※妊娠発覚~妊娠7週目での自然流産までの経緯を綴るシリーズです。センシティブな内容になりますので、妊娠や流産の話題に触れたくない…と思われる方は読まないことをおススメします。

 
こちらの記事の続きです。
 
 
生理予定日から一週間が過ぎ、妊娠検査薬が陽性を示したその日のうちに、近場の産婦人科を受診したら、「最終生理日から数えて妊娠五週目にあたるはずなのに、胎嚢が見えない…」と言われた。
 
事実には違いないのだろうが、配慮のない診察と不安しか感じられない先生の物言いに、「二度と行きたくない」と感じたI医院。それから一週間後、ネットの口コミも高評価で地元で人気のNクリニックを予約し、チャリを飛ばした。
 
その頃の身体の状態としては、生理痛のようなお腹の痛み、微熱、倦怠感、頭痛、だるさ、強烈な眠気などがあった他、基礎体温はずっと高温期のままだった。
 
味覚が変わったとか、吐き気がして食欲が落ちたとか、匂いに敏感になる、というような、よくテレビなどで見る「ザ・つわり」的な症状は皆無で、むしろ食欲は増していたし、「これがつわりなら余裕やんけ」と思っていた。
 
自宅から10分ほどチャリを飛ばして辿り着いたNクリニックは外観からして立派で、一歩中へ入ると、ピンクトーンで統一された柔らかなインテリアと、ピシッとしたナース服に身を包んだ、年齢を問わずサッパリ綺麗な看護師さんたちの佇まいに、何とも言えない安心感を覚えた。
 
中には結構な人が待っていて、小さな子どもや旦那さんを伴っている人もおり、一角に設置されたキッズ用のプレイルームでは、子どもたちが楽しそうに遊んでいた。
 
 
これこれ、これやがな!イメージしてた産婦人科ってこういうやつやがな!
 
 
と、かすかに小躍りしたくなった。
 
例え、胎嚢が見えず自然流産してますとか、子宮外妊娠という結果を告げられたとしても、この産院なら前向きに捉えられそうな気がした。
 
それくらい、先生に会う前からもう、安心感が全然違った。
 
 
 
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は~い、大丈夫ですよ~、という、空気。
 
 
検査用の尿を提出し、約束の時間から待たされること小一時間。ようやくわたしの番号がモニターに表示され、診察室へ向かう。
 
マスクをした40代半ばくらいの女の先生は、物腰も柔らかで、I医院のじじいに比べて、雲泥の差で信頼できる空気を放っていた。傍らに控えている看護師さんも若くて綺麗で、偏見や差別ではなく、
 
 
人を安心させて直感的に信頼感を生ませるものは、何といってもまずは外見である
 
 
と確信した。
 
先生は特に美人というわけでもないが、清潔感ときちんとした身なりで、とにかく「専門家」という感じで安心できたし、ヘアスタイルとメイクがちゃんとしてる綺麗な看護師さんの存在感もまた、不安でいっぱいの心を懐柔させるのに一役かってくれた。
 
先生が、よれよれの白衣を着たボサボサのおばさんで、看護師さんが肌の荒れたすっぴんのブサイクだったら、わたしはこの時点で泣いていたかもしれない。それくらい、自分に丁寧に手をかけている彼女たちから感じられた、他人のことに向き合う余裕、というものに助けられた気がした。
 
これまでの状態を軽く口頭で伝えた後、診察台へ。ここでも、荷物置きの籠の傍に置かれたボックスティッシュや、大きなバスタオルという配慮に感銘を受ける。ジジイが支配するI医院では、一切見られなかった配慮だ。
 
先生は、経腟エコーで子宮内を調べ、9ミリくらいの胎嚢が子宮内にありますよ、とその場で伝えてくれた。
 
これで、9割がた子宮外妊娠の可能性は免れたことになる。
 
正直、赤ちゃん出来てた、よかった! という気持ちより、子宮外妊娠じゃなかった、よかった! という気持ちが先行していた。
 
「一回目の診察としては問題ないですね。次あたりに心拍が確認できるかと思うので、二週間後に来てください」と先生に言われ、待合室へ戻る。
 
この先子どもが無事に育つかはわからないものの、信頼できる先生に妊娠を告げられ、「おめでとうございます」との言葉ももらい、いよいよ自分が妊婦になった(かもしれない)という実感が湧いて来た。
 
とは言えその実感は、単純に「幸せ」と呼べるものではなかった。
 
 
小さな赤ちゃんを抱いて幸せそうに笑う自分など1ミリもイメージ出来ず、ママ、赤ちゃん、マタニティ、出産、育児、おっぱい、ママ友、ママチャリ…など、これまで自分とは一切無縁だと思っていた、ハートフルで桃色でこそばゆいワードの数々が、一気に押し寄せてくるようで眩暈がした。
 
 
性的に奔放で若い頃は軽く肉食女子だったわたしだが、肉感的、という言葉とはほど遠い、女性らしさのカケラもない肉体の貧相さと生まれ持った母性の無さは筋金入りで、恋愛や色事に関わらないほうの、命を愛でて育み慈しむという意味の「女性性」については何ひとつ持ち合わせていない自信がある。言い切れるが、40を目前にしても、己の中に真の母性など1ミリたりとも育ってはいなかった。
 
そんなわたしに突如押し寄せる、薄桃色に染まったマタニティなワードの数々。
 
 
前人未踏のこそばゆさに、ひとり待合室で卒倒しかけた。
 
この先お腹が膨らんできて、マタニティマークの丸いやつなんかをもらい、うさぎか何かのマークが付いた産着を選ぶ自分を想像したら、ものすごい勢いで萎えた。
 
嫌だったわけじゃなく、圧倒的に自信がなく、とにかく恐かったからだ。
 
わたしの中で、「ママ」とは、「母親」とは、自分のことより子どもを優先させられる女神のような人種で、うまく言えないけどただひとつ言えるのは、
 
少なくとも、わたしみたいな女じゃない
 
ということ。
 
今になってみると、母親というものを勝手に神格化し、古いイメージや価値観に囚われてたなぁと笑えもするが、とにかくあの時は、ママになる喜びなんかよりずっと、自分がママになってはいけない恐怖、の方が大きかった。
 
それから、身近で不妊治療をしている仲の良い友人たちに、この事実をどう告げたものか…という、独りよがりでエゴにまみれた悩みが発動し、つわりでもないのにわたしの胃を重くした。
 
来た時よりも若干気を付けてチャリを漕ぎながら帰宅し、家族や、状況を知っていた数人の友人にだけ経過を報告して、ほぼ不安一色の、わたしのマタニティライフはスタートしたのだった。
 
つづく。