「アジアで英語を喋れないのは日本人だけ」なんていう30年前の英会話業界のマーケティングネタをいまだに信じたりしてるから英語がちっとも喋れるようにならない―ってのを見ましたが、そんなの聞いたことありますかね?誰も彼もが英語話しますか?ちょっと考えればわかるでしょ。

 「アジアで英語を喋れないのは日本人だけ」は、「鳥山先生の作品が読めるのはジャンプだけ!」に似ている気がする。英語云々より、制度としての教育レベルの低さ、硬直性を問題にすべきだと思うが…。

 羊をシメることに慣れているモンゴル遊牧民が日本に来て魚を屠殺する場面を見て、可哀想泣いた。家畜屠殺で日本人ショックを受けるように、
魚を見ることが少ない遊牧民は、その切り刻む姿を見て同じようにショックを受けるか。なるほどなぁ。

 秀吉や家康の立場で物事を論じるな、百姓の立場で論じろ、ガキの頃にさんざん言われた事―重要な着眼点ですよね。
若い頃は英雄譚としてそれに触れるのもいいが、成人してしばらくたったら、むしろ乱世を安全に生き抜いた百姓・商人の歴史とかのほうがよっぽど役に立ちそうですなぁ。私は戦乱をこうして切り抜けた!生き抜くための百姓学!とか。飢饉、恐慌でも商店を潰さずに営業を全うできるのは番頭の接客術!とか、そっちの方が現代の一番大きな需要であるサラリーマンに受けそうなものだけどなぁ。

 バブル経済以前、国全体が豊かで明るかった。何の問題もなかった社会で中流・中層が厚かった。経済が停滞し格差が開いて階層が分散していけば当然、社会もいろんな思想・派閥に割れていく。「右傾化」もそうなんだけど「左傾化」も同時に起こっているんだが、何故それは見過ごされるのだろうか?社会の

「右傾化」ばかりに注目されているよね。

 マックで昼飯食べてたら隣にいた女子大生2人が
童貞臭い社会人と付き合えば金づるになるという話をしていて驚いたというのをみましたが、単純に昔っから、そういうビッチは一定層存在していたはず。今はそういうビッチが隠されずに、オープン化されただけの気がする。マックのような大衆チェーン店にそういう人間が出入りして、会話するのはむしろ当然のことのように思えるが。己も驚いたけど、今平気で女性公共の場で閨の話するもんな、。

クスリがばれたときに、「(霊的な存在と交信する)チャネリングに興味があり、より深く瞑想したかったというと罪が軽くなるらしい。目的が享楽でなく自己鍛錬なんかになるらしい

 
確かに宗教的秘術として薬を使う例があるもんなぁ。単なるジャンキーならふてえやつだ!になるけど、イニシエーション、悟りを追求したかったんです!と言ったら、罪が軽くなるとはねぇ~。芸能人の薬物があったけど、今後は宗教&薬物になるかもなぁ。ロジックとしては一応わかるしね。