ミスターポーゴお別れ会 | 俺、このタバコ吸ったら禁煙するんだ・・・

ミスターポーゴお別れ会

新木場1stRINGで執り行われた、ミスターポーゴお別れ会に参列してきました。

 

↑後でわかった事だけど、チケットやフライヤーデザイン、プレスリリースは東京03豊本さんによるもの。

 

振り返ると伊勢崎市議会議員選挙に出馬したポーゴさんを追っかけた事から始まり、その後伊勢崎市内で営んでいた「味処ぽーごちゃん」の常連となって、自分がmixiにポーゴさんを招待した事からmixiでの宣伝コミュを微力ながら運営した事で急速に親しくなり、閉店以降もご自宅にお招きしてご馳走してくださった事も数回あり、更には第5次W☆INGの試合に運転手兼物販スタッフとして同行という貴重な体験までさせてもらえた事はかけがえのない思い出になりました。

 

↑その時にいただいたTシャツ。本来入場式で着用するようにとポーゴさんにも配られた品だったけど「ヒールが入場式に出るのはおかしいだろ」とポーゴさんご自身は拒否。サインも入っていないので、ご本人用だった証は「4L」というサイズ表記のみ。

 

W☆INGにいた頃、コックリさんで若手選手を怖がらせるのが大好きだったというポーゴさんの、さほど有名ではない話に怪談好きというのがありまして、実際に心霊現象を何度も見たそうで、生怪談を披露してくださった事もありました。

 

 

↑味処ぽーごちゃんの常連だったので、通常のサインだけでなくこういう色紙もいただきました。

 

実はそんなポーゴさんの怪談会を、当時伊勢崎にあった古民家の和食屋さんの二階を使って開こうと考えた事もあって、双方に雑談レベルの打診をした事もあったのですが、採算と企画運営を素人の自分がやる勇気が持てなくて実行には至りませんでした。

 

上記のように親密な時期があったのは2年くらいの間ですが、最近は自分に娘が生まれたり引っ越したりもあったりですっかりポーゴさんとの交流もWWSの観戦からも遠のいていて、最後にお会いしたのは2年前のドコモショップで、最後にお電話をいただいたのは去年の今頃でした。

 

プロレス関連のニュースでポーゴさんが置かれている状況は把握してましたが、もうちょっと子育てが落ち着いたらまた特別リングサイドで観戦しよう、その頃には娘も興味を持ってたらいいな、くらいに楽観視していたので、この度の訃報には不意打ちのような気持ちでした。

 

かつて運転手を仰せつかった行先がこの1stRINGで、あの時と同じ自分のクルマで向かったのですが、道中で断片的なロードムービーみたいに、助手席のポーゴさんと交わした会話や、その時に振る舞ってくれたタッパー一杯に入ったお手製カレーの記憶、助手席で関川哲夫からミスターポーゴに変身していく一部始終をつぶさに見たりした記憶等がポツポツと蘇ってきました。

 

お別れ会は全席自由だったので、WWSのチケットを購入する時と同じくリングサイド最前列。リングに向こうにはエイリアン鎖鎌を供えられたポーゴさんの遺影がありました。

 

↑エイリアン鎖鎌と。傍らには所有者の藤田ミノルが立ち会っていた。

 

その遺影が掲げられたステージには、ポーゴさんのジャージやコスチュームの一部、週刊プロレスの表紙パネル等の縁の品が展示されてましたが、場所に対しての少なさが一層、そういう用意も余裕もなかったほどの急逝だった事が伺えて、物悲しさが自分には感じられました。

 

↑かなり若い頃のポーゴさん。
味処ぽーごちゃんでは、ケンドーナガサキと組んでワールドプロレスリングに出ていた雄姿も観る事が出来て、業務提携時代のUWF勢との試合映像もあった。

 

 

スクリーンでは往年の試合映像が流され、お別れ会の開始後には「インディーのお仕事」総集編を見る事が出来て、以前味処ぽーごちゃんで繰り返し見た、伊勢崎市暗黒街化計画やポーゴサンタを懐かしく鑑賞出来ました。

 

 

↑後楽園ホールにて、マナー違反の観客を裏でリッキーさんらが説教していたら、通りがかりのポーゴさんが鎖鎌で遠巻きに威嚇するので「止めてくださいポーゴさん!これで何人目ですか!」となだめたという話。大抵の客はこれでビビッていたそう。あとポーゴメイクについての言及があったけど、自分が見た時もシャワーキャップはしていたかも。メイク道具も見せてもらった事があるけど、記憶に間違いがなければ演劇用だったはず。

 

↑11月のミスターポーゴ追悼試合でWWSは解散。
WWSと言えば退団したけど鎌田大輔も良い選手だった。

 

↑ミスターデンジャーから断片的に知らされたポーゴさんの本当の病状。全体像は明確ではないけど、それでも手術はリスキーだった事は窺い知る事は出来て、ポーゴさんの熱意にハッとなった。

 

↑大仁田厚が語る通り、自分が観戦していた頃のWWSであっても結構な客入りはしていた。多分同じ伊勢崎市民体育館の全日本やノアと比べても、届かないにしても大きな差はなかったかも。

 

会はほぼ滞りなく粛々と進められ、最後は10カウントゴング。それも終わって帰路についてからも、そしてこの文章を書いている今現在も、この世にポーゴさんがいないという実感がまだなくて、11月のWWS解散興行兼ミスターポーゴ追悼大会に行って初めて実感が出てくるのかな、と思います。

 

選手名鑑の好きな映画には「ゴースト」と毎回載せていたポーゴさんは、もうなれたのだろうかと亡くなってから常付思っていたけど、この日最後に客だしを終えてから大仁田、松永両選手がポーゴさんの遺影に向き合っている姿を後方から保坂秀樹がスマホで撮ったら、ポーゴさんが好んでいた青い光が写り込んでいたという。

 

きっとその時ポーゴさんはゴーストになって、その場にいたんだと思う。