土地調査事業に関連する具体的なお話その2です。
ま、今んとこ具体例は前回までの分と今回の分しか見つけられていないんですが。(笑)

今日の史料は、アジア歴史資料センターの『公文雑纂・昭和五年・第十九巻・商工省・商工省、逓信省、鉄道省、朝鮮総督府、台湾総督府、建議陳情請願/所有地不当処理ニ関スル件(レファレンスコード:A04018317200)』になります。
それでは早速、1930年(昭和5年)1月27日付『朝一第228号』より。

朝一第228号
昭和5年1月27日

拓務次官 侯爵 小村欣一

内閣書記官長 鈴木富士彌 殿

所有地不当処理に関する件回答

昭和4年2月15日附内閣雑乙第23号を以て、内閣拓殖局長宛御照会の件に関し、今般朝鮮総督府政務総監より別紙寫の通回答有之候條、此段及移牒候也。
かなり探したんですが、「昭和4年2月15日附内閣雑乙第23号」の照会が見つからず。
仕方がないので、回答の方だけを見る事に。
ってことで、回答に当たる1930年(昭和5年)1月18日附『税第6号』。

税第6号
昭和5年1月18日

朝鮮総督府政務総監 伯爵 兒玉秀雄

拓務次官 侯爵 小村欣一 殿

所有地不当処理に関する件

昭和4年2月15日附拓一第526号内閣拓殖局長照会首題の件、左記の通御了知相成りたし。



1.本件土地は、陳情書に記載せる如く、土地調査施行前に於ては李啓恆外41名に於て耕種、採草等を為し来りたるも、元来国有なりしを以て、土地調査当時国有林野として査定確定したる(大正5年2月20日附査定)ものとす。
土地調査は、申告主義に依り所有者を査定し、之が査定に対しては不服申立竝一定原因に依る再審申立の途を設けあるものなるが、陳情人等は之等の申立を為さざりしものにして、他に之を変更するの途なきものなり。
而して、成平助一に於て大正4年5月17日、国有未墾地利用法に依り貸付許可を受け開墾成功し、大正7年5月13日及大正13年10月11日附を以て付与処分を受け(付与面積畓(水の下に田)17町0428田16町4305溝渠、4521)同人の所有に帰属せり。
尚、是より先大正6年5月中、成平助一は当該地の貸付を受けたるが為、採草等の利益を失ひたる李啓恆外41名に対し、相当金員を給し、尚面を救済し、更に右付与処分を受けたる後小作契約を結びたる処、彼等は小作料の納入を肯ぜざる為、光州地方法院に訴訟を提起すると共に、悉く小作権を取消したるものなり。

2.本件は、前述の如く成平助一に於て合法的に所有権を獲得したるものなるを以て、願意は容認の余地なしと雖、道当局に於て地主、小作人間の情誼を厚くし、融和親善の方法を講ずる為、成平助一に懇談したる処、陳情人等に於て従順に小作を為さんとする場合は、適当の機会を看て進んで小作権を与ふる方針なる旨申述べたるに付、其の方針を以て関係人に臨み、共存共栄の実を挙ぐる様説示したり。
さて。
元の陳情書がどのようなものだったか分かりませんが、内容からして李啓恆等が当該地の所有権を訴えるか何かしたものと思われます。

まず、当該土地は土地調査施行前には李啓恆外41名が耕種、採草等を行ってきた、と。
しかし、元々国有地なので土地調査事業時に国有林野として1916年(大正5年)2月20日に査定確定。
土地調査事業は申告主義で所有者査定を行い、その査定についても不服申立や再審申立できるが、李啓恆等はそれらの申立も行わなかった、と。

「林野」として査定が確定していますので、当然地税等を収めているような「耕地」ではないわけで。
で、その土地について成平助一という者が国有未墾地利用法で1915年(大正4年)5月17日に貸付許可を受けて開墾して成功し、1918年(大正7年)と1924年(大正13年)に付与処分を受けた、と。

成平助一貸付許可
[成平助一への国有未墾地貸付許可の掲載された官報]

そしてその所有権が成平助一に移る前の1917年(大正6年)5月に、成平助一が開墾する事による逸失利益について、その土地を利用していた李啓恆外41名に相当の金員を給付。
国有未墾地利用法施行細則の第17条第1項でも「農商工部大臣貸付の許可に依り、従来其の土地に関し利害関係を有する者に損害ありと認むるときは、貸付を受けたる者に対し其の損害の補償を命ずることあるべし。」とされていましたからねぇ。

つうか、次、「尚面」じゃなくて「当面」じゃないかなぁ・・・。
兎も角、その損害補償によって暫くの期間の救済を行い、更にその土地の付与処分を受けた後には小作契約を結んだ、と。
成平助一的には、当面を補償金で救って、その後の収入を小作人として継続的に収入を得られるようにって考えたんだろうなぁ。(笑)
勿論、李啓恆側では「元々俺等が使ってた土地なのに」という思いがあったのかどうか分かりませんが、小作料を払わない。

じゃあ、小作契約結んでんじゃねーよ、と。(笑)

で、契約したのに小作料が払われないので、成平助一は光州地方法院に訴訟を提起し、それと共に小作権を取り消すわけです。

ってことで、今回の件は成平助一が合法的に所有権を獲得したもので、陳情は容認の余地が無いけども、道当局が地主と小作人間の情誼を厚くして融和親善の方法を講じるために成平助一に懇談すると、陳情人達が真面目に小作をするんなら、適当な機会に進んで小作権を与えるよと言ったので、その方針で関係人に対して共存共栄の実を挙げるように説示した、と。

共有権の話だと、多分土地調査事業の申告と不服申立・再審申立の話で片が付いちゃうと思うので、入会権で当初段階に訴訟してれば、どうだったのかなぁ。
結局、同じく損害賠償なんかで和解って方向だった気もしますが。

ってことで、調査当時において一見して利用(田畑・家等)されていない土地に見え、且つ租税も取られていない土地について、申告すらされなかった場合、所有権が国に帰する事は往々あったものと考えられます。
いや、実際その条件じゃ所有者分かんないですし。(笑)

但し、前回のように国有の査定後、陸軍で所管している土地であっても、異議申立があり、それが妥当であれば所有権が認められ、今回の場合のように所有権が認められない場合にも、利用の実態があれば逸失利益が補償されているという事例を見ました。

土地所有権はおろか、租税もドンブリ勘定だった場所に近代的土地制度を導入する過程としては、必要充分な手段を取っていると思いますがねぇ・・・。
ま、これは個人的感想。

ってことで、関連史料や具体例が見つかったらまた取り上げるという、不定期連載の形に戻る事として、土地調査事業に関しては取りあえず休載。


今日はここまで。



土地調査事業のここまでの整理
土地収奪の具体例 ~ 李震の場合 ~ (一)
土地収奪の具体例 ~ 李震の場合 ~ (二)