石原現都知事が、パフォーマンスのために強引に作り上げた新銀行東京が、
とんでもないことになっています。

都税1,000億円を出資して2005年4月に開業したはいいものの、現在までに
ほぼその全てを毀損し、都議会に400億円の追加出資を議案としてあげているのです。
自民、公明、民主は設立に賛成した経緯もあり、石原都知事に遠慮がちだと言います。

なぜこんなことになったのでしょう?いくつか要因がマスコミにも上げられていますが、
要は、過去に何度も繰り返された経験則に全く学んでいなかった、いや、学んでいても
そこに不勉強な石原慎太郎が、パフォーマンスのために進めてしまったのでしょう。

金融についての感覚が無い政治家、官僚が金融に手を出すとこういうことになります。
そもそも目標が「融資・保障残高9300億円」と言うのが、いかにもです。
一般企業で言えば、利益が出なくても売上を上げろ、というのと同じです。

銀行業というのはそもそもが、リスク管理が収益の源なのです。
金を集めて、貸し出す。ここには高度なリスク鑑別能力が必要とされるのです。
このカネの仲介こそが銀行の本質であり、付加価値であり、手数料の根源です。

ここに政治が絡むとどうなるでしょう?当然、仮にリスク管理能力があったとしても、
不要なプレッシャーを受ければ、純粋な判断ができなくなります。そしてこの事実が、
日本の金融機関が膨大な不良債権を抱えてしまった理由なのです。

(自民党)政治家⇒大蔵省⇒銀行、この流れで常にストレートに政治のプレッシャーを
受けることになっていた日本の銀行は大変なことになりました。

しかし、日本の大銀行の場合、リスク管理手法が欧米に比べて遅れていたとしても、
まだ金融のプロフェッショナルの集団だったのでましでしょう。新銀行東京の旧経営陣は
金融の素人でした。全く違う商売をやっていた人たちだったのです。

そして今度は都庁の官僚がトップになり、知事や都の責任を見ぬふりをして、旧経営陣
を非難するレポートを作りました。あきれます。

構造的な問題があるため、新銀行東京は不良債権にまみれ、都税を1,000億円も失いました。
これは決してマーケットの調子が今悪いからではなく、なるべくしてなった結果なのです。
よって、400億の出資を行っても、良くなることはありません。また失うだけです。

清算すると400億ではすまなく、1,000億円かかる、という根拠の無い数字を都が出していますが、
いくらになるかはともかく、延命させても得になることは一つもありません。一部の政治家が
責任回避できる、というメリット(都民にとってはデメリット)しかありません。

石原都知事の責任を明確にし、すぐに清算してしまうのが一番の道です。