中国人の愛国心 日本人とは違う5つの思考回路 (PHP新書)/PHP研究所
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 これはあたり。あたりって言っても、この人が「なるほど!」「そうか!そういうことか!」と優れた研究者とか分析を提供してくれるという意味ではなく、中国人ならどう考えるのかという格好のサンプルという点で。まあ在日本で、大学出て日中比較研究をしてるだけあって、一応公平性には気を使ってる感じがしますね。

 しかし反日デモを見て、中国怖い!っていう単純化をする人が多いのかなぁ?やっぱり。普通に日本文化好き&歴史で嫌いっていう相克する感情を抱いている。矛盾した感情を持つという理解をすればいいだけだと思うのになぁ。なんで100%日本人嫌い!の感情だけと決め付けるんだろうか?日頃っから日本人と接してるならともかく、反日デモをしている彼らの中で日頃から日本人と接している人間なんて先ずいないでしょう。イメージだけで反日を騒いでいる底の浅いもの、皮相的な面をなんで無視しますかねぇ?

 愛国・歴史・徳・中華・受容と抵抗という5つのテーマで中国人を分析します。NBAのヤオミンに対して彼が模範 に値する人物かどうか顕彰をする際一つの論点になった。優れた人間を国家として表彰する、モデルとするという観念があるわけですね。この点明治・大正時代の日本となんか似てますね。モデル足りうる人間の大きな要素として愛国があると。

 愛国心ある人間は世間から立派だ!と褒められるだけでなく、世間から愛国心のある人だと認められないとまともな人間としてみなされないという風潮があるのだと。丁度戦前の滅私奉公のそれですね。あの人はお国のために~~する立派な人やで、というやつでしょう。

 孔子の思想を見ても勉強して立派な人物になりなさい、修身斉家治国平天下のあれですね。天下レベルに拡大して行く論理として愛国が働くと。愛国パワーが強い人間ほど、最高の天下レベルにまで到達するって感じですかね。まあ突っ込むとするといくら愛国心が強かろうと、そもそもそれができる=大業を担うに足る能力が備わってなければいかに愛国心を発露しようと無駄なんですけどね。

 例えるならF1で優れたドライバーと優れたマシン、両方あって初めてレースで勝てるように、一方だけ突出してても意味がないんですけどね。無能なドライバーがいくら、自分は死を恐れない!死ぬギリギリまで危険を犯して勝負する!だからやらしてくれって言ったって能力がないんだから絶対失敗するだけで何の役にも立たないですからね。

 いくら理想があっても現実に見合う力がなければ全くの無駄という。上の比喩あんまりうまくないなぁ(^ ^;)。能力と意欲にすればよかったな、まあいいや。学力が足りずに、そういう任務・職責を与えられずに下層に低迷する人々が、どうにかして自分たちを認めさせたい、自分たちも立派な人間なんだ!愛国心持ってるんや!という感情の発露が反日デモということでしょうね。

 愛国心というより奉仕・奉公のほうがわかりやすいと思いますけどね。奉公を過剰に尽くして、御恩という見返りを要求する鎌倉幕府時代の下層武士を連想すると今の中国の力学がよく理解できるのではないでしょうかね?

 でまあ杜甫・屈原・岳飛なんかが立派な人物だと言われるのはその愛国心を発露したからですね。たいていこう言うのは優れた精神・報国魂があったのにもかかわらず、それが結実しなかったというので、わかるぞ~!と注目される偉人パターンです。岳飛・林則徐なんか夷狄・侵略する外国と徹底抗戦したという事で評価されると。愛国心=徹底抗戦!という歪んだ心情を抑えておくべきでしょう。もちろんそれは当たり前の重要な精神ですが、何でもかんでも徹底抗戦はナンセンスきわまりないですからね。康有為のそれ、「遷都抗戦」も高く評価されていると

 愛国という言葉は梁啓超が亡命先の横浜で「愛国ならば必ず民権を興す。そこから始まる」と書いたことから始まる。同時に日本の成功は大和魂があったからだとし、中国魂の必要性を提唱する。んで喧々諤々の議論が起こったと。体育・知育・徳育という三つの要素があるが、これはもともと日本から梁啓超が学んだもので毛沢東に引き継がれた。

 愛国無罪は1936年11月「全国各界救国連合会」7人の抗日民主運動化が抗日国共合作を訴えて蒋介石に逮捕される。宋美齢ら16人が強硬な民主運動鎮圧に反対し、この時の抗議運動が救国入獄運動。国を愛して捕まるなら俺達も捕まえろ!という抵抗運動。これが「救国無罪」運動。西安事件の時の張学良の要求にもこの七人の解放が入っていた。

 そして裁判で死刑が妥当だったのが、政治判断で釈放。この時の無罪判決理由が「愛国無罪」だった。要するに初出は刑事犯罪に対する無罪ではなく、政治犯罪に対する無罪を要求するスローガンだった。現在の反日デモの狂気をみるように、いや文化大革命の狂気を見るように完全に変質してしまってますけどね。日本ではなく、政府に対するスローガンの意味合いが強いことに注意と。

 国民党もスローガンは「国家至上」。国民党が嫌いでも国のために、「愛国のために」、日本と戦えと言われれば、国民は拒否できない。愛国は、中国魂であり、アイデンティティなのであると。

 愛国にもバリエーションがある。日本で働く=日本に仕えるから、反愛国的という観念が出てくるのが、まあ流石ですね。そういう人も未だにいると。外国と良好な関係を築くのが愛国になると筆者は主張してますが、どのくらい今後浸透しますかね?

 岳飛が抗戦で、屈原には政治腐敗の弾劾がプラスされている。魯迅は尚文、国のために権力者を批判する。課題はこ の魯迅モデルの称揚でしょうかね。文成公主、唐の優れた技術をチベットに。外国との和平の献身というモデル。杜甫の場合は亡国の苦しみなのかな?ちょっとわからん。蘇武=忠義ですよね。白求恩=ノーマン・ベチューン、抗日戦争時に協力した医者。孟母=立派な教育者というモデル。文天祥も忠義ですわな。句践はやはり滅んだ国を苦心惨憺して復活させたというのがポイントか。鄭和はやっぱり偉大な中華文明!ってやつですかね?

 大学生はエリート。ちょっと前まで進学率6%、今でも19%。愛国心を発露する場がないから、ちょっとした事でもデモになりやすい。不満を解消する場が少ないということもある。そしてエリート勉強熱心な学生はあまり参加しない。北京大では人が集まらなかった。

 非合理でも外国の侵略には抵抗を取らなくてはならないという「抵抗」モデルがある。愛国=抵抗という単純二元脳。最近そのモデルに抵触した李鴻章のみなおしが始まっている。「抵抗」を捨て合理的精神に向かうか?

 愛国=中国固有の文化を守る、と同時に進んだ外国の文化を受け入れるということに矛盾を感じる。本来矛盾でもなんでもないのだが…。「愛国賊」という彼らを批判する言葉・動きも出てきている。反日・抗日から対日・渉日という評価の変化も見られ出している。

 二章 中国人にとって歴史とは判例集で現在のもの。おそらく日本人は過去のもという二元モデルで考えているんだろう。中国人は時間軸=歴史で考え、日本は空間・地理軸(=他国を同等に見る今の時代の他国がどうなってるか重視する)で考えると。

 歴史の長い国、インドなんかも過去の歴史の話をしたがるのかも?んで、根本治療と対症療法の違いと。中国は侵略の被害という過去、A級戦犯は日中双方とも被害を与えたものというロジックからの反発と。日本は反日デモという事象を見てそこだけ問題にしていると。まあ、やっぱりそこら辺はわかってないですね、というかわかっている中国人なんかいるのだろうか?

 中国人は日本の歴史をせいぜい近代以降からしか知らない。いきなり侵略してきたくらいの感覚。「過去の歴史を消そうとしている」というのがキーワードですね。中国人は「歴史」というものに特別重いものを見出す。決して外交カードという観点だけではない。

 三章 徳の重視=反戦や文。単に良い人ですね~、じゃない。徳の有無は重要なファクター。多分社会地位上ね。民をもって貴しとなす・天意が絶対だから皇帝を替える=暴動は易姓革命の末端活動。軍人が素晴らしい!という価値観は強くない。みんな知識人になりたがる土壌がある

 徳を以って日本との関係を改善しよう!という意識。残留孤児など、その徳=恩を靖国参拝で傷つけられたと感じている。

 四章 中華が最高の文明だから外国文明を排除する!という二元論。中国人は中国といえば、四大発明・孔子・歴史・万里の長城・文字とくる。

 五章 道器論・説―外国文明は器にすぎない。孔子学院は受容と抵抗の結果「融合」の新しいワンステップ(?になるとは到底思えないが)。

 六章 教科書は政府が指導するのが当たり前、言論自由ないのが当たり前。その感覚で日本を見る

 七章 川端康成が教科書に乗って、抗日の話が教科書から外そうという動きがあったこと=サイン。


 後半見事な入りすぼみですが(笑)、ここで終わり。まあ個人的には中国人のモノの見方を知る良い材料でした。