さて、前回で李範晋が失脚してしまったわけですが、これからどうなるんでしょうねぇ。
ってことで、早速先に進みましょう。

まずは、今後使うかどうか分からないけど、取りあえず取り上げておく史料。(笑)
アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/8 明治29年3月25日から明治29年11月13日(レファレンスコード:B03050002300)』から、1896年(明治29年)6月30日発『電受第462号』。

国王は、兎角義和君の日本にあるを好まず、今度同君の負債始末より遂に之を召還することを決し、外部大臣は遠からず李公使をして王命を伝へしむる筈。
尤も、「スペイヤ」氏に協議し、必要の盡力を求むべしとの事も訓令する筈なり。
又た同時に、目下留学中の士官6名并に慶應義塾学生も、其中50名を残し、悉く帰国せしむる由。
義和君は、高宗の三男李堈。
この時期、何故日本に居たのかは、まだ未調査。
っていうか、他の事も全部未調査。(笑)
最初に言ったとおり、取りあえずってことでテキスト化しておきます。

続いての史料は、再び朝鮮利権に関連して。
1896年(明治29年)7月1日発『電受第464号』から。

昨今、露公使と自国の外務大臣及び(ハバロフスク)総督并ニ在北京同国公使等との間、長文電報の往復頻繁なり。
右は多分、朝鮮政府より申込たる士官の雇入、公債の周旋等に関する用向ならん。
又、仏国公使と在北京同国公使并に在巴里某等との間にも、頻りに電信の往復あり。
之れは、多分義州鉄道に関する用向ならん。
而して、右鉄道と朝鮮公債とは、互に関係あるやに察せらる。
但し、鉄道に関する協議は、目下略ほ纒まりたる趣なり。
ロシア士官の雇入は、何度か結ばれる露朝密約の内の一つです。
ロシアは、これに関連していると思われる長文電報のやりとり。
つうか、山縣=ロバノフ協定辺りに違反しないのかなぁ・・・。

で、もう一方はフランス。
義州鉄道に関して長文電報のやりとりのようだ、と。

で、フランスの方に関してもう一つ。
1896年(明治29年)7月4日発『電受第469号』。

当国政府は、仏人グリイルの周旋にて極低利を以て300万円の国債を起し、日本銀行への償却に充つることに畧ぼ内定せるものの如し。
尤も、グリイルは京義鉄道報酬の意味に於て、此の周旋を為しつつあるやに聞ゆ。
京義鉄道の利権を売ってやったから、その見返りに低金利で300万借りて、日本から借りてた金を返す、と。
ちなみに、『京城洪州間及京城義州間鉄道敷設一件附京城義州間鉄道取極ニ尽力者褒賞ノ件/京城洪州間及京城義州間鉄道敷設一件附京城義州間鉄道取極ニ尽力者褒賞ノ件(レファレンスコード:B04010923500)』によれば、この年の4月頃には敷設許可が申請され、7月3日に許可されたようです。

まぁ、実際に借りて、実際に返還したかはまだ調べて無いんですが、それ以前に、最初に借りた300万どこにやったのよ?(笑)


今日はこれまで。



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