解散総選挙の時期は適切?ってなのを見かけたので。

 適切もクソもないわな。議会を解散して国民に信を問うのは、先の衆議院選挙で公約を掲げて総理に選出された鳩山が任に耐えられない=公約を守れないと職を辞した時点で解散をしなくてはならない。

 参議院選挙その代替としたなら、続く菅直人が選挙で敗北して、国民の信をえることに失敗したのだから、直ちに公約を再編して衆議院総選挙に踏み切らなくてはならない。

 脱政党化されていた過去もあり、参議院を本来首相信任の選挙にすべきではないし、参議院が拒否権を持つような政治体制にしてはならないという論点はあれど、民意によって信を受けていない総理が誕生するということは民主主義の原則上、憲政の常道上絶対にあってはならない。そんなことになればもはや民主主義国家とはいえない。

 民主主義は憲法があって、議会があって、選挙をしたらハイ、民主主義国家の成立!などといったおめでたいものではない。民主主義国家に憲法や議会は十分条件ではない、それらは必要条件でしかない。憲政の常道という慣習が守られなければ、民主主義はたやすく死ぬ。(参照
消費税は民意を問うべし②  
消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―/小室直樹 )

 中東だろうがアフリカだろうが、立派な憲法と議会があっても、あっという間に骨抜きになって独裁に堕していくのはこのため。民主主義のエッセンスを知らないから容易く、民主主義とは似ても似つかぬ奇形化した政治体制へと変わっていく。お隣の中国だって形式上は民主主義を備えているし、北朝鮮だって議会を持っているではないか。

 リーダーを間接選挙する政治制度とはいえ、首相は選挙で負けたのら、民意を得られないという国民の審判が下ったのなら、直ちに総辞職しなくてはならない。これが憲政の常道である。衆議院で一度勝ったら、ズルズルズルズル商品のように総理をコロコロ代えて延命を図るといったようなことは許されない。

 愚かなマスコミはコロコロ一年で代わっていいのか?などと論評していたが、それは民主主義を蹂躙しろといっているに等しい。本来なら不安定な脆弱なリーダーの基盤を強固なものに整備しないとこの問題は何度でも起こるから直ちに制度を変えよと言うべきなのだ

 政治家がアホなら、マスコミは更に輪をかけた大アホなのである。憲政の常道を、民主主義を監督し育成する義務を負った機関がこのようなていたらくなのだからどうしようもない。「公約を守れ、守らざれば去れ!」ただこの一言を報じればよかったのである。それなのにマスコミの報道ときたら一体何だ!民意を得ていないのに増税まで看過して異を唱えない。全体主義国家、統制下にあるのと同じで、全く存在意義がないではないか。一体どこに報道の主体性があるのか?

 野田は菅が職を辞した時点ですぐさま公約を再編して選挙に打ち出すべきであった。すなわち喫緊の原発事故問題があるなら、それに対応する目処が付いたら即解散総選挙すべきであった。菅の時点で本来なされてはならなかった。故に適切もクソもない問題である。論じることすら甚だおかしな話。

 原発事故というこれまでの政治状況が劇的に変わった時こそ新しいビジョンを提示して取り組まなければならない。そういう時に政治空白などとたわけたことを抜かして民意を問うという民主政治の原則を踏みにじった罪は重い。

 そもそも民主党に始まった話ではない。公約を掲げてそれに則った政治が今まで行われて来なかった。近い時代の公約選挙は
せいぜい中曽根・小泉であろう。小泉去った後の自民党総理は明確な公約を掲げて政治を行うことなど出来なかったではないか。

 民主主義は明確な公約を掲げてそれを尊守することに始まる。たやすく放棄する民主党に、理念なく日和見で政策を出したり・引っ込めたりで何も決められない体質の自民党に民主主義に則った政治が出来るわけがない。来るべき総選挙で求められることはただひとつ、国民のためになる公約を提示して、その契約を誠実に尊守すること。

 一旦結ばれた契約を難癖つけて履行しないなどといったお隣の国のような真似をするのでは民主主義国家になり得ない、なりようがない。日本が民主主義国家に生まれ変わるのはいつの日のことか…。