人類愛は、夫婦愛よりも偉大で尊いのだろうか??
ロシアの文豪トルストイの晩年を描くこの映画の中で、トルストイの妻ソフィアが、
夫の周りに集まってくる「人類のためのトルストイ」を唱える信奉者達に抱く嫉妬と疑念は大きく、
ことに、信奉者代表(ポール・ジアマティ)とは、まるで正妻と愛人の間柄のよう・・・・
ソフィアは、悪妻として世界に名高い人物ではあるけれども、本当にそうだったの??
映画は、トルストイ信奉者のコミュニティでの共同生活に、新しく加わった純粋な青年
ヴァレンチン(ジェームス・マカヴォイ)の視点で描かれます。
トルストイの言葉に絶大な信頼と尊敬をおく、ヴァレンチン青年ですが、
トルストイと長年連れ添った妻であるソフィアの気持ちにも共感し、その狭間で葛藤を抱くことになります。
同じコミュニティで生活する女性と恋におち、初めて個人的に女性を愛することの喜びを知る彼は、
ますますソフィの気持ちに共感し始め・・・・
トルストイ主義者たちの口にする、理想とか人類愛とかいう思想に、ほとほと嫌気のさしているソフィ。
人類全体とか、ロシアの国全体とか、そんな大きな図よりも、
自分のことや家族のことを愛し、何よりも大切に思ってくれる夫を求めています。
それは、もしかすると、器の狭い考え方かもしれません。
だけど・・・・
妻一人さえも幸せに出来ない男が、人類全体を幸せにするなんて、可能なのでしょうか?
個人的な愛の感情を否定して、人類愛を語ることなど出来るのでしょうか?
夫婦の愛は、人類愛に劣り、全面的に譲る立場にあるものなのでしょうか?
映画は、トルストイの晩年を描いたものとはいえ、妻のソフィの言動に目が釘付けになります。
トルストイよりも、ヴァレンチン青年よりも、ソフィが主役のよう。
ヘレン・ミレンは、観客に「ソフィ=悪妻」のレッテルに疑問を抱かせ、彼女に対して気持ちを添わせるだけの
人間味溢れる、かつ気品のある演技で、圧倒的な存在感を放っています。
トルストイが、人生の終着駅で抱く愛は、人類愛だったのでしょうか。