選挙ネタってほどでもないですが、まあ小ネタ穴埋めとして書いときます。

 選挙制度が悪いとか!死票が多すぎる!とかう声を聞きますけど、どんな選挙だって落選者に投じられた票(死票)は絶対出るのであって、でもその落選者がそれだけの支持を集めたという指標となる。当選者は次の選挙のこと考えればその意向を無視できないのであって、死票無駄な票とは言えない。むしろ棄権・投票放棄された票が本当の死票ですね。そんなことより一票の格差をなんとかすることのほうが先でしょう。

 小選挙区制で「対決型」になってから勝利した側が「国民の総意」で少数派はそれに従うべきという誤った民主主義がはびこった。
与党と言っても得票率で見れば30%程度、有権者全体から言えば20%もないでしょうにね。「国民の総意」と程遠い数字でゴリ押ししようという風潮がある―といったツイートを見て感じたこと。

 というか、元々民主主義の命&基本とは議会での自由討論にあり!という根本的なところが解ってないだけのような…。選挙で勝ったらなんでもやって良いだったら、議会必要ないと思いますしね…。採決=多数で可決、ハイおしまいじゃ議会の意味なんてないですからね。

 自民の議員でさえろくに憲政の常道を知らないでこれまで国政やってきましたからしょうがないんでしょうねぇ…。議会で討論する権利と裁決する権利を国民からの全権委任と勘違いしているんでしょうねぇ。こういうセンスは全権委任法に近いですねぇ…。


 少数者の意見をいかに無視しないか、取り入れるかというのは民主主義・議会政治の重要なテーマの一つです。多数決で少数者はサヨナラなんて意思決定が非合理・反感を買って政治をダメにするなんて子供でもわかる理屈。日本で少数意見が書くも軽く扱われるのはろくなそれを議会で表明して来なかったという歴史のせいですかね…。

 共産党や社民党は少数意見という立場を有効活用して、マイノリティの意見を国政に生かそう!となるのではなく、むしろそれをお題目に自分達の理想こそが素晴らしいんだ!と理念に狂ってしまって今に至るかと思います。現実を見ない理念は単なる妄想にすぎないと思いますね。


おまけにワイマール憲法の話。
 ワイマール憲法はドイツ帝国の崩壊=敗戦で急増で憲法&共和国を作らなくてはならなくなった。これまでのドイツ国家像と新しいドイツ国家像という二つの世界観の衝突があったというようなものを目にして思ったこと。

 所詮慣習・風土にそぐわない&根付いていない法というのはいくら成文法で規定しても廃れる可能性が高い。理想と現実のセットのように、慣習と法はセットになる。ワイマールも現日本憲法のようにその断絶・相克というかズレがあったという気がするのよね。

 ドイツ一国の問題だけじゃなく、さらに敗戦国として周辺諸国に要求される「平和国家」ドイツとしての、いわば押し付けられた理想像も抱え込まなくてはならなかったし、非常に矛盾するものを抱えていた気がするんですよね。そこら辺を詳しくやると、日本の憲政に生かせそうな気がするなぁ。ワイマール憲法・憲政っておもしろそうよね。