金九は誰を殺したか(一)

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金九。
日韓翻訳掲示板に入り浸る廃人には、今更説明の必要もない人物でしょう。(笑)

 金九


一言で言えば、後期の上海臨時政府を主導した、テロリストの親玉。
ここでは真偽は触れないが、取りあえずの詳細はWikipedia及び独立記念館でも確認出来ます。

さて、本日問題を提起するのは、韓国に於いて「鴟河浦義挙」と呼ばれる事件。
上記Wikipediaでは、「1896年 閔妃殺害事件(1895年10月8日)に憤り、閔妃殺害に何の関係もない日本陸軍の土田譲亮中尉を殺害して投獄される。」と書かれている件。
独立記念館では、「1895年、明成皇后弑害事件が起こり、翌年2月、安岳郡治河浦で偶然、日本軍一人に会った時、彼の名は土田譲亮であった。白凡は彼を見て激奮を抑えきれず、その場で刀で彼を殺し、「国母の敵をうつため、この日本人を殺した」という文を塀に貼って自分の名前と住所まで書いた後、その場を去った。」と記載されている件ですね。
要するに、閔妃暗殺を憤慨して「日本陸軍中尉の土田譲亮を殺害した事件」を以て、「鴟河浦義挙」と呼んでいるわけです。

この「日本陸軍中尉の土田譲亮を殺害」という話は、金九自身の自伝であり、1928年から書き始めたとされる『白凡逸志』の記述によるものでしょう。

この部分の記述に関して、少し抜粋してみます。

 (前略)

まん中の部屋に、一人断髪した人がいるのが目についた。
その人が、誰か他の旅行者と挨拶を交わしているのを聞いていると、彼は姓は鄭氏で長淵に住んでいるという。
たしかに、長淵では、早くから断髪令が実施され、民間人でも髪を切った人が多かった。
しかし、その言葉遣いは長淵の方言ではなく、ソウルの言葉だった。
朝鮮語が随分上手だったが、わたしの見るところでは、彼は明かに倭奴だった。
よく観察してみると、彼の白い周衣(トゥルマギ)の下には、軍刀の鞘が見えた。
「どこへ行くのか」と声をかけられると、彼は「鎮南浦へ行くところだ」と答えた。
普通の商売人や工業家の日本人ならば、このように変装、変名するわけがないのだから、これはきっと国母を殺した三浦梧楼のやつかそうでなければその一味の者に違いない。もしいずれでもないとしても、わが国家と民族に害毒を流す者であることは明かなのだから、あいつを殺して少しでも国の恥をそそごう」とわたしは決心した。

 (中略)

わたしは主人に、「あの倭は誰か」と尋ねた。
その答えによれば、あの倭は黄州で朝鮮舟を1隻借り、それに乗って鎮南浦へ行くところだったということだった。
わたしは主人に命じて、その舟の船員を呼ばせ、舟にあったその倭の所持品を取り揃えて持って来るようにさせた。
やがて船員たちがその倭の持ち物を持ってきて、「手前どもは、ただ船賃を貰ってあの倭を乗せた罪だけしかありませんから、許してください」と懇願した。
所持品によって調査したところ、その倭は陸軍中尉土田譲亮という者で、葉銭800両がその荷の中に入っていた。

 (後略)
さて、この土田譲亮。
どのサイトを見ても、無条件に陸軍中尉とされていますが、本当に軍籍があるのを確認した人は居るんでしょうか?

この疑問は、ずっと私の中にあり、もしかして金九はこの時期反日活動などしておらず、単なる箔付けのための嘘ではないかと思っていたんですね。
そして、昨日までの俄館播遷について調べる中で、該当する史料を発見したので報告しておこう、と。
調子に乗って、ENJOY Koreaに予告スレ立てちゃったわけですが。(笑)

ということで、予告もしていますし、結論から述べましょう。
土田譲亮は史料中に実在し、丁度俄館播遷の頃に殺害されているのも事実です。
しかし・・・。

史料は、『駐韓日本公使館記録9』より。
小村寿太郎から李完用外務大臣への、1896年(明治29年)3月31日付『公文第20号』。

以書翰致啓上候。
陳者我仁川領事之稟■に拠るに、長崎縣平民土田譲亮なる者朝鮮人1名(平安道龍岡居住林学吉二十歳)を隨へ、黄州より帰仁の為め鎮南浦へ向ふの途次、黄州十二浦より韓船一隻を僦ひ大同江を下り、3月8日夜治下浦に泊し、翌9日午前3時頃同所出帆の用意を了へ、喫飯の為め同所旅宿業李化甫方に到り再び帰船の際、同家の庭前に於て同家宿泊韓人4、5名の為め打殺せられたり。
雇韓人林も亦殺害の難に遭はんとせしも、辛ふじて危険を逃れ、同12日夜平壌に来り同所駐留平原警部に右の顛末を訴へたるを以て、同警部は巡査2名、巡検5名を率ひて同15日現場に臨み検視を行はんとせしに、右旅宿主人は警部等の到を聞きて逃走し、殺害者の屍体は既に河中に投棄したるを以て検死することを得ず。
只旅宿の庭前血痕■■たるを認めたるのみ。
而して警部一行は郡吏等へ厳談の結果、加害の嫌疑者7名を伴ひ帰りて取調べたるに、何れも加害本人にあらずして只前顕事体を聞得たるのみ。
被害者土田譲亮の遺留財産は、韓銭10俵、行李1個にして、中韓銭2俵は何者か之奪取し、残余は無事仁川領事館に引取りたる趣に有之候。
査するに、本件被害の顛末は前顕我領事の稟報に拠つて事実明了なるのみならず、其加害者の如きも容易に捜索せられ得べく儀と存じ候に付、貴政府に於て時日を移さず直に平壌観察使並に当該郡守に厳重なる訓令を下し、日を期して加害者を拿捕したる上、相当の御処分有之度候。
此段照会旁得貴意候。

敬具
へー。
他の点ではそれなりに自伝と整合してますが、長崎縣平民土田譲亮ですなぁ。
(・∀・)ニヤニヤ


今日はこれまで。



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