたね。入ってみる?」

と受けたもういただいたことから、

長年漠然と憧れてた

「日本人として生まれたからには一度はやってみたい滝入体験」

が実現。

8月。

 

20160828己斐の教順寺 滝の観音~滝に打たれる自然体験~

 

さまざまなご縁やさまざまな方々の想いが繋がり重なり

「6がつく日の滝入」

が始まりました。

 

半世紀以上の長きに渡って、

原爆で亡くなった方々を悼みたった一人で献水を続けられた宇根利枝さんの想いに触れ、

そのひとの想いのすごさに想いを馳せるとともに、

 

せっかくなら

「冬の滝に入ってみたい」

「それなら休まず通おう」

と自然と心が動いて、

動き始めた”6がつく日の滝入”に関わる方々、

初めて出会う方々のなかで戸惑いながらもただただ滝に通う日常が始まりました。

 

生まれ故郷への想い、

ちいさな憧れ、

たくさんのご縁、

そんな縦糸横糸の広がりのなかで滝入に通うなかで、

 

自然への畏怖畏敬を実感する場所、

自分にとっての祈りの場所、

心身のセルフケアの場所としての「滝」が、

私にとって、どんどん日常の一部となっていきました。

 

滝に支えられた時間に想いを馳せ感謝するなかで、

滝との出会い、滝のはじまりの大きなきっかけとなった熊本地震は、

故郷そのものであり母あればこその体験でもあり、

 

たくさんのご縁の先に始まったこの滝のはじまりのエピソードは、

自分のなかで誇らしく思える記憶のひとつ。

 

たくさんの感謝のなかで、

母といまの自分とを繋げる糸をまた改めて見つけて喜ぶ私の滝入を、

 

今日も宇根さんが、

滝の上から見守ってくれていると思いました。

献水の滝物語

 

長きに渡り私たちの滝入を見守ってくださる方、

応援してくださる方、

滝がいまここにあることに繋がるすべての方に、

感謝して滝入しました。

 


ありがとうございます。

 

 

和癒師えんです。

 

着物ライフに刺激が欲しい今日この頃。

日常着があまりにも”ただの衣”と化してしまっているからだと思います。

お出かけするとかおしゃれするとか、

ちょっと緊張する場所に着て出かけるとか、

そんなことが自分に必要とひしひし感じる今日この頃。

 

お出かけするときの和装のマナーとか、

改めて学んでみたい気持ちも湧いてきました。

 

*****

 

着物ライフのとっかかりはすでにいつかわからなくなっているけど、

日常化の始まりが2015年。

facebookにアルバムを作って週1着物を記録し始めてから。

でも、おめかし着物でお出かけなんて毎週あるものでもないし、

そもそも日常で着物を着るのに憧れていたから、

着物でできることを日常の生活ベースでひとつずつ増やし、

最後のチャレンジ「きものでお山」を実現した2016年の元旦、

そこからdaily 着物lifeまっしぐら!

 

それから早、丸八年が過ぎました。

 

アルバムを作った時にはすでに、

お出かけは着物で、を目指していたにも関わらず、

”いざ”という時が心配で、

お出かけ着を取っておいてたんですよね。

 

その後も、

衣替えの度に着てみては、捨てることもないか、、ととっておいたものたち。

でも、

おととし甥っ子の結婚式に着物で出席したことをおもえば、

もう着ることはないよねと決心つきました。

 

何年もワードローブの奥底に寝かせていた子たち。

記念に写真撮ってみました。

 

購入したのがいつか?を辿れば、15年〜20年選手のものばかり(^^;

パンツ類。

 

BODY DRESSING deluxeのスーツ。

大好きだったなぁっ

スカートは履くとしっかりラインが出るくらいぴたぴたなタイプ。

北海道に出張行くときに購入した記憶。

 

UNTITLEDの黒のスカートスーツ。
肩からデコルテにかけてのラインは今のほうがすっきりして見えるのは、

内肩矯正への地道な努力が報いられているかも。

 

BODY DRESSING deluxeのジャケットと、

ANAYIのスカート。

 

中学の入学式か卒業式か高校の入学式のどれかで、

着物で参列を息子に拒否られ、

”いざというとき”シリーズから見繕って着たもの。

BODY DRESSING deluxeのスーツ。

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同じくBODY DRESSING deluxeのジャケット。

 

自由区のツーピース。

Mちゃんの結婚式。

ほんとのほんとに着物で出たかったけど、

夏のお祝いの席に着物でチャレンジすることに怖気づいて近くの百貨店でなんとか見繕ったもの。

ほんとに一度しか着なかったような、、、。

あとから、

レンタル&着付けを頼めばよかったと本当に後悔しました。

 

ICBのパンツスーツ。

2015年、日本コアコンディショニング協会のマスタートレーナーの表彰式に出るために購入したもの。

これが多分最後に購入したスーツじゃないかと。

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その他本当にただ取っていたものたちは写真なしでそのままビニール袋へ。

 

機能性重視のものは、

流行変わると着れないのに、

我ながら、10年20年選手の子たちをよく取ってたものです(^^;

 

こちらは

KOOKAIのワンピース。

ワンピースの類は、、

当時の”好き”が詰まっているし、

おばあちゃんがお花畑気分で着てもノスタルジックで可愛い気がするから捨てないことに(笑)

これが着れる体型を維持することを目標に、

定点観測することにしよう。

 

なんなら30年以上前のワンピースもとってたりするけど、

これはもう冥途の土産かなぁ。

 

備忘録のアルバムに納めて、

服のことを記憶しておく必要がなくなったので、

新しいスペースで、

今後の着物ライフについてわくわくしようと思います♪