気を取り直して、読書記事、いきます。
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主人公の綾子は、作者・宮尾登美子さんの分身です。
本書は、「櫂」「春燈」「朱夏」に続く、自らの体験をもとに書かれた、一連の自伝的小説の4部目にあたります。
綾子が夫と幼い娘と共に、戦後満州から引き上げてきて、夫の実家である四国の農村で新たな生活をスタートするところから、「仁淀川」のお話は始まります。
- 宮尾 登美子
- 仁淀川
満州時代の過酷な体験を描いた「朱夏」を読んだときには、
「こんな苦労、今の私に果たして耐えられるだろうか?」
と、度々考え込んでしまいました。
綾子やそのほかの女性たちが、満州の地で命からがら着の身着のままで逃げ惑う様子。
食べるものもほとんどない中で、乳飲み子共々常に空腹との闘い。
病気の蔓延するバラックの難民所暮らし。
まだちょうど自分の子供も赤ん坊で、子育てに一番大忙しい時期に読んだのですが、
これだけ食べ物もあり、住むところも着る物もあり、何かに追われる危険に迫られているわけでもない私達が、
「つわりがひどくて・・・」とか
「ひどい難産で」、
「育児が大変で・・・」、
などという愚痴や苦労話は、言えたものじゃあないと思いました。
まあ、それと同時に、ほとんどプライバシーもなく、衛生状態も栄養状態も最悪という状況の中ですら、身ごもったり出産したりする女性達の姿に、
「こんなときにすら、することはちゃんとしているのね・・!」
と、驚きもしたんですけど。
で、本作。
綾子自身が、
「満州での苦労を思えば、どんなことだって出来ないはずはない」
という気持ちで戻ってきたとおり、客観的に見れば、農家の嫁としての苦労など難民として明日の命もわからぬまま暮らす苦労に比べれば、なんてことはないように思えてしまうのですね。
ところが、本人にとってはそうではない。
「戦火でも焼き尽くされなかった田舎の農村の因習」
に綾子は苦しめられ、結核を患うことになります。
実家の近くに戻ってきたこともあって、まだまだ親を頼る気持ちも強い。
「朱夏」までは、とても強い人・意志を確固と持った人と思えた綾子も、結構普通の人に見えてしまうんです。
もちろんそれは、綾子を描く宮尾さんの書き方が厳しく、過去の自分を客観的に見て反省しているかのような姿勢から来る部分も大きいと思います。
若い頃には自分の立場からしかモノを見られなかったり、考えられなかったりしたことも、
今となっては姑の言い分や、両親の立場も更によく理解できるというような・・・。
そんな欠点や弱さを持った主人公であるために、更に共感できるようなところもありますが、お話の力強さとしては、どうしても前3作に及ばない感は否めませんでした。
でも、人間の苦労なんて、比較でどうこう言えるものじゃあないんですよね。
「あなたの苦労は、戦中を生きた人の苦労に比べたらなんでもない。」
と言われたって、本人が苦しんでいる限り、苦労は苦労。
綾子という同じ一人の人間でも、過去の苦労がいかに大きくとも、新たな環境で新たな苦境に立たされれば、やはり苦しむのですから。