ちょいと前に、hash0153氏から万宝山事件についてリクエストがあって、ざらっと史料見てみたんですが、アジ歴で”万宝山”で検索かけただけで200件以上hitするわけで・・・。
しかも、100件近くは事件の経過報告なわけで・・・。
相当気力充実してる時でないと無理です。
勘弁して下さい。_| ̄|○  (笑)

で、何をやるか色々考えた結果、東学党の乱とか日清戦争とかは、実はきままに歴史資料集さんのとこで色々とやってくれるのではないかという勝手な期待を胸に、俄館播遷後から大韓帝国の成立までを、かいつまんでやってみようかなという結論に落ち着きまして。
ハイ。

というわけで、史料はアジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/10 明治30年3月30日から明治30年3月30日(レファレンスコード:B03050002500)』から。

つうか、アジ歴さん。
「明治30年3月30日から明治30年7月30日」が「明治30年3月30日から明治30年3月30日」になってるわけで、タイトルの期間が間違ってるのって、どうかと思いますよ?
と、チクッと刺したところで1897年(明治30年)4月21日発『電受第162号』より。

第46号
議政金炳始辞職聞届けられ、後任は沈舜澤任ぜらるべし。
金炳始辞職の原因は、此頃軍隊士官の採用其当を得ざるを以て諫諍したる結果、逆鱗に触れたるに依る。
6月10日のエントリーで、還宮後すぐに辞職の希望を述べていた金炳始。
高宗に「ロシア公使が留任させなきゃダメだって言うから、残ってよ。」と言われた金炳始。
公務を一回でもこなしたのか、甚だ疑問な金炳始。
その彼も、ようやく辞職が認められた、と。

理由は、軍隊士官の採用について高宗に意見したら、逆鱗に触れたから。
さすが、「到底何人か国王の信用ある閣僚の之と相提携し、両者の間を調停するにあらずんば、直に衝突を来し永く其地位を保つ能はざるべし」と言われた男だけはあります。(笑)

続いても人事関係の話題。
1897年(明治30年)5月9日発『電受第202号』より。

第65号
韓圭卨(咼の上にト)法部大臣となれり。
これも6月10日のエントリーで見たように、病気療養を名目に自分を弾劾した者の裁判が落着するまでお休みしてたわけですが、ここで法部大臣に復帰、と。
「法部大臣となれり」とありますが、高宗実録を見ても辞職の記事は見えないんで、多分単なる「復帰」だと思います。

さて。
6月9日のエントリーで「或る一部の徒は、此時機に乗じて尚進んで景福宮に還御を奏請すべしと云ひ、或は露国派を宮廷より駆逐すべしと云ひ」なんて報告がありましたが、それに類似した事件が起きてしまいます。
1897年(明治30年)6月12日発『電受第261号』より。

第80号
侍読洪賢哲、宮内参書インダイキン、前承旨リヨウキウ等国王の密旨を奉じたりと称し、沈相薫外3大臣を暗殺し、国王を景福宮に還宮せしめんとの隠謀事件、其同類の告発に依り露顕に及び、昨日警務庁の手に捕はれたる者、コウ、イン、リ外20余人ありと。
んー、次から次へと良くもまぁ・・・。
つうか、景福宮ってまだ修繕されてないんじゃないんだろうか?

ということで、この事件のより詳しい報告がありますので、そちらを見てみましょう。
1897年(明治30年)6月16日付『機密第37号』より。

陰謀事件暴露に関する報告

去る11日第80号を以て及電稟候如く、本月10日陰謀暴露し、侍読洪顕哲等警務庁の手に捕縛せられたる件に付、猶又探聞の侭左に申進候。
就縛員中陰謀の張本人とも称せらるるは、洪顕哲、宋鎮用、李容九、権在斗の4人にして、就中洪は宮内大臣李載純と親交の間柄なるより、李宮内を介して国王に説くに、其平素厭忌せらるる某■大臣外幾人(米国派・日本派若くは金鴻陸の輩)を暗殺若くは逐斥すべしとの事を以て巧に国王の意志に投じ、寵眷を求め、竟に朝夕国王に昵近することを得て、「恪勤盡忠」の4字を書し御璽を鈐したる敕書を乞ひ、之を利用して党類を募集するに当っては、曰厳尚宮始め軍部大臣沈相薫、内部大臣南廷哲、農商工部大臣李允用、外部大臣李完用、法部大臣韓圭卨(咼の上にト)、侍従金鴻陸を暗殺し、君側の奸を除き、国王を景福宮に還御せしめ国政を改革すべしと吹聴したるものの如し。
而して右陰謀者の同類中には、宮廷内に内応を為すものあると、宋鎮用、李秉■(元義兵の巨魁)の部下に属する■義兵なるもの80人の加担する(内宋の部下60人、李の部下20人)ありて、内外相応じて本月15日、即故王妃の例祭日に事変に及ばんとしたるに、其同類中親衛隊中隊長趙復凞、同洪■吉、同李秀冕等の■って変を警務庁に密告する所となり、其首領と目指るる洪顕哲、宋鎮用、李容九、権在斗(第80号電報中、尹大均とあるは誤聞)を始め、共謀人金聲鎮、黄鶴■、朴遇復、金俊秀、朴■鉉、金当鎮、尹命学、李世鎮、張志承、尹昌成、孫道植等は孰れも警務庁の手に捕縛せられたり。
先是、洪顕哲の侍読に任ぜらるるや、同類宋鎮用を警務庁■巡に推薦し、亦宋の推薦に由り部下4名のものを巡検に採用せしめ、洪自身は三品警務官と成り、大に警務庁部内を操縦し、陰謀を容易ならしめんとせしものの如し。
然るに、洪・宋の間議論の衝突するあり。
洪は、王命と唱へ本月15日各大臣王宮に参集の折■事を挙ぐるの好時機なりと主張し、宋は之に反し時日を遷延ならしむるときは終に陰謀暴露の虞あるに付、11日に於てすべしと主張したるも洪終に肯ぜざるに由り、両者の間為に確執を生じたる結果、此の破綻を来すに至りしものなりと云ふ。
而して以上就縛者は、一応警務庁に於て訊問の末、一昨14日午後4時、孰れも高等裁判所に移されたり。
右及報申候。
敬具
李容九が、後の一進会の李容九だったら面白いんだけどなぁ。(笑)
まぁ『電受第261号』を見るに、承旨という官職に以前ついてたようなので、同名の別人だとは思うけど。
つうか、こんだけややこしいんだから、創氏改名しろと思うのも無理からぬ話な気もしますなぁ。(笑)

で、彼等の狙いは親米派、親日派、親露派。
対象とかやり方を見るに、儒生とかに近い守旧派なのかな?
まぁ、仲間の密告で事が露顕して捕まったり、決行日をめぐって仲間割れしたりという、いつもの話で失敗に終わったわけですが。


今日はこれまで。