as is -3ページ目

as is

小さな私が出会った、日々の出来事について。

今年に入ってから、体のリズムに合わせて血痰が出る。


『血痰』と言っても、

痰に赤い点や線が混じる程度なので、

あんまり気にしてない。


正直に言うと、去年の終わりくらいから

血の混じった痰は出ていた記憶がある。


でもその度に、


「鼻血か…。」


と、意図的に思い込んで、黙殺。


昨夜、喉に違和感を感じて、

洗面台にペッと吐き出したところ、


白い洗面台に、鮮やかな紅色。


(「何じゃこりゃぁ…!!!!!」←心の叫び)


ついに、この日が来てしまったか。。。。

ショックのあまり、頭の中は真っ白。


その時、hironの灰色の脳細胞が、

冷静に語りかける。



灰色の脳細胞「今日、病院で撮ったレントゲンでは、大した異常はなかったよね?」


hiron「ほんの軽~い、気胸。あとは異常なしだった。」


灰色の脳細胞「今、体の具合は悪くないよね?」


hiron「1時間も、お風呂に漬かってたくらいだからね。」


灰色の脳細胞「っていうかさ~、あんた口臭うよ?」


hiron「何ですとっ!?晩御飯ギョーザだったせいだ!!

    いつもじゃないやい!!」


灰色の脳細胞「…何か、青臭い。」


hiron「青クサッて…!!、あ。」



思い出した!

2時間くらい前に、野菜ジュース(トマトベース)飲んだ…。


脱力のあまり、

しばらく、洗面台の前で立ち尽くしていたことは秘密だ。

次回、気胸が再発したら手術しよう。


…的な、話になっていたけれど。

結果的に、手術は見送ることになりました。


だからといって、ホルモン治療を受ける訳でもない。


そう、何もしないわけです。


いいのか…?


と思う自分もいたりするわけですが、


しばらく病気を忘れることにしました。



手術を見送った理由は、

「手術すること自体に、意味がないと思う(=再発は防げない)。」

と、セカンドオピニオンを受けた呼吸器外科の医師にはっきり言われたから。


その先生が手術を担当した月経随伴性気胸の患者は、

全員再発してしまったらしい。


「もしや、先生のトラウマになってませんか?(-_☆)」

とは聞けなかったけど、そんな印象。

ひたすら、ホルモン治療を勧められた。


9ヶ月前(初めて開胸手術の話が出た時)に、

気胸治療で有名な、東京のT病院でもセカンドオピニオンを受けたけれど、

その時は、手術に前向きな話を聞いている。

そこの先生は、ホルモン治療をしても効果がない場合があることを知っていた。


もう少し、東日本の状況が落着いたら、

東京で手術を受けることを考えている。


だって、アディ先生が転勤前に(違う病院に行っちゃったの… しょぼん )、

「手術を受けるなら、T病院がいいと思う!だって、あそこは日本一なんだから!!」

…と何度も私に言ったのだ。

子供に言い聞かせるみたいに(笑)


アディ先生が、何でそんなことを言ったのか、

今になって、わかるような気がしてる。


だけど、私、

「この病気になった人はT病院に行かないと、適切な治療が受けられないのか?」

って、疑問に感じてもいる。


アディ先生が執刀するんだったら、再発率が高いのを承知で、

開胸手術を受けてもいいと考えていた。


その目で、しっかり見ておいて欲しい、と思った。

この病気に罹った肺や横隔膜の状態、病巣ができている場所を。

次の患者さんのために。


T病院以外に、安心して治療を受けられる病院が関西にあってもいい。

そういう病院が身近にあると、患者は精神的に助けられる部分が多いもの。


根治は難しいと知った上で、病気と生きていくのは慣れるまでが大変。

この頃は、病気との付き合い方も解ってきたけれど、

やっぱり、信頼できる先生(≠名医)の存在は大きいです。

『残業代を義援金に!』


という、1人プロジェクトを始めました。


3月は年度末ということで、事務所は、年に数回あるかないかの忙しさ。

そこに、停電の影響で、思うように仕事が進められなくなっている

東京事務所の仕事が回ってきました。


大阪事務所は、危機的状況らしい…。

“らしい”とういのは、私が所属しているのが所内でも特殊な部署なので、

まだ危機的な忙しさを実感できていないのです。


他部署とは繁忙期にタイムラグがあるので、

連休明けの22日からは、恐ろしいことになりそう 叫び


これまでは、

「お金は要らんから、早く帰らせておくれ…汗

と思いつつ、残業していましたが、

1人プロジェクト開始後は、前向きに時間外労働に励んでおります。


被災地に出向いて、ボランティア活動ができないので、

労働を通じて、別の形で支援をしているのだと発想を転換してみた。


先程、日本赤十字社 に義援金を振り込みました。

“少しでも役に立ちますように…!!”と祈るような気持ちで。



話は変わりますが、

2年前から、ベナン共和国の子供たちを支援するプロジェクトに参加しています。

その名も、

『ぼくたちにお昼ご飯おごってくれませんか?』プロジェクト。


1人1万円の寄付で、ベナンの子供の1年間のお昼代を出す、

というものです。


これまで支援に参加していた方の中には、

このたびの震災で、被害を受けた方もいるかもしれません。

止むを得ず、支援の継続を諦めざるを得ない方もいると思います。


そこで、


もし、このブログを読み、

『ぼくたちにお昼ご飯おごってくれませんか?』プロジェクトに

興味を持った方がいたら、支援への参加を検討して頂けますでしょうか?


↓↓詳細はこちらでご確認ください↓↓


■■『ぼくたちにお昼ご飯おごってくれませんか?』プロジェクト■■

http://www.zomahoun.com/lunch/


「日本がこんな大変な時に、他の国のことなんて考える余裕はないよ」

と言われるかも知れません。

確かに、その通りだと思います。


だけど、


あらゆる支援に一番大切なのは、

支援される人が自分の力で生きていけるようになるまで、

支援を継続することじゃないかと思っていて。


「めんどうをみたあいてには、いつまでも責任があるんだ」

『星の王子さま』のキツネが言った言葉。

大人になって、この言葉がいっそう重たく感じられます。


私には、ブログを通じて呼びかけることぐらいしかできないけれど、

支援がこれまで通り進められることを願っています。