首相、新たな追悼施設の検討表明・日韓首脳会談

「『双方』の歴史教科書を研究対象に加える」ねぇ。
始まる前から(・∀・)ニヤニヤしちゃいますね。
問題は、韓国側の教科書に冷徹に突っ込める学者がいるかどうか。
真面目に突っ込めば、相当悲惨な歴史教科書になっちゃうし。(笑)


さて、今回はいよいよハーグ密使事件発覚の巻。
その前に、林董外務大臣から伊藤博文宛の、1907年(明治40年)7月2日付『来電第118号』より。


本野公使より左の通電報あり。
其の中(貴電第106号)とあるは、貴電第31号を同公使一個の含までに転電せるものなり。

在露公使来電第182号

6月27日、外務大臣と会談中、同大臣より会々韓国の事に談話を及ぼしたるに付、本官は其れとなく貴電第106号に示されたる事実の大体を語りたる処、「イズオルスキイ」氏は、近頃韓人の方より種々陰謀的の相談を持懸ける者あるも、是等には一切決して相手となるべからざる旨、「プランソン」に厳命を下し置きたる次第なれば、此の旨了解あらんことを請ふと述べたり。



恐らくこれが、梯子を外された瞬間である。
いや、別の機会に決定されたのかも知れないが、それを知るにはロシア側の史料が必要となろう。
「イズオルスキイ」は、当時のロシア外務大臣。
『第31号』は、昨日紹介した、1907年5月19日付『往電第31号』であろう。

そしていよいよハーグ密使が発覚する。
1907年7月2日付『来電第119号』。
上記史料同様、都築馨六大使の電文を林経由で伊藤に転電されたものである。


6月29日都筑大使来電第43号

昨日又は一昨日来、韓人三名当地に滞在し、当会議委員たる待遇を享けんとして盡力中なる由、聞込たり。
本官の得たる内報に依れば、右韓人は今朝、露国首席委員「ネリドフ」氏を訪問せるに、氏は本人等を接見せず、唯々之に対へ、元来各国を当会議に招請せるものは和蘭政府なるが故に、氏は苟も和蘭政府に於て会議委員として照会せざる者に対しては、其の何人たるを問はず、委員として待遇することを得ずとの旨を告げたりと謂ふ。
尚、右韓人は韓国に於ける日本の施政に対し、印刷に付しある抗議書を各国の首席委員(但し多分英国委員を除き)に送付せりとの報あり。
本官は、可成速に事実を確むべし。



ロシアの責任転嫁キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!!(笑)

例の案内を出したというのは、誤報だったのかなぁ・・・。(笑)
さらに同日、都築電文の転電が送られた。
1907年7月2日付、『来電122号』である。


都筑来電第32号

「ウヰリアム、ステツド」が、当地にて発行の「クウリエイ・ド・ラ・コンフエランス」は、本日の紙上にて、韓国前副総理大臣外2名が、27日附にて平和会議委員に送付せりと称する書面を掲載せり。
該書面には先づ、右韓人を平和会議委員として韓国皇帝より派遣されたる者なることを記し、続て日本が韓国皇帝の意に反し、兵力を用ひ且韓国の法規慣例を蹂躙し、韓国の外交権を奪取せること。其の結果、同人等が韓皇帝派遣の委員たるに拘はらず、平和会議に参与する能はざるを遺憾とすること。本書面には、日本の非行の概略を記したる文書を添附せること。各国委員にして、尚詳細の事項を知らんことを欲し、又は韓皇帝の附与せられたる全権を確かめんと欲せらるれば、其需に応ずべきこと等を述べ、同人等をして平和会議に参与し、日本の行為を暴露するを得せしむる為め、助力を与へんことを求めたり。
右三名は、前副総理「Yi Sang Sul」、前高等法院予審判事「Yi Tjoune」及前在露公使館書記官「Yi Oui Tjyong」なりと云ふ。
又、該書面に添附せる趣の文書は、未だ之を入手するを得ず。



(平和会議開催を伝える「Courrier de la Conference」。勿論密使は居ない。)


んー、やってる事が今も昔も変わらんな。
韓国の法規慣例は、今も昔も恣意的運用が為されているし。(笑)
要は、所謂「文明国」では無いことを、全世界に知らしめてしまった事に他ならないのである。
そして、こうして外交的問題化し、新聞等を通して一般にも公開されてしまった事によって、伊藤も4月30日のエントリーのように見逃してやる事すら出来なくなってしまったのである。


今日はこれまで。


ハーグ密使事件関連史料(一)
ハーグ密使事件関連史料(二)
ハーグ密使事件関連史料(三)
ハーグ密使事件関連史料(四)
ハーグ密使事件関連史料(五)