保谷聖耀監督『クールなお兄さんはなぜ公園で泥山を作らないのか』(2020) | 映画遁世日記

保谷聖耀監督『クールなお兄さんはなぜ公園で泥山を作らないのか』(2020)

今年のカナザワ映画祭、コロナ禍の影響で『期待の新人監督』特集上映はオンライン上映となりました。配信で映画観ることに慣れていない自分としては困った展開ではあるのだけれど、映画祭の灯を消さないぞ、というカナザワ映画祭およびタテマチ屋上映画祭関係者各位の気概には頭が下がる思い。こちらもやる気を取り戻しつつ、よし、観るぞ!と意気込んでストリーミングのアーカイブで今年の出品作(グランプリ作品となったそうです!)『クールなお兄さんはなぜ公園で泥山を作らないのか』をまず鑑賞しました。

 

[内容(カナザワ映画祭サイトより)]

純粋無垢な少年の記憶は、甘い香りで世界を包みこもうとする…

空飛ぶ男による青春サイエンスフィクション。

 

本作を観る前は、170分もの上映時間、長いタイトル…地雷を踏まされようとしているのか?と危惧していた。なにせ(観てないけど)『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』みたいのとか、タイトルだけでドン引きしてしまうタチなもので…。

 

鑑賞した結果から書くと、最高に面白かった。むちゃくちゃ衝撃を受けた。いや悶絶するほど感動した。個人的にはカナザワ映画祭『期待の新人監督』特集上映作品歴代ナンバーワンだった!(とはいえまだ観ていない方はハードルを上げずにフラットな気持ちで挑むが吉と思いますです)なもんですから書きたいことも山ほどある。まず、僕はバカなので普段映画を観たら「これは〇〇みたい」「〇〇っぽい」と、何か他の映画と比べるような感想の述べ方をよくしがちなんだけど、本作はそれがなかなかに困難。自分も生まれて50年映画を観続けてきている(赤ちゃんの時から観てんのかよ)ので、幻想的であったり、アバンギャルドだったり、アートアートしていたり、難解だったり、哲学的だったり、つまり訳の分からん映画(好物だったりもする)もたーくさん観てきているはずなんだがそれでも困難。当然長い映画(ちなみに自分としてはもっともっと長くても良かったくらい)なので、無理やり(ボキャ貧なりに)「このシーンは〇〇っぽかった」って具合に書けないこともないけど、それが恥ずかしい行為に思えてくるほどこの監督さんだけが持っている天然・純粋な個性が細部に渡って貫かれていたと思う。

 

「この監督の脳ミソはどうなってるんだ?」って思えるシーンもいくつもいくつもあった。それが特に顕著だったのは(ネタバレに注意して書くよ!)、本作の主人公の、人助けに関する教訓めいた思い出…みたいなシーン。「ここ、これだけの尺を使ってこの見せ方、普通するか??」と、誰もが感じると思う。でも、このシーンは絶対に必要だし、この見せ方も最高だよな!ってなってしまった。というか、全編そんな感じで理解に苦しむ撮り方をしてるけど、唸らされる。みたいな驚きの連続。映画としては静かな映画の部類なのだと思うけど、僕はもう興奮の連続だった。また、本作は撮影も多くのシーンにおいてすごく綺麗(なかでも多く見られた逆光のショットは特に印象深い)だし、ボーッと観てたら「どうやって撮ってるのかわからない」ような心に刺さるカメラワークも盛りだくさんだったと思う。

 

閑話休題

 

話は一寸だけ逸れるが、昨年の『期待の新人監督』特集上映の時、稲生平太郎先生(審査委員長だったかな?)が冗談まじり、嫌みまじりで「ほとんどの映画で『海に行く』シーンがあったんじゃない?」とインディー映画の陥りそうな罠について語られていたのだが、なんとこの『クールなお兄さんはなぜ公園で泥山を作らないのか』でも海に行くシーンがあるのである、が、海は海でも砂浜ではなく岩場(磯)なんですよ!僕は震えるほど感動した。よくわからんが、この感覚に感動した。この場面、映像の質感、色味もいいし、最高だったと思う。最高のロケーション。因みに稲生平太郎先生がおっしゃっているのは、多くの(マジで多くの)海に行くシーンがある自主映画について「何か意味があるならいいけど、特に意味もなく主人公とヒロインが海に行ってぼそぼそ喋って、そんなん見せられてどないせぇゆうねん」「とりあえず海に行けば映画っぽい画が撮れるからといって安直に海に行くのはどうか」みたいなことだったと思うんだけど、僕は本作の『海に行く』シーンについては、監督の意図がどうだったかは置いといて勝手にいろいろ受け取ってしまった。海からの帰り道、主人公の親友(海には3人で行った)は「学生らしく海にも行ったし(みたいな台詞。その後の台詞は失念)…」てなことを言うんです。単純に「え?学生らしかったか?学生で海なら、ビーチだろ!」と、妙に違和感が残る。海のシーン、そしてそのあとのこの台詞で主人公の親友の様子が段々とおかしくなってきている(もう少し書くと、パッとしない主人公とイケてる親友の優位性が移り変わって行く)様子(極力ネタバレしないように書いてるからなんのこっちゃかもしれませんがご了承ください)がひしひしと伝わってきたというか。これがなくても親友の様子が徐々におこしくなってきているのはわかるといえばわかるのだが、この海のシーンがあることによって、さらにそのなんとも言えない異様な空気感が生まれていたのだと思う。つまり、つまり何を言いたいのかというと、本作の海のシーンに意味はあって、そして保谷聖耀って監督は天才だ!ということなんです(バカみたいな「言いたかったこと」ですみません)。で、映画を観終わったあとに、カナザワ映画祭のサイトで保谷監督のバイオを確認したら『京都大学で哲学を学びながら映画を撮り続けている』とある。『京都大学で哲学』・・・文字通り天才だったのじゃん。でも『映画を撮り続けている』・・・バカじゃん!!!!!!!!映画だけではなく、監督本人も掴みどころがないナ!!さらには『1999年岐阜県生まれ』『10代の終わり、撮りたいものを純粋に追っていった結果できた作品です』とある。え、この映画19歳の時に撮った映画なの???

 

ピェェーーーーー!!!!!!!(尊敬)

 

いやぁ、何かとヤバいでしょう。京都大学で哲学専攻してたら、将来映画を撮らなくなる可能性なくなくない?(そこかよ)

 

もしそうなったら勿体ねぇ。こ、こうなったら急いで日本映画界様はこの天才監督を囲う準備をしておいたほうがいい!すわ保護したほうがいい!チヤホヤして、将来映画以外の道を歩もうとする彼(勝手に決めんなよ)を思い止まらせて欲しい!!!!切に願うものである。

 

最後にひとつだけ。このように自分にとって最高の体験だった『クールなお兄さんはなぜ公園で泥山を作らないのか』なのですが、唯一、整音(っていうんですか?)がもう少しちゃんと(?)していたらもう、完っっっ璧なんだけどな!と最後にプチ批判しつつ筆を下す(not童貞喪失)。